俗と煩悩


亜米利加。其の大きさに、馨は頭を抱えた。
「独逸は嫌だ、絶対に嫌だ。唯でさえ、陸軍さんの野蛮な生き方に辟易して居ると云うのに。」
世界地図に肘を突き、頑なに拒絶の異を唱えた。
「然し元帥、他に手は。」
中将の言葉に判って居ると俯き、眼鏡を外す。
「木島さんを呼んで頂けますか。御話がある。」
痛む頭は、紅茶で流し込んだ薬では治まらない。波が揺らぐ様に、馨の蟀谷はうねって居た。
何て大きな国を敵に回して仕舞ったのだろう。ソ連への攻撃が、亜米利加を怒らせたのか。
「…忌々しい亜米利加め…。独逸も独逸だ。世界を牛耳様等、何と野蛮な。」
そんなに、世界が欲しいか。国一つだけで、充分では無いか。
そう思うのだが、目の前に広がる世界は、余りに広かった。何処に在るのかも判らない日本、大き過ぎる亜米利加、広過ぎる世界。
頭痛は何時しか、息苦しさを馨に教えた。
「此の広い世界を手に出来たら、嘸、気分良いだろうな…」
呟き、ナイフを亜米利加に突き刺した。こんなに簡単に封じれたら良いのにと、何度も刺した。
此の国が日本であり続けるのなら、何処が世界を牛耳様が、如何でも良かった。なのに、今は其れさえ出来るか危うい。世界を手にしたいと云う野心は無いが、此の国だけは守りたかった。
春には桜、夏には朝顔、秋には楓、冬には牡丹。此の広い世界、何処探してもそんな国は無い。此の国を、他の大国に、手渡して為るものか。
何度も突き刺し、手が痛く為る。そうして手元が狂い、ナイフが跳ねた。鈍い光を追う様に視線を流し、刃先が指す国を薄らと見た。
「…英吉利…?」
心臓が鳴る。
「英吉利…」
同じ様な小さな島国に呟き掛けた声は、響くドアーの音に消された。こんな風に、日本は飲み込まれるのか、馨の身体は強張った。
「木島さんです。開け為さい。」
開かれ、見えた姿。不機嫌そうな顔を見せた和臣に、馨は向いた。
「御忙しい所、申し訳有りません。ですが、御聞きしたい事が。」
「手短に頼む。中国側の暴走が始まった。」
其の言葉に、馨は舌打ちをした。此処迄危ういと云うのか、此の国は。
「少し、御時間を。」
和臣を待たせ、馨は電話を取る。場所は指令塔。
「ワタクシです。此処からで申し訳無い。今現在海上に要る軍艦を全て中国向け、陸に着いて居る艦は出向を。ワタクシも話が尽き次第向かいます、柊の準備を。」
馨の言葉に、二人以外慌しく動き始めた。先に柊に向かうと敬礼した中将に馨は頷き、和臣の前に座った。
「其れで、話とは?」
「我が帝國軍は、何処と手を御組みに為る積もりでしょう。」
用件は其れだけ。馨の言葉に息を吐いた。
「加納さんは、何処が良い。」
「…何を暢気な。其の様に悠長に申して居るから、制圧した中国軍の反乱が起きるのですよ。今がどんなに危険か、御判りでしょう?」
「だから俺は御前の意見が聞きたいんだ。亜米利加に勝つ国は、一体何処だ…っ」
白地図を叩き、和臣は喚いた。
「此れ以上、陸軍は強くならん…。中国に暴走を許したんだぞ…」
崩されたプライド、俯く和臣に、馨は言葉を無くした。
「陸で一番強いのは、独逸軍です。」
「嗚呼。」
「海軍は…」
光る刃先。其れに惹かれる様に、馨は視線を動かす。
指を突き、俯く。
「英国軍です。」
和臣の目が開く。
「英吉利…?」
「はい。海で一番強いのは、英吉利しか居りません。ワタクシの意見は、英国軍と手を結び、二つの敵を、潰す迄です。」
亜米利加と、独逸を。
「日本が此処、英吉利が此処。亜米利加は此処です。」
「嗚呼。」
「挟み撃ちの、奇襲攻撃です。其れに、和蘭が加わる。陸は強いかと。」
「和蘭?何で和蘭が居るんだ?」
今現在英吉利と手を組んで居る国は、独逸から侵略されて居る中立国家和蘭。
欧州を侵略し続け、世界を手に入れ様とする独逸、其れを阻止し様とする英吉利。
日本中国朝鮮の三国統一を狙う日本、其の中国と手を組み、独逸からの侵略を拒む北の大国ソ連。
其処に突如現れた、亜米利加。
此れが日本側には痛手であった。
独逸を潰すとばかり考えて居たのだが、亜米利加の矛先は独逸では無く日本に向いた。
ソ連の戦いは、今二つに分かれて居る。欧州側からの防衛と、中国に加担する攻撃。ソ連側も、中国が日本の統治下に為るのを阻止したかった。自分の国を守るだけでも精一杯の武力、中国に加担する武力は僅か、其処に目を付けたのが亜米利加だった。英吉利と手を組み、自分達の存在を薄くさせる位なら、ソ連に付いた方が有利。
世界で一番強いのは我が国だと、其れを知ら示す為に、国は動いた。
独逸が、英吉利が、日本が、ソ連が、そして亜米利加も。
馨の云う事が現実に為れば?
世界は三つに分かれる事と為る。
「俺は、三国を統一したいだけだ。独逸側みたく、世界に興味は無い。」
「ええ、ワタクシもそう。ですがソ連を其れを許さない。」
ソ連側が中国を諦めるのが、一番楽に事が進む。亜米利加も英吉利側に付き、独逸を攻撃する。自分達は中国に専念出来る。
なのに、物事は上手く運ばない。
時が過ぎれば過ぎる程、敵は小さく為る所か大きく為った。
世界が悲鳴を上げる、或いは産声。
「三つが、戦うのか…」
直面した、大きく為り過ぎた世界を渦巻く火に、和臣は項垂れた。




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