貴方の匂い 私の感度
鼓膜に愛何ぞ教えんでええ。鼻の奥に、匂いさえ教えて呉れたらええ。
ベッドの上に座り、抱き締められ、鎖骨に鼻を乗せた。
「八雲やあ…」
「わいや無かったら誰やねん。」
「本物やあ。」
クローゼットじゃない、本当の狭さ。
土の匂いと太陽の匂い、汗と煙草、そしてほんのりする香水。
考古学者の端くれが何で香水何か付けてるんだ。
思うが、昔から八雲は此の匂いがした。だからと云って体臭で無いのは確か、人工的な匂い。
「茜て、ええ匂い。」
二人揃って、首筋に鼻埋めて、何をしてるんだ。
「昔っから思てた。」
「あたしも思てたよ。」
「わいが付けてるの判るんや。服に付けてる。」
「判るよ。」
判る、なあんでも。
今したい事もね?
キスした侭ベッドに寝て、唇を離さないで何度もキスした。
「茜と結婚して良かったかも。」
「…何も出ないよ…?」
「キス出来る相手が居るて、結構倖せ。」
世界で一番の不幸者とか云って於いてか?私を世界で二番目に不幸にするとか云ったの忘れたんか。
「エッチは出来るけど、キスって出来んしな。」
「一寸待って、誰としたん。」
何を飄々と浮気発言してる。
でも八雲、案外嘘が云えない体質。言い訳とか、出来無いタイプ。
「物の例え。今は無いけど、浮気するとするやん?ほんで考えんねん、嗚呼キスは出来んなあって。」
「他の子見るのもあかんっ」
「見るか、面倒臭い…。モテませんし。第一、わいが女嫌いなの知ってるやん…」
女嫌い…?いや如何なのだろう。色魔みたく度を越した女好きでは無いが、好きではないだろうか。女嫌いと云うか、単に女に恐怖を抱いてる。在の妖怪三姉妹(姉達)の所為で。若し本当に嫌いなら、至高のセックスシンボル、コハク・ヴォイドに執心する筈が無い。小姓津雲みたく、國枝先生の小姓に為る。
「何されるか判らんもの…、怖い怖い…、女怖い…」
饅頭怖いですね?怖いと云って、大好き。
「茜は、わいに何もせぇへん云うの判ったし。」
警戒心の敵愾心、其の塊。人に虐げられた犬みたいに、心を開かない。
「後はもう只管甘やかすに限る。」
「恭子やないか。」
「せやな。」
子供嫌いの八雲が恭子を溺愛するのは、自分に危害を加えないのを知って居るから。八雲は尖った性格をして居る訳では無い、優しくて、人に良く懐く。國枝先生や兄弟子達に可愛がられるのは、そんな性格な為。危害を加えない相手なら、何も吠える必要は無い。八雲は其れを知ってる。私に対してした最初の在の剣幕は、敵愾心の為。女は総じて自分を虐げる、危害を加えられる前に加えれば、相手は寄って来ないから。
在の妖怪三姉妹、けったいな事をして呉れた。
私がこんな苦労を強いられるとは思わなかった。死んだらええねん、在の妖怪共。八雲の苦痛を受けて、死ね。妖怪面晒して何がしたいねん。胸糞悪い妖怪が、夜中見たら吃驚するやないか。松山何か、漏らし掛けたわ。極道びびらすて、本物やないか。
初めから好きでは無かったが、八雲の女に対する敵愾心を知って、益々嫌いに為った。
敵愾心外した八雲は、ねえ、こんなに優しいんよ、知らんやろ、妖怪三姉妹。
いや、在の妖怪三姉妹こそが、敵愾心の魔物なのかも知れん。あんなやから、散々云われたんやろな、ほんで人を嫌いに為ったんやろな。津雲が一番云ったかも知れない。一番性格悪そうだから。「同じ両親とは思えないね…?」とか何とか。出雲は、半分しか血が繋がって無いし、父親の連れ子だから何も云わなかっただろうが、津雲は実姉と妹達尚且在の性格と美貌なので、ずけずけ云ったに違いない。諸悪の根源は、何だ、今も昔も御前か津雲。御前も死ね。八雲連れ出しやがって。中国に迄行く羽目に為ったや無いか。
敵愾心で八雲を捩伏せて、結果出来たのは同じ敵愾心の塊。堂々巡りの敵愾心。でも八雲は考えた。妖怪が妖怪に為った理由を知るから、恭子だけはそう為らない様に、沢山沢山可愛がった。世界で一番可愛いのは、誰が何と云おうが御前だ、繰り返し云ってると、本当にそう思うらしい。
素直に、羨ましかった。八雲に愛されてる恭子が。
そして、阿玉が。
阿玉はほんまに可愛かった。今迄見て来た女の中で一番可愛かった。村一番の可愛子ちゃん小百合よりも可愛かった。八雲が敵愾心外して惚れる筈である。在れは何もしない。人に危害を加えると云う事を知らなそうな、純粋無垢な女。
「なあ八雲。」
「ん?」
「阿玉の事、未だ好き?」
名前に驚きを見せ、少し身体を離した。
「何で…?」
「浮気云々云うたから、阿玉みたいな女が又現れたら。」
そっちに行くんかな、何て思う。
八雲は唸って、枕に頭を乗せると片腕で私を寄せた。
「安心せぇ。」
鼓膜は確かに“愛してる”って云う振動を音にする。嘘も取り繕いもしない八雲、笑顔が真実だと知る。
安心した、八雲の傍に居て良いんだと、初めて思えた。ずっと好きで良いんだ。
「大きにな。ずっと好きで居る。」
「わいも努力する。」
「て事は、今は好きや無いの?」
「んー…」
額掻くな、阿呆。此処は嘘が欲しかった。
「二割好き。」
「残り八割は?」
何処に行った。捨てたんか。拾て来い。
「ゆーてもよ?茜ちゃん、未だ一年ちょいやで?其れで二割行きました、結構ちゃう?最初見てみい、マイナスやで?」
「あ、せやな。」
「な?此れから何年何十年一緒居ますよね?死ぬ時十割遣ったら、文句無いんちゃうん。」
「やあん、八雲大好き。」
「知ってる。」
今ので二割五分。
聞いたか今の、頑張ろう、私。
「沢山キスしたからて、増えるモンちゃうけど…」
「えー、増えへんの。損した、返してぇ。」
「違うモン増えるがな…」
「え?何?御金かっ?」
「其れで増えるんやったら、なんぼでもしよや。」
「何が増えんの。嫌悪か、憎悪か、殺意か。」
さあ何れでも来い。
「悪態増えとるやないか。」
「もぉ、ねえ、何ぃ?」
顎を顎でうりうりして遣った。
と云うか、此奴、何時迄バレッタ付けてんの?何時付け直したん。
八雲の上に乗って、両足ぱったんぱったん、顎うりうり、八雲はうんうん。暇な夫婦である。
「ねぇ、ねえん。」
「煩い、もう。てかちょぉ、足、動かさんといて。」
「あほんだら八雲。丸眼鏡。」
「膝がな…丁度…、痛いねん…」
「あ、御免。」
ずっと膝に当たってたふにふにした感触は、嗚呼、其れでしたか。何か気に為ってました。普段は柔らかいんですね。
「ねえ八雲。」
「何?」
「触ってい?」
「……昔っから思てたけど、茜て、見る事に抵抗無いんやな。」
思い出せば数年前、私は確かに、ええ、八雲のオナニー何ぞ見ました。然も“見せて”で。
抵抗無い訳では無いよ?行き成り知らん兄さんがげへげへ云い乍ら見せて来たら、そら、きゃー位云うて逃げますよ。まあ、松山が何時も横に居てましたから?そんな目には一度も遭うた事無いですけど。そんな肝っ玉持った奴、居たら是非拝みたい。「御嬢に何つー粗悪なモン見せとんのや、おんどりゃあ」で、タマ、無く為りますけどね。御父ちゃんは「肝はでっかいんちゃうか?」て笑うやろな。
と云うのも、私の家は、九割が男で、宴会何ぞした日にゃ、あっちでタマ飛び、こっちでタマ飛び、ぶらぶらですわ。も、最悪よ。耐久出来ひん方がおかして。
「見たいなら、見たら…?」
ほんで此奴も頭おかしい。見せる事に抵抗無いねん。矢張り八雲さんは、変態です。
「見たい云うてないよ、触りたい、云うたん。」
「進化してどないすんねん。ほんで最後は咥えんのか。」
「えっ?」
見る、触る、其れの最終段階は“咥える”ですってよ、奥さん。よぅ知ってはった?
…吃驚して京都弁出たやないか。出雲細君の影響ですね。
「え…?」
驚いて見ると、八雲も驚いた顔をした。
「咥…、え…?何?」
「いや、何も無い。」
「何?此れって、咥えるモンなん?」
「知らん知らん。私は何も知りませんよ。」
知ってるんだ。誰にして貰た、云え、云えやこら。
「浮気やないか…」
「して無いがな。」
「じゃ何で知ってん…」
「本に…、本に仰山載ってました…。此れほんま…。謙太達と…、ほんで、妄……何を云わすっ」
小百合か、其の妄想の相手は小百合か。在のちっこい口に、何をさす。妄想でも、遣ってええ事と悪い事て、あるよ…?
若しや、顔の半分口の、コハク・ヴォイドか。其れこそ痴がましいわ。大女優に何さしてん。旦那のモノしか咥えへんわ。
茜さん、結構嫉妬深いよ?焼き餅焼きよ?
知らんな?此の眼鏡。
「妄想も大概にせぇや。」
「妄想大概にしたら、何したらええねん。」
「あたしとしたら…ええやん…」
私は此処に居るんだから。
八雲は居るのに、変なの、クローゼットの中に居るみたい。
八雲は困った様に頭を掻く、おいこら、何で困んねん。
「そら、ええけど、さぁ…」
「何が不満や。」
「茜、ゴツゴツしてるもん。わい、ぽちゃぽちゃしたんが、好きなんやて。」
黙れ丸眼鏡、ええ加減バレッタ取れや。ゴツゴツ?喧しい。だったらたらふく食わせや。
然し私、結構なショックだった。成長期が始まった女ってのは一寸太る、一番体型を気にする時に腰回りが張って、胸が膨らんで、脂肪が付いて…。過ぎれば痩せるんだけど、当然知らないから、痩せる努力をする。反面私は、縦に伸び続けて、脂肪?知らん。凄く羨ましがられた。
せや、此奴…妖怪三姉妹の所為で、痩せた女、大嫌いやん…。
死ね、ほんま死んだらええねん、在の妖怪。陰陽師に退治されて、封印されろ。
阿玉、阿玉…、あんたほんまに、ぽちゃぽちゃしてたな…。真っ白くてぽちゃぽちゃしてて、搗き立ての餅みたい。然も良い匂い、餅搗き場みたいな匂い。
「細いンは生まれ付きぃ…」
「知ってるよ。」
如何したら良い、八雲が私に触らない理由が此れとか。
「何とか奮い立たせてんねん。此れでも。」
私には一生クローゼットが御似合いなのかも知れない。クローゼットに掛かる服相手にオナニーしてたらええねん、私。
「ぽちゃぽちゃする迄よぅ待って…」
云えるのは此れ位しか無い。
無駄に大きな手が、俯く私の頬に触れ、垂れ下がる髪を耳に掛けた。
「わいが前髪上げても、茜が俯いてたら、意味無いやん。」
「待ってて下さい…」
肉が付くかは知らんが。
「ええて。」
「あかん…」
「御預け食らう方が、もっとあかん事。」
口を開き、牙見せて、其れで私をあっさり食らう。
「八雲…」
肺に染み込ませて、あんたの匂いを。そうして最後は、其の肺を食べて。
あんたを、あたしの匂いで一杯にして。
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