御眼鏡


太陽の下で、一層目立つ髪。黒髪の中でだと、嗚呼、良く見付けれる。
「又、御会いしましたね。」
後ろから声を掛けられ、振り向いた琥珀は眉を寄せた。
白い軍服を来た男。
「えっと…」
見覚えはある。けれど名前が判らない琥珀は、百面相の様に表情を変え、垂れた眉を一層垂れさせた。どちら様でしたっけと聞く事が出来ない威圧感。そう云えば、名乗っていなかった。
馨は引き攣る様に顔の筋肉を動かし、所謂笑顔を向けた。
「加納です。加納馨。」
「あ、加納さん。」
そんな名前を父親が云っていたなと琥珀は、馨とは真逆の自然に動いた満面の笑みを見せた。
「じゃ無かった。加納様。」
目上、特に男性には必ず氏(ウジ)を呼ぶ場合“様”を付けろと学校で教わった事を思い出し、慌て言い直した。何々様だの何々氏だの中々殿だの何々女史だの、日本は面倒臭いなと感じた。英吉利なら“ミスター”“ミズ”此れで済むのにと。
「加納で構いませんよ。」
馨はそう云うが、流石の琥珀も今日で二回目の人間に其れは無理だった。
「加納さんにする。」
「ふふ。構いませんよ。処で。」
動かした眼鏡に、太陽の光が反射する。琥珀は其れをまじまじと見、馨の声は良く聞いていなかった。何処に行くのかと聞いたが、琥珀の視線は眼鏡に向いていた。余程眼鏡が珍しいのかと思い、馨は瞬きを繰り返した。
「英吉利に居た頃から思ってたけど、其れ、何?」
「眼鏡ですよ。グラッシーズ。」
「何で付けてるの?偉いから?オプション?」
英吉利で見た眼鏡を掛けた人間は、偉い軍人だった。軍服を着る様に、偉い軍人は付けるものなのか。にしては父親も其の友人も掛けていない。中尉は偉くないのだろうか。
琥珀の質問に馨は困惑気味に顔を歪めた。視力が弱いからと云っても、判って貰えそうに無い。
「此れが無いと、見えないのですよ。」
「琥珀は見えるよ。」
「んー……ふふ。」
笑う事しか出来ない。
馨は琥珀の背に合わせ、屈めていた身体を伸ばし、辺りを見渡した。ふと喫茶店が目に止まり、馨は又身を屈めた。
香る船と潮の風。馨が動くと、軍服に染み付いた其れが空気に乗り、琥珀に教える。
「琥珀さん、でしたか。立ち話も何ですので、あちらに参りませんか?」
手袋を纏う馨の人差し指は真直ぐ喫茶店に伸びる。頷こうとしたが、琥珀は首を止めた。
「駄目!」
残念そうに眉を落とす馨。急ぎの用事か何かだろうと、深く聞きはしなかったが、琥珀の拒否は違う理由だった。
「御洋服買うの。其れしか御金無いの。」
其の返答に馨は項垂れ、肩を揺らした。未だ学生で、友人達と入る場合、自分で払う。奢りと云うものを知らない琥珀は、何故馨が笑っているか判らない。
「何で笑うの!?」
「いえ…失敬…可愛いなと思いまして。」
自分が持つから安心して良いと云うと、琥珀は笑った。
嗚呼、こうして世の男性は、女性の笑顔に釣られ奢ってしまうのですね。




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