愛しき支配者へ永遠の愛を
ヘンリーは多分、コハクを待って居たのだと思う。マットが来た時以上にヘンリーは喜び、もっと顔を良く見せて、と何度も髪を、顔を、手を撫でた。
「コハク、君は、母さん以上の女優だよ。ヴォイドの名前を復活させてくれて、有難う。」
本来なら自分がそうしたかった。
ヘンリーの言葉に俺は胸が締め付けられた。コハクはヘンリーの手を頬に付け、唯笑い、頷いて居た。一語一語、きちんと頭に残る様に。
「そうだ、伝言。」
ヘンリーの指先にキスをし、コハクは笑う。
「和蘭の国王様がね。」
「………マウリッツ?」
「うん。マウリッツ国王陛下。」
「早く死んでねぇ、トッツィーンズ、とかじゃないよね?」
二人は笑い、聞いた伝言にヘンリーは一瞬目を見開き、気持悪い、と身震い起こし涙を溜めた。
「大好きだよぉ、ヘンリー。完治したら僕に会いに来てねぇ。貴方に見せたい物があるんだぁ。」
「…似てるね。語尾の上がり具合が特に。本人かと思った。」
「女優だもん。」
「嗚呼、そうだった。」
ヘンリーは笑い、コハクから手を離すと俺に伸ばした。話し疲れたのか、ヘンリーは目を暝った侭俺の手を握って居た。俺は特に話す事は無く、ずっとヘンリーの手を撫でて居た。
一時間程そうして居た。其の間短い会話を数回繰り返し、けれどヘンリーはずっと目を暝った侭、口元だけを緩ませた。ふっと目が開き、壁に掛かるポスターに視線を流した。
リンダ・ヴォイド最後の映画のポスター。上演される事は無く、リンダも其の映画も、世間から姿を消した。
一分程瞬きせず凝視し、ヘンリーは一言、母さん、そう云った。
「此の映画、どんなだったんだろう。」
「其れな。コハクが先日迄撮影してた。」
「本当?コハクって、良く母さんの二番煎じするね。」
其れは違うと云ってやった。
今の今迄、コハクが一番最初、在のウエストウッド通りをする迄、リンダ・ヴォイド主演の映画はリンダだけの物だった。
其れは何故か。
リンダ・ヴォイド以上の女優が居なかった為だ。最高にセクシーで、最高にクイーンで、最高にラヴリーな女が、此の英吉利には存在し無かった。
そんな女優が居ない訳では勿論無い。唯、其の女優達は、セクシーであろうがラヴリーであろうがファニーであろうが、どんなにオーラがあっても、其れ等全てを結合させる事が出来無い。リンダ・ヴォイドを超えられ無い。
だから今迄、リンダの映画はリンダ・ヴォイドの物だった。
其の常識とも云える事を、コハクは、リンダは崩した。
今や英国一の女優は、コハク・ヴォイド、其れが常識になった。
「嗚呼、だから名前が二つあるのか、コハクは。疑問に思ってたんだよね。」
リンダ映画の時コハクの名前は、アンバー・ヴォイドになる。此れはコハクの信念で、
「リンダの映画はリンダ・ヴォイドの物。リメイク女優は絶対に私だけれど、全ての映画はリンダ・ヴォイドの物。コハク・ヴォイドの物になっては決していけないの。」
だからと、全く違うヴォイドを作り出した。其れが、アンバー・ヴォイドだ。今回の台本を見た時、主演女優にアンバー・ヴォイドと書いてあり、尚且、制作年が丁度此のポスターの年と同じだ。リンダの映画を見て居ないのではっきりと核心は持てないが、台本の内容と此のポスターの構図は一致して居る。
世界各国を自由に掛け回る、時空空間移動女。ドアーを開ければ違う国、違う男。けれど此れは、精神疾患の女が、病院の中でずっと見て居た仮装世界と云う落ちだ。俺の様に、自分の生まれた国しか知らない女が、他の国に思いを馳せ、そして其の強過ぎた思いが頭の中の空想世界を築き居たと云う、サイコロマンス。此れのポスターの構図は、ドアーを開けるリンダの後ろ姿の下に、世界地図のジグソーパズルが散乱して居る。
「見たいね。」
「嗚呼。」
半年後には封切りだからと、俺達は約束した。けれどヘンリーは、俺に其の約束を果たさせてはくれ無かった。
ポスターから目を離したヘンリーは俺を見付け、柔らかく笑う。だから俺も、同じ様に笑い返した。
「キスしてハニー。」
「寝るか?」
「うん。三十分経ったら起こして。マットに買物を頼みたいんだ。」
一度唇を重ね、額を付けた侭聞いた。
「愛してるよ。」
大好きな海が曲線を描き、強く手を握り締め、もう一度キスをした。胸に置いて居る手にヘンリーの鼓動が静かに優しく伝わり、頬には息使いを知る。其れが其の三十秒後には、全く伝わらなくなった。
とんとんとん、と打って居た心臓が、と、と、と、と大きな間隔となり、小さく微かな振動を一度俺に教えると、頬に当たって居た息が消えた。
「ヘンリー…」
掴んで居た手から少し力が抜け、すとんと俺の手から抜け落ちた。
「ヘンリー、三十分後には、起こせそうにない。」
深くキスをしても、反応は無く、ベッドから離れると、部屋を出た。リビングに向かい、其処に居るマットは、俺を顔を見るを引き攣った笑顔で俺を見た。
「何?怖い顔して、喧嘩した?」
「いや…。ヘンリーが、呼んでる。」
「何だろう。」
椅子から立ち上がったマットと真逆に俺は床に座り込んだ。
「一寸、ダッド?」
「医者を、呼んでくれ…」
「医者?」
「其れと、国旗を一枚、用意しないと…。後、後…………」
其の後俺は、何をしたら良い。ヘンリーが居ない世界で、俺は空想世界に居れば良いのか。
「嘘…」
コハクは小さく呟き、持って居たカップを落とした。
「嘘…、嘘だろう…?ダッド…、ねえっ」
マットに激しく揺さ振られても、俺は何も云えず、今さっき迄ヘンリーの手を握って居た手を顔にやった。信じられない程震え、指輪が濁り無い光りを見せて居た。
「ダンっ、ダンっ。」
砲弾の様にマットは走り、二階から悲鳴が聞こえた。俺は放心した侭指輪を見詰め、コハクが電話を掛ける音を聞いた。
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