It's mine


出来れば会いたく無かった。けれど彼が居なければ、ヘンリーに会え無かったのも事実である。俺は其の葛藤の中で彼に会った。
此れは悪戯で、仏蘭西が同盟に入ると云う、英吉利にも和蘭にも利益を産まない調印式でだった。日本は元から、和蘭及び仏蘭西の武力利益は無い。
仏海軍元帥に腹を立て、英国空軍の元帥も同じく仏空軍元帥に腹を立てて居た。英国陸軍の元帥だけ、元帥に腹を立てて居ない。蘭陸軍元帥はふわふわと笑い、早く帰りたいとヘンリーにちょっかいを掛けて居た。
「待ってね、マウリッツ。もう直ぐ終わるから。」
切羽詰まったヒステリックなヘンリーの声。
「僕もう調印したよぅ、帰ろうよぅ。」
反して、のんびりと、自分は無関係と云わんばかりの声。蘭海軍元帥の袖を引き、もう少しですので王子、と窘められた。
「後は…、嗚呼海軍。君達の調印。」
確認していた書類をヘンリーは投げて寄越し、後は必死に阿呆王子を宥めて居た。
「飴食べる?ほら、チューリップの形してて可愛いだろう?」
ロリポップを振るヘンリーの姿は、赤ん坊をあやして居る様に見える。
「要らない…。不味いもん…。独逸の飴より不味いって最悪だよぅ…」
ヘンリーの眉間に皺が寄り、調印を終えた奴等が笑いを堪える。俺も少し、サインに失敗した。
付け加えるなら、独逸の飴は不味い。日本人もそう云って居たから紛れも無い事実だ。
「マーシャル、終わりました。」
俺とは違う海軍元帥から書類を慌ただしく受け取り、此れ又慌ただしく確認すると解散と強く云った。
「ほーらほら、マウリッツ。終わったよ。もう帰れるよ。」
「王子、帰りましょう。早く帰りましょう。失態を見せる前に。」
仲間に無理矢理立たされ、引き摺られる。
「うんっ、バイバぁイ、ヘンリーっ。又ねぇっ。皆様も又ぁっ。トッツィンズ。」
「はは…、御元気で…」
蘭陸軍元帥の阿呆ぷりに圧倒された俺達海軍は、引き攣り笑いで手を振った。
「バイバイ。出来れば二度と来ないで。」
蘭軍を部屋から追い出す様にヘンリーは動き、ドアーを強く締めると深い溜息を吐いた。
「疲れた…。一気にジョルジュ並に老いた気がする…。今日のマウリッツ、何だ在れ…」
「一寸其れ失礼じゃない?俺は未だ四十五だって。現役だよ。」
「大丈夫…、俺と十違う時点でおっさんだから…。もう疲れた…本当早く帰って…。其れでは皆さん、御機嫌よう…」
早く帰れ、と云った割にはヘンリー自身が書類を持って部屋を出た。
ヘンリーの居なくなった部屋で俺は下唇を知れず噛んだ。
二時間近い此の時間、一度もヘンリーと目が合わなかった。喧嘩をしている訳では決して無い。俺に視線を向けるのを忘れる程切羽詰まっているのだ。其処には俺の愛するヘンリーはおらず、薔薇の支配者の異名を持つハロルド・ベイリーしか居なかった。
「キース。」
「何だ。」
「今日のヘンリー、おかしく無かったか?」
他の海軍元帥に聞かれ、俺は肩を竦め首を振った。
「そうか?ヘンリーは何時もあんなだぞ。在の機嫌だったら、中将が八つ当たりされるな…」
陸軍元帥が紅茶を飲み、云う。
「そうそう。彼奴も可哀相だよな、ヘンリーの直属何だから。」
「怖いねえ。」
陸軍元帥達は口を揃えて嫌だ嫌だと云い、しかし本当にヘンリーを嫌っている様子は無い。
「あんなに奇麗何だもんな…、八つ当たりされても、いや、寧ろして欲しいな。」
奇麗なカップと表情が不釣り合いに浮かぶ。
「おまけに頭も実力も顔も不正無しと来たもんだ。神様も意地悪いぜ。」
「御前嫌われてんだよ、神様に。」
「嗚呼やっぱりそうか。そうじゃないかなって昔から思ってたんだよ。」
「ヘンリーには神様よりもっと強いのが付いてんだろう。」
そして一同が俺を見た。戦争があっている今、神より上に居るのは俺達海軍だ。
「キースも大変だな、機嫌取ったりして。」
「まあ、な。はは…」
笑って見せたがヘンリーの機嫌を取るのは、大概俺が悪い場合が多いので大して大変とは思わない。寧ろ其れをしないと致命的だ。
解散しても特にする事の無い俺達は、其の部屋で暫く談笑していた。仏軍の奴等は何時の間にか帰っており、ヘンリーを除く英国軍元帥が総揃いした。此れは珍しい事で、内容は下ら無いが話が弾んだ。其処に血相変えたヘンリーが現れ、ジョルジュは何処、そう叫んだ。そう聞かれ、何時の間にか仏軍が帰っている事に気付いた位だ。
「ジョルジュって?在の阿呆王子?」
「違う、其れはマウリッツっ。仏蘭西のっ在の…、もう良いっ。此処に居ないなら良いっ」
余程急ぎなのか、ヘンリーは言葉の途中でドアーを閉め、喚き乍ら其奴を探す。
「ジョルジュって、在れだろう。ヘンリーの元彼。」
「うっそ…」
此の陸軍元帥と空軍元帥は仲が良く、多分、隠しているのだろうがそんな関係だ。で無ければ、視線が合う度にはにかみ合わ無い。
「何処情報?」
「本人が云ってた。」
「本人って?」
「ヘンリーだよ。最悪な奴が来たって云ったから何でって聞いたんだよ。そしたら普通に云った。」
「なあ、其れってやばいんじゃないの…?」
もう一人の陸軍元帥が渋い顔で云った。
「キースに対して?」
「違う、ヘンリーに対してだよ。まあキースにもやばいだろうけど。」
云い様の無い不安が俺に襲い掛かり、カップを持つ手が震えた。けれど何でも無い様に俺は、好きに云え、と鼻で笑った。けれど不安は何時迄も消えず居た。
「何処行ったんだろう…」
精根尽き果てた顔でヘンリーは現れ、俺達が座る長テーブルには来ず、横にあるソファに座った。タイを緩め、眼鏡を外し、顔を手で覆うヘンリー。重苦しい溜息に俺達迄重苦しくなる。
「如何したの、ヘンリー。」
「在の馬鹿、一枚捺印して無いんだよ…」
「え?確認してたじゃん、ヘンリー。」
「そう何だけれど、在の時、マウリッツを早く帰す事にばっか気が回ってて、ほら、仏蘭西側の書類あるだろう?在れに捺印が無かった。仏蘭西側のだから完全に印判は押してあると思ってた…。此れじゃ陛下に渡せない…」
又一度ヘンリーは溜息を吐き、無言で苛立ちと戦っていた。
誰も言葉を出せず、楽しかった雰囲気は嘘の様に消えた。
「あ、居た居たヘンリーぃ。」
何だ、未だ居たのか、帰った筈だろうと誰もが思ったに違い無いが、明るい声は雰囲気を明るくした。
阿呆王子がのっそりと顔を出し、ヘンリーを手招いた。
「マウリッツ?未だ居たの?」
「ムッシュがね、ヘンリー探してたよぅ。」
「馬鹿っ」
「ええ?何でぇ?」
「嗚呼、御免。今のはジョルジュに対して。在の馬鹿は何処?」
「ヘンリーの部屋に居るよぅ。探し回っても仕様が無いから部屋に居なって、そうしたらヘンリーは来るからって云っておいたから多分居るよぅ。」
「有難う、マウリッツ…。君の頭の回転には本当助かるよ…」
「なぁに?気持悪いなぁ…。余り関わらないで。」
「マウリッツもう帰るの?」
「んー、調印式が終わったら急に帰りたくなってねぇ。帰るよぅ。」
明るいが、何だ此の支離滅裂な男は。ヘンリー以外が此の男に一線引いたのは確かだ。陸軍元帥とて、此の男には関わりたく無いらしい。
しかしヘンリーはもう慣れてしまって居るのか笑う。
「じゃあさ、部屋においでよ。」
「ええ…。まぁ、暇だし良いよぅ。」
だから其の支離滅裂な言動を如何にかしてくれ。嫌なら嫌で早く和蘭に帰れば良いだろうと思ったが、何時に無く笑うヘンリーの顔に俺は何も云え無かった。
俺以外がヘンリーの笑顔を知っている。
俺以外がヘンリーを笑わせている。
カップの淵に歯を立てた。




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