余程らしい
冬に鍋は付き物だ。座敷の中央にある座卓には、胃を刺激する出汁の匂いを充満さす鍋が既に用意されて居た。大きな器には春菊や白菜、茸や豆腐、そして鰤が並んで居る。其の鰤は刺身としてもあり、酷く私の食欲を刺激した。
「最初の、作ってますんで。」
妙に私達とアクセント似た女将が頭を下げ、熱燗を座卓に並べた。云われた通り、鍋の蓋を開けると、器に並ぶ具材がぐらぐらと熱風呂に浸かって居た。
「わし、春菊と豆腐。鰤食べてええよ、八雲はん。」
ジャケットを畳に脱ぎ捨て、タイ迄をも外した松山は腕を捲り、私の椀に鰤と白菜と豆腐をよそった。
「柚子胡椒と紅葉下ろし、どっちがえ?」
「紅葉下ろし。」
「趣味合うなぁ。」
椀の端に少し、赤い香辛料を添えて呉れた。松山の椀も同様に、此方は豆腐と春菊しか無かった。汁で紅葉下ろしを溶かし、箸を舐めると辛いとも塩辛いとも云えないあの独特な味が広がった。
「松山はん、鰤食べへんの。」
冬の鰤は最高に珍味である。普段は固いと云うか生臭いと云うか、夏には食べ様とは思わない魚だが、冬の鰤だけは別格。脂が乗りに乗り、鍋にすると最高の出汁を教えて呉れる。
松山は豆腐を一口食べ、刺身に向いた。
「年やな、火の通った魚が生臭く感じんのな。」
特に鰤は臭みが強い。
私は、そうだろうか?でも其処が鰤の美味い所では無いかと、ふわりと咥内で溶ける鰤に舌鼓を打った。
「うー、美味しいッ」
箸を握り締め、呻いた。醤油と昆布の味が一層鰤の味を強くした。
「あはは、良かったぁ。ほんならわしも刺身を……うん、海は偉大ッ」
「一番美味しいのは鯛。」
「鮟鱇鍋もええよぉ。」
私はこうして、年上の男と食事をするのが大好きだったりする。兄は、居るには居るが、食卓囲む時代は過ごして居ない。兄弟子に対しても松山に対しても、私は“兄”を求めて居るのかも知れない。加えて私が、加納からもそうなのだが、父親と迄は行かない年上の男に酷く可愛がられる性質を持つ。放って於けない、と云うよりは、まさに弟的な存在として、年上の男から良く可愛がられる。私は其れに甘んじ、良く良く良い思いをする。
兄弟子にもそう、加納にもそう、松山にもマシューにも“弟”として、一寵愛を受けて居る。
不思議な事に、年上女はさっぱりで、逆を行くのが一幸。一幸は何時も“年上女”達に、此方も寵愛を受けて居る。
遺伝子、と云うのだろうか。
一幸の父親も、弟達も、皆揃って年上女から寵愛を受け、弟達に至っては生業にして居た。
女から見て放って於けない男と、男から見て放って於けない男は、気質が違う。判り易く云うと、一幸は紐に容易く成れるが、私には無理だと云う事。
そら、私が其方の人間で、可愛がる男迄も其方の人間だったら話は次兄の津雲と同じだが、違う。
童心に返りたい時に相手にしたい、そう云えば判るだろうか。
特に松山や加納は、馬鹿を出来無い仕事を持つので、私は重宝される。根が救い難い阿呆であるのも確かだが。
「酒も肴も美味しい、倖せやなぁ。ずっとこうならええのに。」
独り言みたく吐き出された松山の言葉に、私は箸を止め、小さな猪口に酒を注いだ。
「何ぞありました?」
「ん?いや?有難う。」
薄い唇に笑みを浮かせた侭猪口を寄せ、飲むと又何処か一点を見た。
「松山はん?」
「ん?…何?嗚呼、飲まはる?」
「いや…、何か暗いし、大丈夫かなて。」
取り繕う様に松山は顔を上げ、「暗ないよ」と笑うと、春菊を摘んだ。
「松山はん?」
「何?さっきから。あ、空っぽなのね、自分でしてええよ。」
そうは思って居ないのに、偶私の椀を見た松山は、勝手によそった。座卓に並ぶ食事とは反し、気分は修行僧、あれだけ美味だと感じた鰤が一気に味を無くした。
無言で鍋を空にし、松山が器から新しく食材を入れ様としたので其れを止めた。
「何か、話、あるんとちゃいます?」
「…勘がええのなー。」
食材に伸びて居た手は引っ込み、ぐらぐらと、煮る物も無い鍋が声を出す。
汁が、蒸発する。互いの真ん中に立ち上る湯気に松山は煙を混ぜた。
「なあ、八雲はん。」
「何?」
「大阪に…」
最後迄言葉は続けなかった。今迄は海軍に、加納の息があったからか、誰もそんな事は云わなかった。
正直、東京と云う、他人は所詮他人と見なす空気は肌に合わない。然しだからと云って、私には本職がある。時偶大阪の、其れも強い繋がりを中心部以上に持つ故郷の空気が恋しい時もある。老師は確かに私や兄弟子達を我が子みたく可愛がるが、無駄な干渉が無い。故郷では、目に止まった全てが“家族”に為る変な環境、良い事も悪い事も全て筒抜ける。加納が、上層部の名前しか知らないと云った時は驚いた。其れが当たり前なのに、私には酷く不思議に映った。
東京が好きな訳では無い、寧ろこんな殺伐とした人工的な人間関係にうんざりする。誰が何をし様と気にしない、気にする理由も無い、交差点で擦れ違う人間と隣人の違いは無い。唯、一度繋がったら蜘蛛の巣みたく四方に関係が流れる、勝手に。一人と出会えば、無数の出会いの糸が伸びて居る。
一幸と云う一人の男から、多種多様な人間に繋がる。繋がった。先ずに美麗と繋がった。そして櫻に繋がった。此の櫻が又、加納から伸びる糸と繋がった。
加納から伸びた糸は膨大。
そうして一幸と加納の糸を手繰ると、双方に繋がる。途切れる事の無い糸。
東京はそんな、蜘蛛の巣に溢れて居る。
大阪の中心部もそうなのだろうが、なんせ知らない。
故郷の、擦れ違っただけで挨拶受ける空気、懐かしいが、東京同様、今の私には何等魅力的に映らない。
「戻る気は、無いですよ。」
「大阪にも、考古学機関はありますよ。」
汁は半分以上蒸発した。
「云うても中心やろ、おんなし事や、東京と変わらんわな。國枝老師も居てますしね。人間関係も干渉無いんで楽出来ます。」
「御嬢は、東京が好きですか?」
雁擬きの煮物を口に入れ、じんわり広がる味、…は判らなかった。
「さあ、如何かな。云うても彼奴、元は神戸の大都会育ちやろ?東京には合うてるよ。わいとは違う。でも、一番に戻って来て欲しいんは、わいやろ。」
感情を隠す超合金の様な黒目が一瞥する。
「ちゃうな、戻って来て欲しい、は語弊あるな。」
「そう?恭子嬢の為にも戻って来て欲しいけどな。」
「松山はん、あんた、回りくどいねん。」
超合金から覗く感情、案の定無機質な眼鏡が隠した。
松山は箸を置き、鍋に蓋をすると酒だけ残し全部を引かせた。真っさらな座卓に片腕乗せ、此れが本題かと、薄い唇から平たい煙を出した。私は両腕乗せ、煙草を持つ手で顔を支えた。
「何でわいの分迄引かす。」
「わしの話、聞きそうに無いから。」
「最初に本題云うてたら、ちゃあんと聞いたよ。」
松山は、動物で例えたら狼。犬でも良いが、其の場合は軍用犬。絶対忠誠と絶対服従を誓う、誓う事しか許されない生き物。
同じ狼でも、本郷は違う。あの狼は、己がアルファに君臨して居る。誰にも従わず、従われる為だけに存在する。
そして木島和臣。孤高の狼。理想が高過ぎた超完璧主義者。余りの理想に、周りから取り残された憐れなアルファ。
「引き込みたい………そう云えや。」
そして私は、虎。
決して群れる事の無い、服従精神を持たない虎。狼の群れに、興味は無い。
「虎は、群れん。」
「ほんならわし等はライオンか?」
「百獣の王て?抜かせ、一プライドに雄は一匹。仁さんだけで充分。あんた等雄は追放される。虎に追放された様にな。」
ライオンがアフリカにしか棲息しないのは、虎がライオンを自身の居る場所から追放したから。以来、ライオンと虎が出会う事は無いに等しく、仮に松山達がライオンだったとして、私と会う事も、合う事も無い。
ライオンだろうが狼だろうが、群れを成す集団に、虎は合わない。
確かにライオンの雄は、其の威風堂々した圧倒的存在感は百獣の王の名に相応しいが、強さで云えば虎こそ誠の王だと私は思う。
集団でしか行動出来無い憐れな生き物。人間も、又然り。
「あんた等は、狼。いいや、通り越してハイエナや。」
座卓に身を乗り出し、眼鏡の奥にある感情を読んだ。虎は単独行動故、常に辺りを挙動不審に警戒し、相手の動きを察知する。
「ハイエナ、な。」
少し顎を上げ、不満そうに私を見下す目を煙で隠した。
「ハイエナは、女王政権。」
「あんたの誠の主人は、茜ちゃうの、ん?もっと云うなら、茜の母親。」
笑顔の侭ゆっくりと視線を逸らし、鼻で笑うと未だ長い煙草を消した。同じに私も消した。
「由岐城八雲に為る気は無い。」
「斎藤八雲の侭でも、一向構わんわな。由岐城の実権は本部が持ってんねんから。わしが会長の傍におったんは御嬢がおったから。」
「へぇ、ほんなら何に僕を使う気何ですかね?」
「忘れてへん?わしかて、直系の頭してんねん。青ーい、龍の、な。」
互いに笑顔で、互いの言葉を聞いて居た。本部に置かれるのも嫌だが、松山の配下に成る等、一体何の罰ゲームか。家には茜が居る、仕事場には松山が居る、そんな生活なら。
「あはは、絶対嫌。死んだ方がええ。」
大金が手に入ろうが、良い思いする事を此の先一生保証され様が、浪漫が無いなら死んで居るも同然、だったら逸そ、死んで遣る。
「浪漫の無い世界に、興味は無いねん。」
「八雲の云う浪漫て、何?昔から云うてるけど。」
「聞いて来る時点で、云うても理解出来んやろ。」
「金を触る方が、甘美で、夢を持てる。違うか?」
微かな声を吐息みたく流し、煙草を咥える。
「わしな、現実主義者なんや。現実主義の反対は、浪漫主義。八雲、御前やな。」
松山は現実主義と自分を云うが、好きでそう為った訳では無いと思う。現実を見なければ生きて行く事が出来無かった。夢を見る事さえ許されない現実、嫌でも現実を見詰め続けた。
夢に向かって人間は歩く。私の様に現実が余りに辛く、逃避企てた人間は別として、世間一般の人間は夢を持つ。其の夢が叶えば又違う夢を持つ。
松山には、其れが無い。現実と云う、唯、今を、歩く。一時間後の事は考えない、今の一秒を、真剣に歩く。
違う、此れは、刹那主義。現実主義よりもっと破壊的で快楽的。快楽主義者の刹那主義者。
寧ろ松山の方が浪漫主義に近い。
寧ろ私の方が、誰よりも現実的。
「せやったらもう、答え出てますやん。わいとあんたは、一生合わん。」
「八雲の夢て、なんや。」
「そっくりそん侭返す。」
「わしに夢は無い。」
「ええ、知ってる。」
「夢を持つ奴が、わしは大嫌い。そんな見えもせん不確かなモンに縋る不安定な奴、吐き気がする。夢諸共、現実も壊したる。目が輝いとる人間、此の世で一番嫌いや。」
酒の所為では無く、松山の白目は充血して居た。
「だから、わいを引き込みたいんやろ?」
隠して居るのだろうが、はっきりと釣り上がる口角を私は見逃さなかった。
「松山はんが、わいを引き込みたい理由は、多分加納と一緒。けどな、わい、策士なんよ。」
座椅子に凭れ、手を組み合わせた。
「ええ様に使おう思てるやろけど、止めたがええよ、自分が一番判てる、こんな人間は、側近には出来ん。忠誠心が無いからや無い、わいは虎や、野心しか無い。群れる事は出来んのや。加納見てみい、利用する積もりが、わいに利用されるだけ利用されて。」
松山も同じに背中を預け、片膝立てた。
「策士策に溺れるて、よぅ云うわな、松山はん。」
「今、教えたろと思ってた。」
シニカルに笑い、猪口を唇に寄せた。
「わいが今迄の人生で、盛大に策を失ったんは一度しか無い。」
判って居るだろうに、へぇ何かなと小馬鹿にした笑いで酒を飲み、徳利が空に為った事に細い眉を上げた。障子を開けると充満した煙が、ワインを頼む松山の声と一緒に冷たい空気の中に逃げた。
冬の、独特な匂い。水分が凝固した、匂い。
青い洋杯、赤い液体が注がれると紫に見えた。
「グラス二個有るし、八雲、飲むか?」
「飲まん。特に洋酒は嫌いなんや。」
小さ過ぎるグラスだからか、松山でだと一口で終わる。
「若いなぁ、若い。」
其れはワインか私の事か。
「でも八雲が云う失敗策て、…お、一寸ええ事云うた、元から何も無いやんけ。」
「何も、無い…?」
挑発なのか、唯単に私が引っ掛かったのか、微かに怒りが湧いた。
いや、昼会った時から、座卓を挟んだ時から私の怒りはあった。気付いて居なかっただけで、今はっきりと判った。
「そう、何も無かったんや。無の状態やった、作る筈やったんや、…わいは、わいは未来を作れたんやッ」
座卓に手を叩き付け、激しい音を出したが松山は動じない。恫喝する積もりで叩いた訳では無いので、動じなかろうが関係無い、怒りを兎に角表に、形として現したかった。
「其れを全てぶち壊したんは、あの女やないかッ、あの女がおらんかったら、わいは未来を作れた、こんな掃き溜めみたいな現実や無かったッ、松山やて判てるやろ、わいが茜を今に為っても愛してへん事位ッ」
「知ってるよ。」
「何がしたいねん、此れ以上。わいの人生如何したいねん。茜だけで充分や、わいの人生目茶苦茶にする奴は。いいや…、わいだけで充分や。由岐城の策に落ちる人間は。恭子の人生迄、御前等の思い通りにはさせんぞ。」
「人聞き悪い。確かにこっちにも策はあった、其れは認めるわな、せやけど、こっちも被害受けとんねん、御嬢の単独行動でな。云わせて貰えば八雲、御前の所為で由岐城の策はバァに為ったんや。」
「由岐城?…は、抜かせ、御前の策ちゃうか。由岐城八雲に成らんと、御免な…?」
無機質な顔面に見る見る怒りが現れ、漸く、松山誠昭と云う人間を相手に出来た。詰まり此れはかなり逼迫した危険な状態なのだが、松山の怒りより私の怒りの方が強いと云える。
「向こうに渡った実権、其れを自分のモンにしたかったんやろ?松山はん。自分には仁はんが付いてるし、仁はんが一言あんたの持つ会に実権持たす云うたら、内部抗争起きるかも知らんけど、大半の組員が自分に付く事知ってんねんやろ。何でか、茜がおるから。本家本元の血ぃ引く唯一の人間が自分側におるから。婿取らして子供出来れば、あんた、組長やったな。現実主義者に必要なのは権力と地位。飼い主迄をも利用し様とする姿勢は、嫌いや無いで。」
「少し黙れや。」
松山が、一体何れに一番の怒りを覚えたかは判らない。策をばらされた事か、茜を貶した事か、飼い主を利用すると云った事か、或いは松山本人を否定した事か。
頭脳派集団とは云え極道に変わりは無い、胸倉を掴む力は息苦しさを覚える程強い。
「あれ?お宅等の標語は、拳を使わず頭を使えやなかったんですか?がっつり拳出てますよ。」
「黙れて云うてんの、聞こえんのか。」
「いいや黙らん。御前等は他極道より口達者かも知らんけどもな、わいも負けん。あの超天才の頭回転に付いて行けてた男やで。御前負かす位簡単や。手ぇ出すなや、出したら如何為るか、頭ええ松山はんなら判るよな?」
鼻からワインの匂いを散らし、投げ飛ばす様に私の身体を離すと、ボトルから直接ワインを飲んだ。
「何で加納がわいを重宝したか、少しは考えろや。雑用だけちゃう、あの頭に付いて行ける人間が居てなかったからや。加納の凄まじい勢いで回転する頭の中身を理解して、伝える人間が、今の今迄おらんかったから。見てみぃ、皆理解出来へんからイエスマンしかおらん、おらんかった。そんな人間を、松山はんが飼い馴らせると思うんか?加納さえも利用した男やぞ。悪いけど、あんたの策に、嵌まる気は無い。昔から。」
其処迄云われると逸そ清々しい、清々し過ぎて笑いが出ると松山はけたけた笑い出し、其れが又不気味だった。赤い液体を小さなグラスから流し込む姿は、甘美な血を啜る化け物に見えた。
「八雲はん、むっちゃ怖い。」
飲まないと云ったのに私にグラスを渡し、然し飲む事を望んで居ない様だったので水を飲んだ。
「なぁんかんも、ばれてたんや。」
座卓に頭を乗せ、私の顔を伺い見る松山の笑顔を見下ろした。
「ばれるに決まってるやろ。」
「ほんならさ、あん時、斎藤にして呉れて会長に頭下げたアレ、演技やったん?」
「……さあな。」
「八雲はん、何処からが策で何処からが素なの。嗚呼もう怖い、一個も信用出来ん。」
「今は素。」
「其れも策の一つとしか思われへんなぁ…。うわ、むっちゃ怖い。言葉全てが信用出来ん。」
「うん、よぅ判る。陸軍元帥からも“御前は信用してないからな”て云われたわ。」
「仏様に云われたら終いやなぁ。」
自分でも、策を張り巡らし過ぎて自分が今如何為って居るのか判らなく為る時がある。唯私は、嘘を吐けないと云う致命傷がある。まあ、策士は詐欺師では無いので嘘等要らないが。記念すべき初出勤の日、気に入られ様と加納を褒めてみ様と思ったのだが、全く出来無かった。褒める場所が一つも見付からない…のも珍しい話だが。奇麗な顔ですね、とは云って於いた。喜んだかは、あの能面故判らなかったが。
「松山はんとは関わりたない。」
「今更か?」
自分の吸って居た煙草を私の唇に押し当て、何だ、目が超合金だと指先迄冷たいのか、冷たさに口元を引き攣らし乍ら煙を吐いた。そうして自分が吸うと、私のワイングラスに落とした。
「松山はんに、わいの策は通じんから。」
「わしの策を見透かし何云うか。あ、此れも策か?油断させといて引っ掛かける気やな?」
「ちゃう、ほんま。何も考え付かん。利用も出来ん。」
「御嬢は、利用しとる癖に。」
松山は笑って居るが、私も笑うべきか。相手を油断させる為に私は笑顔を見せるが、今は不要な気がした。例えば一幸等に指摘されたら笑顔で騙すが、騙し合いの効かない相手、紫煙越しに見下ろした。
「わいの人生パァにした罰、一生利用するからな。あの親父もや、絶対許さへん。盛大、恭子にええ思いさせたって。松山はんは怖いから関わらん。」
「会長の方が怖いわ、アホ。」
「ま、其れはわいの考えやけどな。」
ワイングラスに煙草が二本。私は立ち上がり、マフラーを巻いた。障子に凭れ、私の飲み干した水の入って居たグラスにワインを注ぐ松山を見た。
「あんたの配下に為らん一番の理由は、此れでもあんたに、少しでも人間らしく居て貰おって云う、わいの配慮。」
「何や其れ。」
「あんたの一番大事なモン、其の望み叶えんのが、あんたが人間で居る理由。」
「御嬢の望み、なぁ。今んトコ無いで。」
「ほんまに…?」
私の笑みに、近付けて居たグラスを離し、じっと顔を向けた。
「一生掛けての願い、茜でもあるし、茜のお母ちゃんが望んだ事でもあるわな。」
気付いたのか、松山は顔を逸らし、何度も頷くと一気にグラスを空にした。
「こら一生、八雲はん引き込むんは、無理やな。」
「な?茜の為ちゃうよ、あんたの、忠誠心の為。」
「怖い男。わしより極道の仁義守ってるやん。」
「大きに。…接待をな?極道云われても嬉しないわ。ほんなら。」
障子一枚なのに、廊下は目の覚める程の寒さ。足の裏が一瞬で感覚を無くし、でも暫くすると慣れた。慣れた頃には靴を履き、紫煙に似た息を星に向かって吐いた。余りにも月が奇麗で、見たくないが為、帽子を被った。
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