雨
甘い物が食べたい。そう、頗る。十分前に一度呟いた。其れが悪かった。そうしたら、我慢が出来なくなって、聞いた。
「何か、持っていないか。」
呆れた、井上の顔。然し其の顔は、相変わらず笑っていた。
「御前が食いたいのは、菓子か。其れとも…」
「嗚呼、云わなくて良い。」
聞かなくとも判る答えに笑いも出ない。此奴の頭は四六時中こんな低俗な事で埋め尽くされているのだろうか、そう思う。
「で、御前等、致したのか。」
煙草を咥えていた口に、力が入る。無意識に。
龍太郎の其れに興味は無いが、在の木島の娘の其れには興味が沸く。
「如何だ、極上に甘かったか。」
「喧しい…」
「成程。ほうほう。そうかそうか。うんうん。」
「自己完結か。」
「へえ。」
「御前と話していると、気が触れそうだ。」
「ふへ。違いねぇ。」
今日は井上、機嫌が良いらしく思う。良く、喋るのが証拠だった。溜息を吐き、椅子に凭れた。
「何か、楽しい事、無いか。」
「楽しい事ねぇ…。無えな。」
「…少し位、考えろよ。」
「やーよ。面倒臭ぇ。」
「本当、気が触れそうだ。」
「俺もだぜ。」
こんな会話が、楽しいと感ずる。知れず少し触れているのかも知れない。
「そんなに暇なら、此の国を取った後の事でも、考えてろよ。」
「面倒臭い。」
「御嬢さんの事しか、頭に無いってか。」
「……嗚呼っ、本当に気が触れそうだっ」
井上にではなく、自分に。眉間に皺が一層寄る。
「実は、未だなんだよ。」
井上の顔が、固まった。此の男の、こんな顔を見るのは、久方振りであった。口に手を当て、井上は龍太郎の肩を叩いた。
「嗚呼、可哀相。糖分欠乏症だ。」
「重症だ。」
「飴、やろうか。」
「持ってるなら、早く云えよ。」
「本郷さん。」
井上から貰った飴を口に入れた時、事務官から名前を呼ばれた。
「井上さん、又居たんですか。」
「悪ぃかよ。」
「本郷さん、奥方が御見えです。」
口から飴が落ちた。
「せ、先生も御一緒か…?」
「いえ、御一人です。」
安心した龍太郎は弾けた様に部屋を飛び出し、落ちた飴を井上が拾ったのには気が付かなかった。
「人が折角やったもん、捨てんなよ。まぁ、仕方ねぇか。」
桃色の着物を着た時恵は、屹度、大好きな、桃の味がする。
そう、龍太郎は思った。
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