未だ謎


其の女は神戸から来たと云う。金持ちが何ぞこんな大阪の田舎に、と思う。奇麗な洋服に帽子を被り、茶色の髪が揺れる後ろ姿を遠くから見た。黒光る車体、在れは知って居る。英吉利の高級御車。わいは余りの驚きにエンブレムの真似をし、襟と股を相変わらず乱し、高台から掛けた。
「謙太っ、今の見たかっ?」
「見たわっ、ど豪い金持ちやでっ」
学校一の悪餓鬼と学校一の秀才が友達なのだから、世の中面白い。
「あっこの豪邸に住むんかなあ?」
「せやろな。」
「乞食の真似したら、何か貰えるんちゃう?」
「ええなあっ、やろやっ」
石垣を飛び越え、田植をして居る最中の田圃に二人で突っ込んだ。兎に角みすぼらしい格好が良いと、然しわい等は何ぞこんな事せんでも充分みすぼらしいのには気付いては居た。
「糞餓鬼がぁ。又荒らしたなっ」
「おっちゃんっ、みすぼらしいか?」
おっちゃんは相手にするのも阿呆やと、わいの真横に牛蛙の死骸を寄越した。出て行けと云う意味なのだが、其れが旨そうに、御馳走に見えた。。
「謙太ぁ、此れ旨そうやん。」
「不味いて、絶対…」
足を摘み、死骸で遊んだ。後ろ足を両方持ち、左右に引っ張った。股から頭に向かって容易く裂け、内蔵がべちゃべちゃ田圃に落ちた。謙太は死骸やそう云う類が一切駄目な為、逃げる謙太に死骸振り回し追い掛けた。
「止めやあっ、八雲っ。気色悪いわっ」
「蛙仰山菌持ってん。兄さんがゆうてた。」
わいと二十歳違いの長男は、謙太以上に頭が良く、余りの秀才さに此処で枯渇するには勿体無いと村全体で大学にやった位だ。貧乏子沢山とは良く云い、わいの家はまさに其れであった。自給自足出来るから良かったもの、在の金持ちみたく何も出来無かったら其れこそ一家離散だ。
逃げる謙太を追い掛け、謙太は半泣きである。其れを長女に見られたのだから、今度はわいが逃げる羽目になった。山姥みたく掛け、顔もそんなで、わいは逃げた。必死に逃げた。半泣きで蛙振り回し逃げた。然し相手は妖怪だ。人間が妖怪に勝つ訳が無いのだ。首根っこを掴み上げられ、逃げ様と藻掻くが無理だった。なので持って居た蛙を姉の顔面に投げ付け、やっと解放されたがぼこぼこに殴られた。
「蛙とかっ、頭おかしんかっ」
「うっさいわっ。ブースブースっ」
蛙の臓物の破片を顔に付け、何を云って居るんだ、此のブスは。妖怪面して、頭がおかしいのは御前では無いのか。
当然云って遣った。
案の定、脳天から地面に叩き付けられた。わいの視力が悪いんは、此のブス妖怪の所為に違いない。
地面に減り込んだわいに謙太は笑い転げ、喧しいわアホンダラ、己が悪い、と妖怪に蹴り飛ばされた。謙太に一切非は無いのにだ。
暴力女のヒステリー不細工妖怪が。だから嫁にも行けないのだ。不細工は不細工為りに何かすれば良いのだが、姉は暴力以外に頭を使う事は無い。頭を使わないから暴力を使うのだろうが。
ぼこぼこにされたわいは、地面に落ちている血液が、蛙のか自分のか判らなかった。棒を振り回し、弟を半リンチする等、正面な人間では無い。矢張り姉は妖怪なのだ。姉は最後、原形無くした蛙をわいの顔面に擦り付け、棒を振り回し鼻歌歌って帰路に着いた。振り回す其れが、先刻見た女が持って居たサイケデリックなピンク色のエナメルバッグであれば、何れ程素敵か。
茜色の空が、妙に奇麗だったが、昼間がそんな色な筈は無い。切れた瞼から流れた血液が、視界を覆って居るだけであった。




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