軍服と女学生


素直に、茜の父親――舅には申し訳無いと思う。私がなんぼ云おうが、舅の描いて居た茜の未来を私の所為で切り捨てたのは紛れも無い事実。
中学を出たら神戸の女学校に遣って、女子大に通わせて、袴と振袖とリボンをフリフリ揺らす誰よりも可愛い学生、果ては活動夫人……そんな舅の夢を砕いたのだ。
舅はハイカラな人間なので、西洋の女子みたく自分の意思と意見を云う女が好きだ。故に茜は在の様な性格なのだが、今の茜は、舅の思惑とは正反対の生活をして居る。
活動夫人…?
何だ其れは。
舅が最も嫌う、家事に追われる女と為った。“不敏”と云う言葉は使わず“不便”と云い、女中の一人でも付けて遣ろうかと提案するが「何で庶民に女中が要るん」と、茜は舅の気持を知らない。
ささくれ立った指先、記憶する娘の手と違う。慰める様に手で挟み、何度も撫でる。舅の記憶する茜の手は、傷一つ無く真っ白で、指先には桜貝、其れを蝶ゝの様に動かす。
日本に戻った翌年の一月。正月の彼方さんは忙しいので、半月程経った頃だろうか、ふらりと舅が遊びに来たのだ。舅が来なくとも私達が行けば良い話だが、何せ私は次男同様、故郷から良く思われて居ない。兄みたく総攻撃では無いが、歓迎もされ無ければ、此方も居心地悪い。「御帰り」位は貰えるが、其れだけだ。
“斎藤家”の人間としてでは無く、あくまで“由岐城家”の付き添い。故郷での私の位置付けはそんな風で、家には顔を見せず、茜の家に行く。そうして、両家唯一の繋がりの恭子が遊びに来る。
そんな感じなので、私自身余り行きたいと思わず、舅も十二分に把握して居るので強くは云わない。なので年に数回、娘の顔見たさに東京に来る。
其の日舅は茜にこう云った。
毎日毎日家事ばかりで退屈だろう、如何だ一つ、何か習ってみては友達も出来るんじゃ無いか。
今の茜には友達らしい友達もおらず、私以外と会話をすると為ると長男の嫁か老師の奥方位だ。其れもごく偶に。一寸した暇に会話をする相手も居ない。
私は誰かと話さない日が一日として無い、然し茜は私以外と口を聞く日の方が圧倒的に少ないのだ。
茜は聞いた時こそ、余り乗り気では無かったが私が、「其れ、ええですね」と云ったので、少し表情を明るくした。
一日誰とも話さないで平気な性格なら私も舅もそんな事は云わないが、沢山の友達に囲まれ笑う昔の茜を知るから、今の茜は何だか可哀相で、そして申し訳無い。
然し。
「御金、無いしな…」
出来る事なら是非したい、けれど我が家の財政にそんな余裕は無い。
暇は有れど、金は無し。
しょぼくれ、白虎の頭を撫でる茜に舅はぽかんとした。
「あっはっは、そんな事気にしてたんか、馬鹿やなぁ。」
持って居た盃に自分で酒を注ぎ乍ら舅は云う。
「なんぼでも出すがな。何がしたい。楽器か、歌か、外国語か。も、したい事全部し。」
「うぅ…、そう遣ってお父ちゃん、あたしを甘やかすぅ…」
したくてしたくて堪らない気持を必死に押し殺すのが、よぅく判る。
なので一寸助け舟。
「な、えよな、八雲。」
破顔する舅に頷いた。
「はぁ、えんちゃいます?茜も楽しみ出来(け)て。」
然し。
「白虎如何すんのよぉ…」
まさか習い事先に白虎を連れて行ける訳無く、白虎を言い訳に何とか、自分の気持を殺して居た。
「白虎やったら、わいが連れて歩くしな。丁度ええ散歩にも為るわな。な、白虎。」
――せやぁ、せやぁ。
頷く白虎の目に茜は口をへの字に曲げ、ちろりと舅を窺った。
「其、れ、か。女中付けるか。どっちかや、茜。」
「何でなぁ。」
「八雲以外と、兎に角話し為さい。閉鎖的な場所におったら、心迄閉鎖するがな。解放せぇ、解放。見てみぃ、八雲を。解放し過ぎで、股座迄解放しとるや無いか。」
芋虫の様な人差し指が私の股座を指したので見てみると、案の定解放して居た。
「粗末なもん見せな、八雲。」
「粗末ちゃいますよ。」
「わしには負けるわ、わっはっは。」
そう舅が云ったので、ちょいと背筋を伸ばし見下ろした。解放されて居ないので判らず仕舞いだったが、松山にぎんと睨まれたので萎縮した。
「何がしたいねん、茜。」
「ええと…、何でもえ?」
「犯罪以外なら何でもしたらええわ、わっはっは。なんぼ高ぉ付いてもええわ。」
くすりと松山が笑う、すると白虎がびくんと威嚇した。
「ほんなら…」
目を天井に向け、唇を突き出す。一寸拗ねた様な…此の仕種をする時は決まって考え事をして居る。
「ダンス…。ダンス、したい。けど、月謝高いねん。ピアノでもええけど。」
「ほんなら両方せぇ。月百円位か?」
「そんなにせん…、五十円やしな。」
「何処が高いねん、其れの。雀の鼻糞や無いか。」
「ちゃいます、会長、其れ云わはんなら、雀の涙です。」
「どっちゃでもええや無いか、こまい事云うな、うっさいな。」
「へ、すんまへん。鼻糞でええです。」
正しい事を云ったのにも関わらず、舅が烏だと云えば、例え雀でも烏と云わなければ為らない松山は“不敏”である。
ぐっと盃を一気に、空にした舅は腰を上げた。
「よぅし、ほんなら帰るで。誠昭。」
「へ。」
「茜ぇ。」
グローブの手で茜の顔を包み、ぶにゅっと唇が迫り出す。
「八雲ぉ。」
「はぁ。」
「明日一日借りるで。」
「永久に借りててええですよ。」
「ど突いたろか。」
「嗚呼、嘘ですやん。」
八割本気だが。
「何処行くのぉん。」
「手続きしてぇ、服誂えよなぁ。」
まるで恋人。此の二人は、親子と云う依りは、いや確かに娘を盲愛する父親だが、風格だろうか、幼妻或いは愛人に熱を上げて居る風にも見える。茜も茜で、猫撫で声でいやんあはんと両腕を舅の肩に流す。
「お父ちゃん大好きぃ。」
「わっはっは。」
其の晩舅は上機嫌で泊まり先のホテルに向かい、翌日此れ又上機嫌で遣って来た。そうして、上機嫌な茜は帰宅した。




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