荊を踏んで、さあ歩け


窓から見えるロンドンの空は、大半は鼠色をして居た。風が窓を揺らし、其れは丸で俺を誘って居る様だった。茜色の葉が舞い、空には良く映えては居た。
置かれた朝食を一瞥もせず、俺は毎日、朝から晩迄窓の外を見て居た。
「キース様。」
「毎日御苦労だな、食べもしない物を運んで。」
腕から伸びる忌々しい管を睨み、引き抜こうとしたが、其れに気付いたのか手首を引かれ尚且頬迄叩かれた。
「バッカスっ」
「御黙り為さい。」
俺は一日何回、此の男に叩かれれば良いのか。執事の分際で、何故主人の息子に手を上げるのか。
「宜しいですか、キース様。一週間前の御自分の御姿、御忘れですか。」
静かに云うが、怒りの感情は嫌と云う程伝わった。
一週間前迄俺は、点滴を抜かない為にベッドに縛り付けられて居た。
「ワタクシは貴方様を守る義務が御座居ます。執事では無く、教育者です。御忘れにならぬ様。」
バッカスはそう云い、手首から手を離しスープを掬う。口元に運ばれたスプーン先を一瞥し、バッカスの手ごと跳ね飛ばした。御自慢のスーツを汚してやり、笑った俺に又張り手が飛んだ。
「糞が…」
又叩かれた。
俺の頬は、未だ午前中だと云うのに赤く腫れた。此の調子で行けば、寝る迄には見事な醜男になれるであろう。
「言葉を改め為さい。ベイリー家の嫡男たる方の言葉ではありません。」
何が、ベイリー家だ。無理矢理に連れて来て、自覚も糞も無い。
「家に、帰してくれ…」
母の、姉の元に帰してくれ。
其れが駄目なら、殺してくれ。
俺がそう恨み言を吐いてもバッカスは無表情で朝食の乗るトレイを持った。
「頼む…、家に帰りたい…」
扉に消えるバッカスの背中に吐いても、バッカスは俺を全く見なかった。膝を抱えて泣いた。毎日毎日、バッカスに叩かれては泣いた。
「キース様…」
そしてそんな俺の頭を撫で、優しく包んでくれるのは決まって世話係のクラークだった。他の世話係は、業務を無視して俺に近付こうともしなかった。其れで給料が貰えるのだから、奴等にして見れば本当に“キース様々”なのであろう。
「ディアナの声が聞きたい…」
抱き締められ、クラークの胸で毎日泣いた。そして、母と姉に、届かない愛を送った。




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