愛しき支配者へ永遠の愛を
壁に掛かる軍服をコハクは眺め、動物を撫でる様に優しく撫でて居た。
「此れ、貰って良い?ヘンリー。もう、着ないでしょう?正装してるんだし。」
正装し、柩に眠るヘンリーにコハクは問い掛けた。
「眼鏡掛ける?」
「掛けないと誰か判って貰えないぞ。」
「そうかな。俺は判るよ。」
「陛下は判らん。」
マットは笑い、眼鏡を掛けて少し髪を整えた。
大好きなラベンダーを一杯敷き詰め、柩の中は、信じられない位良い匂いがする。
「人間って、リンダの時も思ったけど、死ぬと皮膚が張って、皺が消えるね。」
私も死のうかしら、と鏡を覗き、目元の皺を撫で乍らコハクは云った。
「困るよ、コハク。」
「皺がある方が困るのよ。」
「君迄居なくなったら俺、俺…。十代の若い娘と再婚するよ。」
瞬間マットは股間を蹴り上げられ、蹲り悶絶するマットに俺は哀れな目を向け、そして懐かしさを感じた。
「浮気は駄目よ、ハニー。」
「判ったよ…、ハニー…」
ヴィクトリアは良く判らない声で笑い、アーサーはぽかんと哀れな父親を眺めて居た。ヴィクトリアの笑い声は、とてもで無いが形容し切れない。コハクの“ひゃっはー”とマットの“んふふ”が混ざり、気持悪い事此の上無い。強いて形容するなら“んーひゃはんーふぅ”と、ヘンリーが真似た。
辛気臭いのが大嫌いなヘンリー。常に明るく、笑い、そして沢山の愛を振り撒いて居た。此の告別式は、まあまあヘンリーに近いのでは無いだろうか。葬儀は心配する事無かれ、国葬で盛大になる。
「よう、キース。久し振りに見たけど、正装だと一層男前だな。目が眩むよ。」
「首が既に痛い。明日は筋肉痛だ。」
「御前じゃなくて、ヘンリー。」
一瞬無言になり、二人で大袈裟に笑い、又無言になった。
彼は持って居たラベンダーを柩に置き、自分の唇に指先を付け、ヘンリーの唇に付けた。花を手向けに来た奴等は皆同じ動作をし、ヘンリーの身体は殆ど見え無くなった。
「花が多い。顔が埋もれる。国葬の時には唯のラベンダーの箱だな。花屋が開ける。」
「だからって捨てる訳にはいかないでしょう?」
「もっと、下にやれ。」
マットに指示を出し、十字架を握る手が見えた時、会場が一瞬にして静かになった。如何やら原因は、俺達の後ろに見られた。
「在れ誰…?」
「在れとか云っちゃ駄目だよっ、アーサー。」
子供達の小声が響き、葬儀場に向かおうとして居た奴等の足は止まり、代わりに俺の真後ろで全く違う靴音が止まった。
「ヘンリーぃ、会いに来たよぅ。」
「俺も居るよ、アンリ。」
間延びした二つの声。忘れもしない其の声。
「何、で……」
俺は振り返り、其の二人を驚きの目で見た。
「其処の麗しき、マドモアゼル・ヴォイドに誘われてね。」
男の細い手はコハクに向き、手を救い上げると甲にキスをし、ウィンクを流した。
「違うよぅ、僕が誘ったんだよぅ。そしたら本当に来ちゃったんだよぅ。」
彼はうんざりした顔で吐き、同じ様に黒い手を、俺に向けた。胸に置き、片膝を屈し、其れを見た男は同じ格好をした。彼の後ろに付く側近達も、又同じに膝を付いた。静まり返って居た其の場は、信じられないと云った声を漏らし始め、そして声は騒がしくなった。
「和蘭陸軍元帥、マウリッツ・ファン・オールドです。心依り御悔やみ申し上げるのと同時に、貴方様に神とハロルド氏の御加護が有らん事を。」
「元仏蘭西陸軍元帥、ジョルジュ・クレマン・シャルル=ロワ、共に戦ったマーシャル ベイリーに最後の別れを致しに参りました。」
周りが驚いたのも無理は無い。現に俺が一番驚いて居る。放心した侭唖然と二人を眺め、一番最初に応えたのはコハクで、ふんわりとスカートと摘み上げ、続けてマットが膝を付いた。
「御心使い、痛み入りますわ。国王陛下。」
「今日は、公務じゃないよぅ。マント無いでしょう?」
彼は緊張した顔を緩ませ、ふっと笑う。
「そうそう。プライヴェートだよ、マドモアゼル。」
「あたくしは御嬢さんじゃなくてよ、ムッシュ ロワ。」
「嗚呼、其れは失礼を。レイディ・ヴォイド。」
ジョルジュは又ウィンクし、若しかして此奴は、左顔面が痙攣か何をして居るのでは無いかと疑った。
漸く状態が飲み込めた俺は膝を付こうとしたが、其れを彼に止められた。
「云ったよねぇ、今日は私用だって。貴方が僕に膝を付く理由は無いよぅ。」
云って彼は立ち、後ろにしゃがむ側近の一人から細長い箱を受け取った。其の箱を切なそうに眺め、赤いリボンが結ばれる蓋を床に落とし乍ら足を柩に向けた。
「ヘンリーさぁ、前に云ったよねぇ。紫のチューリップって、青って云うよりは、赤に近いよね、って。」
箱から出された一輪の花。其れは見事に、紫を、ヘンリーの好きなラベンダー色をして居たが、俺には其の花が、彼の云ったチューリップとは少し違って見えた。
「僕、作ったんだぁ。見てよぅ、一瞬見たら、薔薇みたいでしょう?頑張って作ったんだぁ…。此れを…、誕生日に渡したかったんだぁ……。英吉利の国花は、薔薇でしょう…?和蘭と英吉利だよぅ。」
だから此のチューリップは、チューリップであるのに、薔薇の形状に良く似て居る。
「奇麗でしょう…?ヘンリー…。昔さぁ…サプライズで僕の誕生日、してくれたよねぇ…。僕でさえ忘れてたのに。真冬なのに、オレンジ色のチューリップを部屋一杯に敷き詰めてさぁ、如何したの?って聞いたら、今日の為に温室で育てたって。嬉しかったんだぁ…僕…。其れを、今年こそ、やっと…、やっとヘンリーに出来るって、思ってたんだぁ…」
貴方は何時も僕を驚かすね、と十字架の上にそっと置いた。
コハクがヘンリーに伝言した、完治したら一度来て、は此れだった。
そうだ、今は一月だ。一月の、十日だ。
「紫チューリップの花言葉は、永遠の愛情だよぅ……」
彼は終始声を震わせはして居たが、決して涙は見せて居なかった。トッツィンズと額にキスした時、兎みたく真赤な目元から大量の涙が溢れ出した。其れを消す様に彼は其の侭唇を離すと、俺達に挨拶する事無く側近を引き連れ踵を返した。
「今日、髪の毛、巻いて無かったね。」
「え?」
コハクの言葉に俺は彼が消えた入口を眺め、云われて見れば少し雰囲気が違って居た。其れは年の所為と、一度しか彼に会った事が無い曖昧な記憶の所為だろうと思って居た。しかしコハクは首を振り、彼の髪の毛は何時如何なる時でも必ず巻いて居ると、軍服の事しか頭に無かったのね陛下、そう言葉を漏らした。
「切羽詰まってたからねえ、坊や。」
完成に存在を忘れて居たが、此の男も居た。彼の存在が余りに強過ぎた為、ジョルジュは完全に空気と化して居た。
「御前、未だ居たのか。挨拶するならしろ、頼んで無いが。」
「一寸一寸。幾ら俺が元彼だからって冷たくないですかあ?」
「喧しい。帰るなら帰れ。」
「はいはい。」
ジョルジュは持って居た紙袋を俺に突き出し、又ウィンクをした。此奴は思うに、英吉利人を怒らす為に改良された人間なのでは無いかと、俺もマットもジョルジュに苛立ちを覚えて仕様が無い。
「コハク、其の手袋捨てなね。」
「一寸、何?性格の悪さは其方さん似?目はアンリみたく優しいのに。」
「俺は性格もダンに似てますから御安心をっ」
「嗚呼、マットはヘンリー似だ。」
「云われて見れば、アンリも俺には冷たかったわ。」
英吉利人は冷たいとジョルジュはふらふらと歩き椅子に座った。何時も仏蘭西人を見て思うが、仏蘭西人は何故あんな独特な歩き方を揃ってするのか、大戦時からの謎だ。
第一、何故無言で紙袋を渡した。ヘンリーに渡す物なら直接渡せば良いのに、抑此れは何だ。
仏蘭西人が、謎過ぎて、頭がおかしくなりそうだ。
「何で座ってるんだ?」
「疲れたから。」
「なら序でに聞く。紙袋の中身は何だ。」
険しい顔の俺とは真逆にジョルジュはへらへら笑い、開けて見たら?と挑発した。開け、行き成り爆発等したら堪った物では無い。ヘンリーと一緒に国葬して貰う羽目になる。
不信な目をジョルジュに向け、マットに渡したが、丁重に返された。
「心配無いって、唯の靴だよ。嫌だよ英吉利人って。人を疑う事から始めて。」
其れは自分の人格の所為では無いだろうか。云ってやろうとしたが、俺が話す前にジョルジュが口を開いた。
「ヘンリーの、夢が、沢山詰まった、世界に一足だけの靴。」
「夢…?」
「必死で探したよ。何年も、何十年も。在の部屋にあった荷物は全部、軍か英吉利の警察に押収されてた。三十年以上も前の事だから、諦めたよ。でも奇跡って、起こるんだな。」
柔らかく笑い、紙袋から出て来たのは云われた通りの靴だった。元は真黒の革靴であろうが変色し、ヘンリーの物とは想像出来無い程爪先や踵が潰れて居た。ヘンリーは知っての通り、靴だけは完璧で無ければならないと周りに云って居る。
そんなヘンリーの靴が、擦り減って居る。
「アンリ、御待たせ。御前の夢、返しに来たよ。」
折角俺が履かせた靴をジョルジュは無残に脱がし、其の靴を嵌めた。
「此れで、夢が叶うよ。アンリ、御免な。夢、壊しちゃって。アンリはさ、自分が母さんの夢を壊したって歎いてたけど、在れは違うよ。全部、俺の所為。リンダに謝って於いて。」
数回ヘンリーの頭を撫で、折角整えたのにとマットは口だけ動かした。
「大好きだったよ、御前が此の靴で踊る姿。天国で存分に、神様相手にリンダと踊りなよ。」
ジョルジュは額や唇では無く靴にキスをし、神様頼むよ、と安楽其の物の笑顔で俺を見た。
俺は今直ぐにでも此の靴を脱がし、奇麗な靴を履かせたいのだが、靴底に印されて居た名前とヘンリーの夢に、其れは出来無かった。
――母さんの後ろで踊るには、父さんの靴が必要何だ。
更正施設で繰り返し聞いた言葉。何年経っても、誰よりも秀でた柔軟性と身体力を持っても、ヘンリーは絶対に踊ろうとはしなかった。そして其の理由は何時しか、年だから、と言い訳に変換された。
「確かに返したよ。アンリの父親が作った靴。」
「此れで、踊れるか?」
「勿論。」
「そうか…。有難う。」
俺は素直に感じた事を云う性分だが、俺が感謝の言葉を述べるのはそんなに不思議な事であろうか。ジョルジュが気味悪そうな顔を向けただけなら未だしも、何故息子のマットに迄同じ様な顔をされなければならないのか。納得いかない。
「所でムッシュ、今は何をしてるんだ?」
元陸軍元帥と云った。まさか又、売人では無いのかと不安が過ぎった。
「今?今はね、愛と夢を見付けてる最中さあ。暫くは英吉利に居るから、俺を見付けたら逃げて。」
「是非そうする。」
「俺、逃げられたり冷たくされると燃えるんだよ。」
へらへら笑う其の顔に悪寒がした。
「近付くな…」
「良いねえ、もっと逃げてよ。」
「頼む、近付かないでくれ…」
久し振りに、他人に恐怖を感じた。俺は無節操だが、好み位ある。選ぶ権利は俺にだってある。
「アドミラル ベイリー。国王陛下御到着為さいましたので葬儀に移らせて頂きます。」
「英国海軍元帥とか、最高。」
「蓋締めて、其の上から国旗と花輪ね。相変わらず奇麗だなあ、マーシャル。写真撮って於こうかな。」
「待てっ。待て御前等っ。俺の指示無しに勝手に…………」
俺の言葉の途中で柩の蓋は締まり、靡く国旗を視界に入れた。
何で、最後の最後にヘンリーの顔が見れないんだ。
何で、此奴の顔を、唇の感触を、人生で一番悲しい時に知らないといけないんだ。
「元気出た?」
ジョルジュは聞くが、元気等出ない。精根尽き果て、葬儀に出る力が無い。マットも放心し、コハクは矢張り“ひゃっはー”と笑った。
ヘンリーの部下達は準備で俺に構って居なかったので、其れは安心した。
「頼む…。柩をもう一度開けてくれ…」
「未だ見たいんですか?陛下も御忙しいんですよ。」
折角奇麗に出来たのにとぶつくさ文句を云い乍らも、俺は海軍元帥だ。彼等は素直に従った。木の摩れる音がし、半分覗いた顔に俺は心臓が止まり掛けた。電灯が眼鏡に反射し、反射した光は何色に見えると思う。
そう、緑だ。其れも澄んだ奇麗な緑だ。
「ヘ…………」
浮気は駄目だよ、ハニー………
何処からとも無く聞こえた声。此れは幻聴等では無い。
「嗚呼、一生御前だけだ…。御前だけを、愛してる…ヘンリー…」
ヘンリーは一番最後に、きつい仕置きくれ、魂が抜け落ちた俺は柩に縋り付き、此れから先一生分の愛を捧げた。
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