青年と少女


カトリックの自分が何故神社に来たか。父親の墓にでも行けば本当は良かったのだろうが、写真に手を合わせただけで終わった。
此の神社に惹かれたのは、偶然なんかではなかった。
「明かりを点けましょ、ボンボリにー。御花を上げましょ、桃の花ー。」
神社の裏手から歌声が聞こえる。元から高い声が澄み渡る様に高い。歌声に誘われる様に馨は足を向け、桜の木下には、矢張り考えていて人物が立っており、其の後ろに神主が立っていた。
艶やかな服を着た琥珀の帯が、揺れている。真白の、帯。
「琥珀ちゃんは歌が巧いねぇ。」
感心した様な神主の声。琥珀は振り向くと、桜も負ける笑顔を向けた。
「桃の花って、此れ?」
「其れは桜だよ。日本の国花。いや、国木?」
「桜ん坊が生るの。」
「いや、生らんだろうなぁ。別物だし。」
「此れ?」
「其れは…何だ?巫女が勝手に植えてやつなんか知らないよ。」
神主は言葉で桃の花の説明をしたが、琥珀は理解出来ず首を傾げた。其れは良い匂いだ、神主は云い、持っていた箒を仕舞った。
「琥珀ちゃんは、雛人形を持ってないんだな。」
毎年此の日に此処に来る琥珀。此の神社には見事な雛人形が飾ってある。顔は陶器で、布は全て縮緬と来た。琥珀の父親は、すっかり雛人形の事等忘れているのだ。其れに対し琥珀は何も云わず、此処に来れば見れるから良いと気にしていない。其れに、此処でなくとも時恵の家に行けば此処にある物より見事な段飾りがある。此処のは五段、時恵のは持ち主よりも背の高い八段だ。琥珀が来る迄時恵は飾っていなかったのだが、琥珀が見たいだろうと龍太郎に飾らせている。
「兜ならあるよ。」
「其れは男の子だよ。」
「もうね、すんごい大きいの。誰が被るの?あれ。」
「節句の兜は被りゃしないよ。」
「なーんだ。ダディが被るのかと思ってた。」
「井上卿の御子息ともなると、其れは見事なんだろうな。鯉幟も凄いだろうな。となると、木島卿の所は想像も付かんな。きっと値が付けれないだろうよ。」
「日本って色んな行事があるよねー。毎月?」
「いや、二ヶ月に一回だな。」
神主と琥珀の会話を聞きながら、馨は息を吐いた。そういえば、暫く自分の兜も、妹の雛人形も見ていない。今日は桃の節句だが、出されている気配は全く無い。尤も、妹から弟に代わった時点で、何処かに行ってしまっただろう。
「其の見事な雛人形、私にも見せて頂けますか?」
陰から出てきた馨の姿に琥珀は目を見開いた。
「袴だー。」
「珍しい方がいらっしゃる。構いませんよ。」
馨は白以外を着ないのだろうかと疑問を持つ位、何時も白を着ている。今日は一層白く、まさに、白狐。
琥珀は馨に近付き、今日はと頭を下げた。揺れる袴を、琥珀は見ていた。
此処から見える雛人形に、嗚呼本当に見事だと、溜息を漏らした。しかし本当に見事だ。見れば見る程細部迄の細かさが判る。
此の雛人形、神主の娘の物だったらしい。過去形なのは、其の持ち主の娘が居ないから。生きていれば琥珀と同じ年だそうだ。寺に法要もせず、毎年此処で姿を見せる。自分は神主で、住職でないからこんな事しか出来ないと小分けにした雛霰を琥珀に渡した。
「食べて良い?」
「嗚呼、好きなだけ食べたら良いよ。未だあるからね。」
目を瞑って笑う神主は、本当に優しい顔で琥珀の頭を撫でた。袋からもさもさと小動物の様に霰を食べる琥珀の姿に馨は、何て良い誕生日だ、そう思った。
並ぶ二人の姿に、全く雛祭りだと神主は思う。綺麗な顔をした内裏に、愛らしい顔をした雛。
「しかし、加納さん。何処かに行かれるんですか?」
めかし込んでいる馨に神主は聞いたが、いいえ別にと馨は琥珀から霰を貰っていた。
「私、やっと今日で成人です。」
「え?」
元帥なのだから遠の昔に成人だろうと考えていた神主は驚き、はあはあと気の抜けた声を出していた。
「そうですか、今日で。」
「はい。」
神主は頷き、何も云わず奥に引っ込んだ。暫く二人で霰を食べながら雛人形を見ていると、引っ込んだ奥から神主が無紋の白狩衣・無紋の白差袴・烏帽子の浄衣を着用して出てきた。着替える前は鶯色の狩衣で、烏帽子は付けていなかった。其れを見た琥珀は雛人形と交互に神主を見た。
「御内裏様だー!」
「嗚呼、内裏殿も狩衣だからね。平安人は皆此れだ。」
「ダイリデン?カリギヌ?」
「御内裏様の事で、狩衣はそうですね、昔の着物です。しかし神主、何故其れを。」
態々着替えたのだろうか。神主は大幣で肩を叩きながら馨に云った。
「此の庭で悪いですけど、ささやかながら成人の祝いでもしましょうか。」
ふさふさと揺れる大幣に琥珀の目が動く。
「其れ何ー?はたき?」
「んー、同じ様なものかな。身体叩くし。」
食べ終わった霰の入っていた袋を神主は受け取り、ゴミ箱に捨て、又新しい霰を琥珀に与えた。
「時期大戦も始まりますし、老い耄れの頼みと、振らせて下さいよ。」
振るのは構わないが、神同士が喧嘩をしないだろうか。
「私カトリックなんですが。」
「嗚呼良いです良いです。日本人でしょう?」
「まあ、そうですが。」
「なら大丈夫です。」
本当に大丈夫だろうかと馨は少し身を屈めた。本当に大丈夫ですかと念を押す馨に神主は黙る様、人差し指を唇に付けた。頭の上でばさりばさりと大幣が降られ、其の光景を琥珀は霰を食べながら見ていた。ばさりばさり、ぼりぼりぼり。何とも云えない音が耳に入る。ちっとも嬉しくないのは、何故だろう。
「あ、清酒忘れた。」
「御酒?」
「雫を飛ばすんだけど、まあ良いか。カトリックだし。」
「神主…」
しっかりしてくれと云いたい。
「此れで、海軍は安泰でしょうな。わはは。」
自分が教会に行って祈った方が効果がありそうだと、馨は思った。




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