琥珀と浪漫スタヰル


家に帰ると、琥珀がだらし無く縁側に座って居た。改装したばかりの、私好みの此の家は良い感じである。矢張り家とは、靴を脱ぎ、畳に座り、布団に寝るものである。尤も琥珀は、床に寝るのだけは絶対に嫌だと、此処はベッドである。畳の上に敷いた布団の上に寝ると、英吉利の幼少時代を思い出して気分が悪いそうだ。一度布団で寝かせたら、夜中に奇声を発し、ずっと吐いて居た。翌日琥珀の父親に其れを話したら暗い顔をされ、ベッド位買ってやると送られて着た。何処迄も此の父親は甘いのだ。
「あ、御帰ん為さい。」
ぼうっと庭を眺めて居た琥珀は私に気付き顔を向けた。
「良い子にして居ましたか?」
「勿論。」
琥珀は立ち、スカートを揺らす。私の持っていた袋に気付くと又座り、繁々と目を見張った。
「此れ何?」
「良い子にして居た、御土産です。」
「…………やったあ!」
「ふふ。」
私から袋を受け取ると嬉しそうな笑顔を寄越し、部屋に向かった。着替えて居る私の横で袋の中身を畳に散乱させ、目を輝かせた。
「着物だー。」
「綺麗でしょう。」
「うん。」
琥珀は見て居るのが楽しいのか、顔を綻ばせた侭にこにこして居る。其の姿に、私迄顔が緩む。矢張り買って来て良かった。私には理解出来無い流行りは、琥珀にきちんと伝わって居た。
「着て良い?」
「勿論ですとも。其の為に買っ…」
云って考えた。
琥珀は、着れるのだろうか。一人で。
琥珀の着物姿を見た事が無い訳では無い。初めて会った時も、其の後数回、其の姿は見て居た。けれど、自分で着る物を選び始めたであろう歳には、もう洋服だった。ずっと。
若しかすると琥珀、着れ無いのでは無いだろうか。不安が過ぎった。
「あの、琥珀…」
「何?」
「御尋ねしますが、着れますか…?」
大きな目がキョトンと私を見る。琥珀は小さく笑い、其の侭畳に蹲った。笑いを堪えて居る様だ。
「一寸、本気…?」
「え?」
「あたし此れでも日本人だよ?日本に五年住んでんだよ?」
「え?ええ、まあ。」
英吉利人である事は華麗に無視。
「普通に着れるけど。」
若し此れで、着れ無いと云ったら如何するつもりだったのかと笑い転げた。云われてみれば、如何するつもりだったのだろう。其処迄深く考えて居なかった。
「其の時はまあ、時恵様にでも。」
「駄ー目駄目。時恵は流行り物嫌いだから、古典的な色合いしか好まないよ。龍太郎も好きじゃないみたいだし。まあ、見てみたいけどね。時恵の浪漫スタイル。」
「ろ、浪漫スタイル?」
「そうだよ。原色使うのを浪漫スタイルって云うの。時一もそうだよ。」
流石は十代の御嬢さん。流行りには敏感だ。しかし何故其処迄知って居るのに洋服なのであろう。着れないと思われても文句は云えないだろう。
「着て、見せて貰えますか?」
「良いよっ。」
着物の艶やかさが霞む程の愛らしい笑み。
琥珀は立ち上がるとワンピースのファスナーを落とし、肌襦袢を着、鏡を見乍ら長襦袢を着た。嘘では無かったのだと、感心の息が漏れた。
「んー、少し身丈が短いな…」
日本人依り長身の琥珀には少し短い様だった。此れでも身丈の長いのを買って来たつもりだったのだが。
「そう云えば時一。時恵から着物貰うって云ってたけど、丈足りないんじゃない?どんだけ違うんだよ、二人の身長。」
私に答えは求めて居ないらしく、一人で云っては頷いて居る。そうして行く内に躾紐迄締め、床を見渡した。
「あれ…?」
「如何しました?」
「伊達締めは…?」
「はい?」
伊達締めとは、一体何であろうか。
「此れ、躾紐。」
「其れは判ります。其の上に帯、ですよね。」
「…………違う…っ!」
強く一回首を振り、全く何方が正統生粋な日本人か判らない。
「躾紐の上に、伊達締めって云って、帯の下を平らにする紐があるの。其れが無いと基盤が決まらないの。躾紐はこう…見て判るけど、布と布の間で、段があって不安定でしょう?」
「はい。」
「其れを幅の広い、固い素材の伊達締めで固定してないと、胸元がズレたりするの。…基本中の基本よ!?貴方、日本人!?やっぱり仏蘭西人!?ぼんぢゅぅル?」
そう琥珀は云うけど私は男で、女物等知らない。着替えを覗けとでも云うのだろうか。矢張り仏蘭西人とは、一体何処から来たのか、謎である。発音良過ぎで吃驚だ。
「無いのか、伊達締め…困ったな…いや、待て。」
云って琥珀は箪笥を開け、漁り始めた。其の箪笥は、母上の宿泊用箪笥。勝手に漁っては怒られる。
「あたしの記憶が正確なら此処に仕舞っ…ほら、あった。」
ぺろりと長い紐を畳に投げ捨てた。
「此れが伊達締め。」
「…嗚呼!此れですか。知っております。」
名前を初めて知った。母上、此れには拘りがあると、昔云って居た。其れを勝手に使っては、まあ、琥珀の浪漫スタイルの為なら構わないだろう。
帯揚げは、嗚呼其れか。帯の上に良く見る在の布。一体何の為にあるのか不明だったが理解した。唯の飾りでは無かったのか。
しかし。
こうして、過程を見て居ると、其れだけで疲れる。世の女性達は、こんな苦労を毎日して居るのか。此れからは良く見てあげ様。琥珀が着物を着ない理由が、判ってならない。ワンピースなら、すとんと着てしまえば終わりなのだから。
「じゃあん。浪漫スタイル。」
「おお。」
「ね、ね。似合う?」
「ええ。とても御似合いですよ。琥珀は何でも似合いますからね。」
「馨さんの見立てだよ。あたしは着ただけ。マネキンでも出来る。」
「ふふ。可愛いですよ。」
本当に。
食べてしまいたい程。
「ね、ね。未だ時間も早いし、何処か行こうよ。」
「そうですね…参りましょうか。夕飯でも食べに。」
「あたし達、御似合いよ。絶対。」
「勿論です。」



ねえ琥珀。知って居ますか?
惚れた相手に服を贈る意味を。
尤も、アドミラルベイリーの受け売りですがね。
美しく見せる為では無く、脱がせる為だと、ね。
ふふ。




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