恋遊び


其の日は余りに空が黒かったので、窓から月を見ていた。
漆黒の、木炭で塗りつぶした様な其れに、ぽっかりと月があり、まるで穴が開いたかの様な空だった。
風は、無かった。
そう、無かった。
だから気が付いた。
揺れる影が。
其の影は、別邸に続く道を進んでいた。この敷地には、全部で四つの家がある。
先ず、僕、木島が居る本邸。西側に向かえば、第二夫人、次兄の第二邸、北側に向かえば使用人達の部屋、そして。
今、この影が向かっている東側には、第三夫人と、長兄の第三邸がある。
本妻、つまり僕の母が生存していた頃、夫人達の争いをなくす為、其々邸が与えられた、と僕は聞いた。夫人達は其々自分の低に居るが、本邸にも勿論部屋はあり、便利が良いからと次兄は本邸に居る。
先日帰国した、長兄も、又。
僕は、其の影を目で追い、観察していた。
第三邸。
僕は、良く知らなかった。第三夫人の事を。
長兄が未だ、此処に居た頃、十年前は第三夫人も、第二夫人の様に外に出ていたらしい。
其れが、長兄が居なくなり、僕が産まれると、第三夫人は、ぱったり出て来なくなった様だ。母が亡くなった、あの日も。
第二夫人曰く、気が触れた、そうだ。
無理も無い。
息子は居なくなり、忌まわしき本妻が男児を出産したのだから。
僕は、知らない。
第三夫人が、どれ程僕を憎んでいたのか、を。
「何してんだ。」
圧し掛かった何かに、僕は声を出しそうになったが、慌てて口を塞がれ、頭突きをされた。
「馬鹿、俺だよ。」
「兄さん。」
其の侭兄は僕の体を抱き締め、窓の外を見た。
頭が痛い。
「兄さんか。」
「の様ですね。」
兄の視線が、見なくても判る。
「なぁに、見惚れてんのか。」
「ば、違います。」
「良し良し。」
僕は髪を滅茶苦茶にされ、兄は笑った。
「そんなに心配なら、離れなきゃ良かったんだよな。なあ。」
「なぁって。」
同意を求められても、僕はどうする事も出来ない。
僕は、彼を知らないのだから。
「兄さんの母親はな、少し、頭がおかしいんだ。」
「おか、しい。」
「そう。」
兄は離れ、ベッドに寝転がり、肘を突いた。窓から体を兄に向け、桟に腕を乗せる。
「おかしいとは。」
「んー、御前は知らねぇけど、ありゃ、異常だ。」
兄は息を吐き、じとりと僕の顔を見た。
「御前、本当、母親に似てるな。」
「母様、ですか。僕より、姉上の方が似てると思いますけど。」
「違うんだよ。」
「何が。」
兄は近くに飾ってある母の写真を手に取り、僕を見た。
「顔もそう何だけど、雰囲気だね。ほら、俺と兄さんって年近いだろ。」
「へぇ、初耳です。」
「そう何だよ。」
僕は思い出した様に窓の外を見た。暗かった第三邸に明かりが灯っている。
「兄さんが生まれて、半年後に俺が生まれたの。」
兄の声に顔を戻す。
「本妻は、全く子供が出来ないで、でも子供が好きな人でさ。育児って疲れるだろ。だから、良く二人で本妻の処に居たんだ。」
懐かしそうに笑う兄。瞑っていた目を片方開き、写真を置いた。
「本当、御前そっくりだったよ。いや、御前がそっくりなのか。」
「だから、結局、何なんですか。」
「時恵は、そら、女だから顔は似てるかも知れないけど、違うんだよ、全然。雰囲気が。」
僕は目を瞑った。姉を思い出そうとしたからだ。そして、懐かしい母と重ねようとした。
しかし。
出来はしなかった。
姉を鮮明に思い出せば出そうとする程。
「時恵って、どちらかと言うと、親父似じゃないか。」
僕は目を見開いた。
そうだ、姉は。
父に非常に似ている。
そして僕は、非常に母に似ている事に気が付いた。
喜怒哀楽の感情が激しい父と姉、何があっても笑っているだけの母と自分。
「気を付けろよ。」
兄は立ち上がり、窓の外から、明かりの灯っている邸を見詰めた。
「あの夫人には、気を付けろ。兄さんにもだ。」
意味が、良く理解出来なかった。
そう、この時未だ、僕には理解出来なかった。
兄の云った意味も、何故、自分が影を追い掛けていたのかも。




*prev|3/3|next#
T-ss