青年と少女


幼少の頃は良く履いていたが、段々と履かなくなった。誰かの様に馬に乗ったり、駆けたりする事は無いので、馨に袴を履く理由は無かった。其の袴を久し振りに履いた。
全身真白で、まるで白無垢だ。もう少し考えれば良かったと今更後悔した。半襟だけ、赤くした。最初は此の半襟も白だったが、母親が首を振ったので赤にした。
白と赤は、加納馨の象徴だ。
写真に向かって十字を切り、馨は息を吐いた。
後一年、後一年で良かった。そうすれば、此の成人した姿を父親に見せれた。
「如何です?似合いますか?」
十九歳の若き海軍元帥は、此の日成人を迎える。一月十五日に成人式とやらがあった。しかし馨は其れに出なかった。他人と関わる事が極端に嫌いな馨は、其の祝いの席に腹が立つと自分で考えたのだ。其の日の為に母が作っていた羽織袴は、今日馨が来た為無駄にならず済んだ様だ。
そういえば今日は、雛祭りだなと思い出した。桃の節句の日に生まれたから自分はこんな顔をしているに違いない。馨は昔からそう思っている。
着替えたは良いが、馨に予定は無い。ぼんやりと庭の梅を眺めていた。其の梅の真横には桜が咲いているが其れに興味は無かった。
春の陽気な光が馨に当たり、馨は首を振った。
「脳味噌が、溶けそうだ…」
此の侭ではいかんと、馨は腰を上げ、姿同様に真白い草履を引っ掛けた。何をするか、神社にでも行こうか、袂を回しながら、馨は何も考えず歩いていた。
花の匂いがに眩暈が起きる。
馨は四季の中で、春が一番好きだった。
民家の桜の木に馨は足を止め、見上げた。
「花は桜木、人は武士。教えてくれた人よりも、港の隅で泣いていた、可愛いあの子が目に浮かぶ。トコ、ズンドコズンドコ。」
何故其の歌が頭に流れたか判らないが、馨は桜を見ながら口ずさんだ。
「かわいあのこ、ですか。」
琥珀を思い出した。
「全くねぇ、皆さんねぇ。全く全く。ふふ。」
何が全くねぇ、なのか自分でも判らない。唯面白くて口元が歪む。
陸軍と海軍、戦地ではどちらが其の慾に取り憑かれているのだろうか。
男しか居ない船の上に何ヶ月も居る自分達だろうか、其れとも死に直面し、血眼で女を捜す陸軍だろうか。こんな歌が出来たんだ、きっと海軍に違いない。咲き誇る桜を、馨は視界から外した。




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