It's mine


廊下で在の阿呆王子と出会わした。長身だな、とは調印式の時から思って居たが、こうして横に並ぶと俺と大差無い。寧ろ、俺の方が低い。
「あ、キース?」
「何だ…」
阿呆王子にキース呼ばわりされる覚えは無い。フニャフニャとした笑顔。
「ヘンリー借りて、ゴメンナサイ。」
豪く片言なI'm sorryだった。
「もう話は終わったよぅ。」
「別に和蘭語でも構わないが。」
「んー…………。Bye-bye.」
何処迄も支離滅裂で、我が道を行く阿呆王子だ。
阿呆王子は多分側近達に引かれて行った。彼等は軍服を着ておらず、言葉が異様に丁寧で、先ず元帥達の顔では無かった。なので側近、に違いない。違った場合は見張りの死活問題だ。
「ヘンリー、俺だ。入るぞ。」
普通俺達は、ノックをしただけで返事は待たない。日本は返事を聞いてドアーを開けるらしいが、其れを実践すれば良かったと思った。
「嗚呼、キース。君もする?ポーカー。」
「又負けた…………。坊やに負けた、ベイリーちゃんにも負けた…。負け続けだ…、破産する…。いや…、破産する金さえ無い…」
「あはは、丸で仏蘭西みたいだ。ジョルジュ、ポーカー弱過ぎ。まあ、マウリッツが異様に強いんだけどね…。俺も破産寸前だ。」
「ねえ、やっぱり貴族だから?貴族だから強いのか?」
「マウリッツの趣味、母親相手にポーカーらしいからね。マウリッツを入れてポーカーをするのは今後一切止め様。」
カードとコインが並ぶテーブル。そして仏蘭西語も“散らかって”いた。
ヘンリーはディーラーの様な手付きでカードを切り、掌で数回整えた。
「する?」
「いや、しない。」
「ね、詰まんない男でしょう。ポーカーみたいな男。」
俺を指し、“彼”に愛想笑いを向けた。
“彼”は鼻で笑い、咥えていた煙草を消し、カップの中身を空にするとソファから立ち上がった。
「此れ以上負けたく無いから帰る。」
「独逸に消されろ。」
「………嗚呼、ポーカー何てするんじゃ無かった…。其れでは元帥殿、又今度。」
「“御気を付けて”。」
ヘンリー達の会話は判らない。だからヘンリーが笑った理由も、“彼”が含み笑いした理由も判らない。俺が“彼”に対して悋気したのは判った。
廊下に靴音が響き、遠退いたのを確認した。ヘンリーはカードとコインを箱に仕舞い、灰皿の中を捨て、テーブルを拭いた。
「何か用?」
捲っていた袖を直し乍ら云うヘンリー。勿論、俺の顔等見て居なかった。
「久し振りに会った恋人に云う台詞が其れか?」
ヘンリーの動きは止まり、緑の目だけが動き、一瞥して終わった。
「用が無いなら出て。今から仕事するんだ。」
机の上に書類を並べ、椅子を引く。座りはせず書類を確認し、必要な書類を棚から探す。
「日本…日本…。あれ…」
目当ての書類が見付から無いのか、ヘンリーはドアーに、俺に近付き、素通りすると廊下に叫んだ。
「サー、日本の書類は何処。」
「其れでしたら………、嗚呼、奥です。」
「有難う。」
此の棚は動くらしく、動かし又棚を調べた。俺は完全に背景と化して居る。
「ヘンリー。」
「未だ居たんだ…」
さっき素通りしただろう、と云う言葉は飲み込み、ヘンリーが座る椅子に座った。腹が立つ程ふかふかしていた。
「…………キース。退いてよ。」
「おいで。」
困り顔のヘンリーの腕を引き、膝に乗せた。
「ハニー………、邪魔しないで。」
けれど声は笑って居た。
「邪魔はしない。俺に座った侭で仕事すれば良いさ。」
「嗚呼そう。じゃあそうする。」
椅子を回転させ、机と向き合わせた。少し丸くなったヘンリーの背中に顔を乗せ、ヘンリーの鼓動と息遣いを聞いた。タイプライターの音は心地好く、時偶鳴る、チン、に笑いが出る。
「紙、紙…」
引き難そうに椅子を引き、机の引き出しから紙を出し、又打ち始めた。
ジッジッ、パチパチ、チン。
歌みたいだった。
三十分近く其の歌を聞き、終わったのかヘンリーは首を倒し、背中を伸ばした。こつこつと爪を机に当て、暫く何かを考え、又タイプライターに向かった。其の速度は速く、仕事の内容で無いのは判った。
「間違えた、まあ良いか。読むのはミスターだ。」
此れは五分程で終わり、大型の封筒と普通の封筒を取り出し、両方に封をした。大型封筒に印を数個押し、此れは勿論、英吉利からと云う証だ。もう一つの封筒には蝋を垂らし型を付けた。
「珍しいな、其の印章使うの。」
「偶には使わないとね。」
イニシャルの“H”と“B”が奇怪な紋様に施されて居る。一見花に見える其の印、拝める人間は少ない。尤も俺は、其の印を知って居るだけで貰った事は無い。
「嗚呼、終わった…」
ヘンリーは俺に凭れ、肩に乗せた顔を少し動かした。
「タイ緩めてくれる?」
「御次は?」
「キスして、ハニー。」
口に感じた苦味。マッチの味もした。びりと痺れが走り、口を離した。
「ヘンリー、煙草吸った…?」
「何で判るの、吸わない癖に。」
素朴な疑問で墓穴を掘った。
俺達は煙草を吸わない。尤も、ヘンリーはパイプを嗜むが舌が麻痺する様な味はしない。パイプの味はもっと柔らかく、匂いと同じに微かな甘さがある。
吸わない俺が何故知って居るか。
奇麗な顔に奇麗な緩みが表れ、そして久し振りに聞いた。
「ハニー、浮気は駄目だよ。」
何ヶ月其の言葉を聞きたかった。其の言葉を聞きたいから。
「君は俺の物だよ、ハニー。」
俺も大概、イカレてる。




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