初恋


白いスカートが、琥珀色の長い髪が、ヒールの音と共に海風に揺れる。擦れ違う人は、異国の彼女に目を向け、そうして息を吐く。
空から聞こえる飛行機の音に視線を合わせ、時期を知る。
「英吉利は、如何。」
呟きは、消された。似つかわしく無い靴音に。
「おや。何処の麗しい御嬢さんかと思えば、琥珀さんではあられませんか。」
ごつりと響いた靴音は止まり、琥珀に云う。
「加納様。」
「様は結構。如何ぞ、加納と。」
馨は笑い、帽子を取る。揺らいだ瞳に、琥珀の心も揺れた。
「あたくしを処刑したくて?」
「おやまあ。」
頭に響く声。何と心地好い声なのだろうと、琥珀は見詰めた。
「木島元帥に、又ちょっかいを掛けに?」
「まさか。そんなに暇ではありませんよ。」
「では何故?」
琥珀の目に、馨は視線を流す。色艶を含み、琥珀を見た。
「ワタクシは地面が恋しいのですよ。」
揺れない足元、母為る大地、何と素晴らしいか。白々しく首を振った。
「他の方は?」
無言で笑みを向ける。其れの意味する事。
「煩悩でしょう…?」
見下し、鼻を鳴らす。
風が運ぶ潮の香りに紛れ、馨から漂う船の匂い。其処に、性は香らない。
馨に、煩悩等無いのだろう。
琥珀は、目を伏せ笑う。
「加納様は本当に白が御似合いで。」
一点の汚れも無い馨。其の白さを保つ為に煩悩は不要で、有っては為らないのだ。
笑う馨。
「琥珀さんも、御似合いですよ。」
「え。」
首を傾げた琥珀。真白のワンピースを着ている事等、忘れて居た。
「桃色掛かった其の肌に、とても良く御似合いです。」
「嗚呼…」
勘違い。
琥珀は、汚れを漂よわせぬ白さを云ったのだが、如何やら、服と間違えた模様。其れならそう思わせて於こうと、又、目を伏せた侭笑った。
「有難う…」
「でも。」
馨は云う。
「琥珀さんは、赤が御似合いかと存じます。」
「赤、ね…」
そんな事は、初めて云われた。一度、深紅のワンピースを着た時、父親である拓也から下品だと云われた。琥珀もそう感じた。鏡に写った自分の姿は、とてもで無いが、昼の人間では無かった。
白い肌、琥珀色の髪、深紅の服。
此れに似合うのは白い昼では無く、黒い夜。
詰まりは娼婦。
頭を痛ます記憶。其れ切り、赤は敬遠して居た。
して居たのだが。
「御冗談でしょう。」
引き攣る琥珀に馨は笑う。
「其の白い肌には、鮮やかな、そう鮮血の様な、赤が映える。」
伸びた手が頬に重なる。其処から、火が点いた様に熱く為り、頬を赤く染める。
其れに、口元を歪める馨。
「矢張り、赤が御似合いだ…」
低く笑う馨に、琥珀の身体が微かに痺れた。消す様に、避ける様に、一歩後退した。
「嗚呼、失礼を。」
「いいえ…」
「つい。」
そうして笑う。
「ずっと船に居りましたから。如何やらワタクシも、煩悩の塊の様だ。」
反射した眼鏡は、深く被り直した帽子で消え、又ごつりと音を鳴らし、踵を返した。揺らぐ白。低く響く靴音に、ヒールの高い音が重なる。
掴んだ手。
頭を埋める耳鳴りは波の様で、煩いと思う反面、心地好さを含んで居るのは確かだった。
「御止め為さい…」
吐かれる言葉。
「貴女迄煩悩に支配されるのは、御止め為さい。」
離した手は、背中に触れた。
「構い、ません…」
耳に届く琥珀の声に身体が流されない様、強く目を瞑った。
「船の上に居る男は、危険ですよ。」
搾り出す様に馨は吐き、其れでも背中は大きく揺れた。
「構いません…、其れでも…」
飲み込まれる。大海原に、沈む―――。
息が出来ない苦しさは、嫌と云う程知って居る。其れでも、此の侭漂うのも悪くは無いだろうと、馨は詰まった息を吐き捨てた。
「全く。貴女と云う御嬢さんは。」
勢い良く腕を引かれ、馨の鼓動が聞こえた。
「少し、付き合って頂けますか。」
「ええ。喜んで。」
抱き締められた身体は、一体何処に行くと云うのだろう。無人島?楽園?将又地獄か…。
未知の海に、二人は出航した。




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