西班牙の情熱


雰囲気からしてキースの育ちが良い事は判っていた。最初は海軍だからだろうと思って居たが、口調も身の熟しも群を抜けてスマートだ。
「俺の実家に行きたい?何で又行き成り。」
キースは俺の家族を知って居る。なのに俺は知らない。不公平では無いか。
そう不満を漏らすと、キースは溜息を吐き、渋々頷いた。そして変な事を聞いた。
母親に会いたいのか、父親に会いたいのか、と。
「別々なの?」
「嗚呼。同じロンドンには居るがな。」
俺は正直、両親に会いたい、と云うよりは“仮装の恋人”の姉に会いたかった。何故そう思うか。一度キースに、リンダ・ヴォイドと姉何方が好きか、と聞いた時暫く考えたからだ。キースの女嫌いは異常で、理由は知らないが殺意さえ抱いて居る。そんなキースが考える程なのだから余程の人なのだろうと勝手に解釈し、会いたくなった。
姉は母親と一緒らしく、結果母親になった。
ヨークから汽車で数時間、ロンドンに向かった。相変わらずロンドンは殺伐とし、人は溢れ返って居るのに何処か死んでいた。俺が過ごして居る時と変わらず、渇いた冷たい空気が流れている。
ロンドンは、何時からこんな悲しい街になったのだろう。キースは、ずっと昔からと寒そうに白い息を周りに散らした。
冬のロンドンは、寂しい。空も街も人も、全部死ぬ。活気が無い訳では無い。活気は充分過ぎる程あるのに、其処に心が存在しない。だから寂しい。
「ロンドンは嫌いだ。」
誰に云う訳でも無くキースは吐き、俺は横目で見ただけで何も云わなかった。
「こんな薄汚れた、人の憎悪で出来上がった様な街が英吉利かと思うと、吐き気がする。」
此処には夢も希望も無い、とキースは足を進めた。
俺もそう思う。
ロンドンは確かに、夢を見せてはくれるが、存在等しない。作られた夢の中で現実を直視させ、風化させるのが此の街だ。全てを打ち砕かれた俺が云うのだから間違いない。
此処に居る人間は皆、誰かの所為にして生きて居る。治安が悪いのも、不景気なのも、夢が消えたのも、都合の悪い事は全て他人の所為。其れがロンドンと云う街から心を奪った。薄暗い空は、ある意味御似合いなのであろう。
馬車に乗り、暫くしてキースの家に着いた。予想通りと云うか、母子二人だけが住む家にしては豪く立派で、懐かしむ様に取り囲む塀を手の甲で撫でた。少し微笑むキースに、俺は何処か安堵した。ロンドンに着いてからの顔は険しく、又怯えて居る様にも見えた。
「キース、待ってたよ。」
「会いたかった、ディアナ。」
噂通りのはっきりとした美女で、全てを吸い込みそうな程大きな奇麗な目をして居た。
ディアナは強くキースを抱き締め、離れると俺を見た。
「彼が、貴方の太陽?」
奇麗な髪ね、と云われたがディアナも息を飲む様な奇麗な髪を持つ。目も髪も声もどれも太陽に愛されそうな程奇麗で、正直ロンドンには不釣り合いだった。ディアナはこんな荒廃した場所より、西班牙の太陽が似合う。けれど其の笑顔はどんな太陽よりも魅力的で、太陽其の物に思えた。
互いに挨拶を交わし、キースの顔から緊張が取れた。誰にも心中を見せず、許さないキースが唯一全てを見せる人間、しかも女性。無邪気に笑うのを見たのは、実際此れが初めてだった。
「疲れた…」
家を出てから、ずっと緊張し、肩を張って居たキースは脱力し、ディアナの細い肩に頭を乗せた。
「彼氏が怖い顔で見てるよ。」
頭を撫で乍ら俺を見、姉と云うよりは母親と云う感じだった。俺の事は空気か何かかと思って、と腕を広げ暫く無言で二人を見て居た。
二人は本当に仲が良く、恋人同士と云われれば完璧だった。迫力美女で情熱的、太陽の様に魅力的。本当に此の二人が姉弟なのか疑わしい。
ディアナを形容する物は、余りにもキースと掛け離れて居たから。
エゴイスティックでサディスティック、キースの形容は此れだから。
「ディアナ、甘えて良い?」
「既に甘えてんのに?」
「もっと、ぎゅってして。」
目の前に居る男は、キースで無いに違い無い。図体でかく、鼻で人を笑い見下し、威圧感で人を殺せそうなキースが、猫撫で声を出し、尚且猫みたく鼻を擦り寄せ甘えて居る。人を馬鹿にする為だけに存在している御自慢の鼻を、だ。屹度俺は、悪い夢を見て居るに違い無い。
だって余りにも気持悪過ぎる。
俺は案の定言葉を失い、瞼を痙攣させた。瞬きが上手く出来無い程動揺し、状況を整理把握する為顔を逸らした。其れにディアナは気付き、キースの腰に回して居た腕を解いた。
「貴方の太陽が、陰って居るね。」
「え?」
俺はどきりとした。
ディアナの声には見た目同様艶があり低く、こんな声で愛を囁かれたら落ちない男は居ないのでは無かろうかと思う程セクシーだ。
「問題無いです、ええ全く。如何ぞ、美しい姉弟愛の続きを。」
白々しい台詞は固まって居た。濃くはっきりとした眉毛は片方吊り上がり、長い睫毛の動き一つ一つが強烈な色香を放つ。
ディアナが男だったらどれ程良かったか、全く正反対の間抜けな生き物を呆れた目で見た。




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