不幸の定義
薬を飲ませると効いたのか、茜は少し笑える様に為った。
「大きに、八雲。楽為ったわ。」
「此処いらで如何するか、真剣に話そや。」
自分のベッドに座り、茜を見る八雲は煙草を咥えた。白い煙が天井に上る、一本消える迄無言だった。
「はっきり云う、此処に居ても、わいは茜の望む事をして遣る事は出来へん。此れは確か。其れでええならわいも文句は無いし、好きにしたらええと思うよ。せやけど、ちゃうやろ?わいに愛されたいんやろ?優しくして貰いたいんやろ?わいは其れが出来へん、ゆうてん。」
八雲の顔は見ず、未だ残る紫煙と新たに加えられた紫煙の渦を茜は真っ直ぐに眺めた。
「不幸やん。茜、其れでほんまにええと思ってんの?」
「思…」
「てたらそうは為らへんよな?」
「ちゃう…」
又何時もの一方的な罵声に為るのをぐっと堪え、煙を吐いた。
「………わいで無いとあかんのか?」
ずくりと、蟀谷が痛んだ。
「わいや無くても、茜やったらなんぼでも倖せにして呉れる男居てるやん。何で態々、こんな男選ぶんや。自ら不幸に突き進んで、茜其れで満足か?」
「何で、勝手に決めるん?」
「あ?」
不幸等、一度でも自分は口にしたか。確かに周りから見たら不幸に見えるかも知れないが、そう為る覚悟であった。唯少し、考えより現実の方が厳しかっただけ。上手く追い付けないだけ、少しすれば平気に思える。
天井の木目に流れる白濁した煙を茜は眺めた。
「御免な、八雲。好きん為って…」
「…………。」
茜の残した水を飲み、三本目の煙草を消した。ベッドから下り、天井を見た侭涙を流す茜に溜息が漏れた。床に座り、前髪をシーツに泳がせた。
「もう、止めよや…、茜が不幸に為るんは目に見えてるし、わいが改善するとは思えへん…」
「…………。」
「わいは如何したらええねん…、不幸の茜見て、わろてたらえんか…?ちゃうやろ…。此れこそほんまにちゃうやろ…」
「八雲…あたしな…」
「こんなわいに惚れて呉れた女一人位、倖せにしたいやないか…。其れも出来へん…、ええ訳あるか…。女一人倖せにも出来へん男が、笑っとれるかい…」
天井の煙が、薄れてゆく。
「女を不幸にするんは簡単やしな、せやけど倖せにするんは困難や…。わいには判らんのや、茜を倖せにする術が。」
ベッドに乗せた頭を抱える様に腕を添え、起き上がった茜は腕に触れた。
「簡単やしな…」
「簡単やったら…」
こんな苦労覚えない、と泣きたいのを堪える顔付きで向いた。引き攣る口角、其れに茜の小さな指先が触れ、ふわりと、煙みたく頼りない唇の感触を重ねた。
「此れで、もう、充分。何も、要らん。」
「茜…」
「気に食わへんかったらなんぼでもゆうて、機嫌悪かったら八つ当たりして、好きでええ、八雲の好きにしてええ。せやから…」
こつんと八雲の頭に額を付け、鈍色に光るレンズに涙を落とした。
「日本帰れて、云わんとって…」
熱く短い呼吸を繰り返す唇にキスをしたのは何故だったのか。
頬を流れる髪は柔らかく、眼鏡を床に放った八雲は舌先で唇の感触を知り乍らキスを繰り返した。煙草の味に塩気が絡まり、肩に減り込んだ爪の痛さに息を吸った。茜の整髪油の匂いを鼻の奥迄送り、口から抜かした。花の微かな匂いは、何を啓示すると云うのか、頬に触れて居た八雲の手はベッドに付いた。
「其れでええンか…」
「構わんわ…、不幸んしたって…。八雲の全てで、不幸んしたってな…」
仰け反った首は折れそうに細く、舌で舐め尽くすには適量だった。しっかりとした首筋から立ち込める八雲の匂い、逃がさない様びったりと鼻を押し付けた。汗が浮き、しっとりとした腕が身体に絡み付く。剥離材でも要るのでは無かろうかと云う程、茜の肌に張り付く。自分の名前を繰り返す唇に触れ、噛まれる行為にさえ声が漏れた。
「茜…茜………」
初めて声を聞いた時とは全く違う、甘さを蓄えた低い声が鼓膜を犯す。じっとりと耳は湿り、呼吸を繰り返すだけの唇を押し分り、舌は八雲の親指と遊んだ。
「世界で二番目の不幸者にしたるわ…」
「一番は…?」
「其れに付き合わされるわい。」
笑った八雲に、世界一素敵なプロポーズ、と茜は答えた。
不幸で見えて良いじゃない、其れが不幸かは、本人にしか判らないんだから。
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