西班牙の情熱


ディアナや家の広さにも驚いたが、家に入った俺は、人生最大の驚愕を知った。此の先一生、こんな驚きは無いのでは無かろうかと思う。
「しまった…」
家に入り開口一番、キースは嫌気が差した様な声を出し目元を隠した。
「ディアナ…、俺頼んだよな…」
「完全に忘れてた。可哀相じゃん。」
からからと、陰湿な溜息を吐くキースを暢気に笑うディアナ、其の後ろの存在に俺は驚いたのだ。
厳格さと気品を全身から溢れさせるモノクルを嵌めたスーツ姿の男。小説で良く出て来る。
存在は知って居ても本当に存在するとは知らなかった。
「…………執事だ…」
「ヘンリー…、此奴の存在は忘れてくれ無いか…?バッカス、向こうに行ってくれないか。」
バッカス、と呼ばれた執事は一礼し、何の変哲も無い其れさえ気品が滲み出て居た。其の背中も、見事だ。洗練されて居る。流石は執事、と云う所だろう。
放心し背中を追って居た俺にディアナが目の前で指を鳴らし、大丈夫かと聞かれた。
「バッカスが御好み?キース、如何やら貴方の太陽は執事に心奪われた様よ。」
「いや、そうじゃないです…」
物珍しいだけに過ぎない。が、心奪われたのは確かだろう。
「凄いなって…」
「バッカスは俺が嫌いだ。だから何時も俺に嫌がらせするんだ。何時も何時も、俺が嫌だって事を笑ってするんだ。彼奴は執事の皮を被った悪魔だ、嗚呼そうに決まってる。」
「其れは御前がバッカスを苛めるからでしょう?可哀相に。」
ディアナの真後ろから声が聞こえ、最初はディアナが話して居ると思ったがディアナの口は動いていなかった。
「あら、起きて来たの?」
ディアナの長いカールした髪が揺らぎ、母さん、そう云った。其の髪の揺らぎに俺の頭は何かを思い出す様に締め付けられた。一瞬で俺の身体に緊張が走り、変な場所は無いか服装を確認した。
「ほら、な。バッカスは何時も俺が嫌な事をする。」
三人に背を向け、頭を抱え足を鳴らした。
「何を仰る。奥様は此の時間、毎日、庭の散歩を為さります。」
「今日位部屋に居たら良いだろう。こんな、鼠色の空の下散歩したって面白く無いだろう。」
「外気に触れるのですよ。」
きぃ、と歯車が回る音を聞いた。深紅のヴェルヴェット地を、カトレアの花弁の様に造形された、何とも贅沢で情熱的な車椅子に其の声の主は座って居た。
「奇麗な、靴だね。」
杖先で靴を叩かれ、俺は愛想笑いをした。キースの母親が車椅子に乗って居るからでは無い、其の威圧感が母さんそっくりだったから。
「靴が奇麗な奴は、育ちが良い。まあ、あんたの場合、顔見りゃ判るがな。」
昔のリンダ・ヴォイドそっくりだ、そう云った。
俺は、此の顔に見覚えがあった。一度だけ、相当昔に見た事がある。
黒髪を揺らし、同時に身体を情熱的に揺らす、西班牙の太陽。褐色の肌に、真赤に燃える花弁の様なスカート。
「エレナ…カーノ…」
言葉が出無かった。
口元を隠し、目の前に居る彼女を唯見詰め事しか出来無かった。
たった一度、母さんが主演の映画に、西班牙人の踊り子として出た。役名も何も無い、母さんがした役の感情を表現するだけに踊って居た。母さんの顔と交互に彼女の踊りが映り、其の力強さと情熱に、俺は目を奪われた。
本当は母さんが踊る予定だった。彼女は母さんにフラメンコを教える為に呼ばれ、けれど母さんは全く覚えられず、結果彼女がスクリーンに映った。顔は一瞬しか映って居ない。けれど俺には判る。
だって俺は、其の場所に居たから。

「やだやだ、一寸待って。此れ手が攣りそう。腰も折れそう…」
「コルセットでがちがちに固めた御自慢の腰がね。」
「邪魔ね、此のスカート…。おまけに重たい…」
「ねえリンダ。」
「何?」
「貴女の坊やの方が、才能あるかもね。」
「一寸…っ?やだっ、ヘンリーっ。止めてっ。ストールを腰に巻か………嗚呼…。ヘンリーのフラメンコ用にするわ…」
「教えてあげましょうか?可愛い踊り子さん。」

六歳の在の記憶が強烈に、そして情熱的に俺の頭に蘇えった。在のリズムも、靴の音も、掛け声も、揺れるエレナの全てが、俺を情熱的に愛した。
俺がディアナに異様な思いを抱いたのは、此の情熱的に地中で揺れ乍らずっと萌える時を待って居た潜在意識の所為だった。
そして同時に、もう一つの記憶を俺に教えた。情熱的に、官能的に。
俺とは正反対に詰まらなさそうな目でステージを見る子供。子役にしては、在の映画には女の子しか出て居なかった。母さんに聞いても、そんな子供居た?と流された。
俺は恐る恐るキースを見、険しい顔で首を傾げられた。
「キース…?」
「何だ?」
「俺、君に一度会った事がある。」
「は?」
キースは思ったに違いない。キースが自分を同性愛者だと自覚したのは四歳の時で、キース曰く俺は、理想が服着て歩いてる、らしいから、会った事があるのならそんな俺を忘れる筈が無いと。
けれど俺は、確かにキースに会って居る。
在の時、在の情熱的な場所で。
「六歳の時、俺は君に会ってる…」
全細胞を震え上がらす情熱、其れは俺に眩暈を教えた。
撮影場の裏で、俺達は……。

「サッカー上手だね。教えて。」
「……御前には無理だよ。」
「御前、じゃ無くてハ…」
「別に興味無い。俺は一人が好き何だ。あっち行ってくれ。」
「暇なの、遊んでよ。ねえ。」
「又今度な。」
「又って?何時?」
「煩い。あっち行けよ、ボールぶつけるぞ。」
「………次会ったら、教えてくれる…?」
「嗚呼。」
「絶対だよ?約束ね?」

其れから彼女は現場に来る予定は無くなった。当然、在の少年、キースに会う事は無かった。
思い出した俺は頭を振り、キースを見上げた。
「サッカー、教えてくれるって…」
「サッカー……?」
キースは目を細め、必死に記憶を辿って居た。けれどキースの記憶力の悪さは、並大抵では無い。忘れ物は日常茶飯事で、数分前の出来事さえ覚えて居ない。嫌と云う程知って居る俺は余り期待はしなかった。
しかし、俺達はこうして繋がる。
「思い出した…」
「キース…」
「在の時の、生意気女…」
情熱で無い何かが俺を震わせ、ディアナの口笛を聞いた。
「俺を女だと思ってたのかっ?」
「何も叩く事無いだろうっ?声も女みたく高くて、第一スカート履いてただろう。」
「在れはストールを巻いてたの。君は在の時から偏屈で傲慢で、口癖は“又今度”だったのか。」
「進歩しないね、キース。趣味も全然変わって無い。」
叩かれた頬を触るキースにディアナは笑い掛け、腕を伸ばし顎を撫でた。細い腕に絡み付くブレスレットが心地好い音を出し、タイトなロングスカートのスリットから褐色肌の張りのある脚が覗いた。
「貴方云ってたじゃない。彼奴が男なら良かったって。ヘンリーのダンスに撃ち抜かれたんだよね。」
「何で云うんだよ。」
「ヘンリー。」
褐色肌の所為でディアナの腕はTwiggyみたいで、左右のブレスレットは鳴る。羽の様に両腕を動かし、官能的な手付きで顔を撫でられた。
「いらっしゃい。」
「待って、俺はもう踊れないんだ。」
「身体は覚えてるんだよ。」
「勘弁して、骨が中から……嗚呼…」
魔性の女は、屹度ディアナみたい何だと思う。性別も性癖も関係無く、全ての人間を官能的に誘い、情熱的に愛してくれる。
其のディアナの魔性に誘われた俺は情けない溜息を貰らし、スリットから伸びた足は両足の間に伸びた。
「腰を落として、腕を引いて。」
「嗚呼、腰行きそう…」
「Uno,Dos,Tres,Cuatro.そうそう、踊れるじゃない。」
ヒールとブレスレットの音が細胞に染み渡り、もう踊れないと思って居た俺とキースは、神に改めて感謝した。
腰が死ぬ程痛い。足だって震える。けれど、そんな感覚を全て払い去る程にディアナの情熱と蓄音機から流れるリズムは俺を愛した。
「キースっ、俺、踊れてるよっ」
「ディアナ、代わって。」
「貴方踊れないじゃない。」
今日だけは私の太陽、そう云われ、落ちない奴は居ないだろう。
俺は思う。
ディアナが男なら、本当に良かった。
でも屹度、ディアナが男でも俺はキースに惚れて居たに違いない。在の時、母さんのストールを巻いて踊って居た俺を、太陽と同じ様に情熱的に見て居た目を、俺は細胞に記憶させて居たんだから。
俺が才能を神に剥奪されたのは、やっぱり間違いじゃ無かった様、俺を見詰める西班牙の太陽を見て思う。




*prev|2/2|next#
T-ss