猫の交尾


とても柔らかい舌を持つ男だと思った。がちがちに固めた傲慢なプライド同様、唇も舌も固いのかと想像して居ただけに驚いた。其の柔らかさはゆっくりと俺の中を侵食し、心迄持って行かれそうな程頭が霞んだ。酒に酔った時の様な陶酔感、キス一つで酔うとは、俺も寂しかったらしい。
足に知ったローズの体温、ぐるぐると鳴らす喉の振動が頭を貫く。
「一寸、一寸待ってよ…」
うっとりと、危うく心を持って行かれそうに為る恐怖に身体を離した。
ローズに目を遣るが、心はキースに向いて居る。自覚して居るからこそ、見れなかった。
「駄目、待たない。」
ぐっと顔を掴まれ、無理矢理キスをされた。首筋を撫でられただけで俺の喉元はぐるぐる鳴る、其れでもしっかりし様と目を開いた。
「え?何?あんた酔ってんの?」
「まさか。ローズの可愛さには心酔してるが。なあローズ、可愛な。」
「あんたさ、馬鹿?君に酔ってる、位、仏蘭西人みたく云ってみたら?」
「仏蘭西人か、反吐が出る人種だ。」
背中を撫で上げる手に力が抜け、首に腕を回した。上体逸らした俺にキースは喉奥で笑い、突き出る喉元の骨を舐めた。
ぐるぐると俺は鳴く。
嬉しくも無いのに、身体は勝手に反応した。
男ってのは馬鹿な生き物で、女が一寸反応見せるともう歓喜する。
良く、覚えて於くと良いよ。
女って生き物は、例え身体が反応して居ても、心は反応しない、頭では「明日、何処行こうかな」と考えるシビアな生き物だと。
俺は何方かと云うと、かなり女よりな思考、セックスに関しては。
だから、男は女が濡れて居ると喜ぶが、其れを間違えてはいけない。
殴られたら痛い、其れと同じ。性的刺激を受けたら反応する様、構造されて居る。
濡れてるから感じてるんじゃない、動物的な事だって事。心は全く感じてない。
女の心を感じさせるのは、容易い事では無い。俺の心も同様、砂漠だ。
「キース…」
「何だ?」
「気持良い…、もっと、触って…」
喉に触れて居た唇は何時の間にか、釦外されたシャツの下にあった。鎖骨の線を往復する舌、シャワースポンジの先で洗われて居るみたいだった。
腰は勝手にキースの足に擦り寄り、自ら陰部を刺激した。布越しの頼り無い愛撫、でも充分だった。
「何か御前、猫みたいだな。」
キースは云う。
俺はちょいと口角上げ、鼻で笑って遣った。
「俺は猫だよ、猫として主人に飼われてた。ずっとね…」
此れは比喩でも無い本当の話、俺は金持のペットだった。
「又豪くでかい猫だな。」
「与えるだけ与えたら、でかく為るよ、そりゃ。」
愛も金もセックスも、俺はたらふく食い込んだ。反吐が出そうな程主人は与えた。そうして出来上がった此の俺。
唯鳴くだけの、淫獣。ぐるぐる喉を鳴らして、頭では明日の事を考える。
キースが次に何をして来るか何て考えない、与えられる快楽だけが、全てだった。
「嗚呼ねぇキース。」
「ん?」
「俺の事嫌い?」
今からセックスしますよって時に「好き?」と聞くなら未だしも「嫌い?」と聞かれたキースは一寸身体を離し、足を蹴った。
ぞくりと足が痺れ、ほらほら、快楽が迫って来る。
思わず口が開き、開いた其処から出たのは、本の小さな喘ぎと涎。俺は一寸でも痛みを感じると、唾液腺から甘い様な何とも云えない唾液が溢れて来る。
口の中に並々唾液が溢れ、一寸舌を出すと舌を伝う。
「好きに為る理由が無い。」
「嗚呼駄目…もっと…」
話すと溜まった唾液が顎を濡らした。
キースに質問して於き乍ら、俺は自分の事しか考えない。此れが女と同じだ。
女は答え何か求めてない、答えに意味を求めるのは男で、女は云う事に意味がある生き物。答え等、聞く耳は持ち合わせて居ない。
「今のぞくっとした…」
「嫌い、にか…?」
「違う、嗚呼もう良い、来て、こっち。寝室はこっち。」
俺って奴は、一寸でも快楽を知るともう駄目、もっと強い快楽を求める。求め過ぎて病院に運ばれた事もある位。其の時のマスターの顔と狼狽加減は、暫く俺を楽しませた程。
キースの首筋に顔を擦り付け乍ら背中を押し、何故かローズも付いて来た。
嗚呼そうか、今日はマスターじゃないから付いて来たんだ。
何て、身体は快楽を求めるのに頭は違う。云った通りだろう?
「でかいベッドだな…」
「そう、マスターは横に広い方だから。」
「御前は縦に長くてな?」
結果馬鹿でかいベッド、寝室はベッドしか無い。だって其れ以外必要無いから。
洋服はウォークインクローゼット、鏡はパウダールームにあるから、ベッドルームには言葉通りベッドしか無い。
ベッドにキースを寝かせ覆い被さり、柔らかい舌を唾液塗れにして遣った。
「一寸、一寸待てシャギィ…」
「駄目、待たない。待てない…」
さっきの会話が逆に為った楽しさ、キース、あんたは気付いてる?
逃げる様に肘を付き俺を見下ろすキースのベルトをがちがち外し、スラックスからシャツの裾を抜いた。
固く割れた腹部に揃う体毛にキスを浴びせ、ざらりとした毛並みはマスターの顔を舐めて居るみたいだった。
「一寸待て、三十秒。」
腹部から顔を遠ざけ、慌ててキースはベッドから下りた。
「おい、ハンガーは。」
「は?何?来てよこっち。」
「皺に為るだろうが。」
がちがちに固めたプライド、其れに皺を入れるのは、例えキース本人でも赦さない。手に入れた絶対な権力、俺は堪らなく嫉妬した。
俺の欲しい物全て、キース一人が、其の長くしっかりした腕で持って居る。
嗚呼畜生、腹の立つ。あんた何か死んじまえ。
ぎりと歯を鳴らし、ジャケットを奪い床に捨てて遣った。
「おい、ふざけるなよ。」
掴まれた手首に広がる――快楽。
腰から力が抜け、自分でも判る程目は潤んで居た。
「キース…キース…、もっとして…」
「如何した…?御前、一寸変だぞ…?」
貪った、キースの性器を。其のプライド、…全てを。
此の侭胃で溶かして遣ろうかと考える程、奥迄飲み込んだ。
久し振りだった、こんなに欲そそるペニスは。
俺の取り巻きは二十代の年下、マスターはもう還暦過ぎ。若い其れも老いた其れもまあ嫌いでは無いが、知ってる?一番良いのは中年の其れだって。
若いと堅過ぎる、其れに味が強い。老いてると柔らか過ぎる、此の中間が、キースの年齢。
今迄散々、色々な男達のを此の口に知って来たが、其のプライドに見合う物をキースは持って居た。
むしゃぶり付きたく為るペニスって、キースみたいな物を云う。
石鹸の匂いのするアンダーヘアも魅力的だけど、汗の匂いを鼻孔に擦り付けてる時程陶酔する時は無い。
猫は匂いに敏感、其処特有の匂いが強い程興奮する。
だって其れって、一日一心不乱に仕事してたって事だから。
俺はアンダーヘアがかなり薄くて、軍に入る迄は石鹸の匂いうっすらさせてた。俺のする事と云ったら寝て、マスターを待つだけ。
こんな匂いに何か為った事無い。
「シャ…ギィ…?」
「止めないで、今気持良いんだから…」
「御前、変だぞ…」
「キースのペニスって、凄く魅力的…。堪んない…、もう全部食べちゃいたい…」
「其れは…まあ…、有難う、と云って於くべきか…?でも食べるなよ…?後々困るから…」
口の周りは唾液に塗れ、舌に知るのは塩辛さ、何より興奮したのは鼓膜を震わすキースの声だった。
高圧的な声色しか知らない、今聞いて居る声は、真逆で柔らかい。子供に話し掛けると云うより、年寄りを労る様な感じだった。
聞いた所に依るとキースは、女と子供が嫌い。女、はまあ、俺も一応女の相手をするから嫌いでは無いけど、子供はね。関わりたくない、赤ん坊とか見ると鳥肌が立つ。床に叩き落としたい衝動に駆られる。
俺達だってそんな赤ん坊だった癖に、すっかり忘れる。
忘れて、こんな嫌な大人に為る。
「シャギィ…、口、離…せ…」
「やだよ、食べるんだから…」
「一旦、離して呉れないか…。疲れて来た…」
思わず笑った、咥えた侭。ブロージョブされて「疲れた」ってのは余り聞いた事が無い。する方が疲れるのは当たり前だけど。
ずるりと喉から抜ける感覚、俺は此れが好きだったりする。キースの物から唾液が引き、細い糸と為り消える。
数秒前迄は吐息を漏らして居た在の喉は、ベッドに座る頃には知る声色を出すに戻って居た。
「最悪、ズボンぐちゃぐちゃじゃないか。」
「良いじゃん、明日と明後日休みじゃん。」
「馬鹿、独り身じゃないんだ、俺は。数時間後の未来の話だ。御前、既婚者にブロージョブする時は、膝迄ズボン下げるってエチケット位は守れ。」
「既婚者の癖にブロージョブさせるのも如何かと思うよ。」
「勝手にしたの誰だよ。乾くかな…」
「ドライヤー貸してあげる。」
「嗚呼是非、こんなの見られたら股間に蹴り入れられる。」
「何を漏らしたんだい?ハニー?てね。」
一寸口調を真似た。するとキースは面白い様に肩を強張らせた。
在の薔薇の事なら何でも知ってる、ニューカッスルの訛り持ちだって事も、キースを「ハニー」と呼ぶ事も。
キースの怯え様が余りにも可笑しくけらけら笑って居ると、「ヘンリーの事なら何でも知ってるんだな」とベッドに押し倒された。
アクアマリンみたいなキースの目、キスをしたら取れるかと唇を寄せた。
「知ってる、なあんでもね。」
離した唇に丸く挑発的な笑みを浮かばせた。
「一番好きな食べ物はなんだ。」
「プディングでしょう?カラメルの苦い奴。」
「…好きな色は?」
「ラベンダー色。良く赤が好きと間違えられる。因みにゴムが赤いのは、ブロンドと対で西班牙の国旗を表してるから。」
「得意なゲームは…?」
「ポーカー。」
「嫌いな生き物は。」
「蛙。兎に角酷いの一言に尽きる。深海魚の方が可愛い。」
「ヘンリーは、俺の何処が好きだ…?」
此れは、如何捉えたら良いのだろうか。答えを知らないキースが知りたいだけでは無いのか。
俺は答えを知って居る、だけど口にするには余りに辛い。
アクアマリンは知りたそうに揺れ、指の背で撫でた。
「何があっても、俺から離れない。俺を愛して呉れる。俺の理解者。俺の、唯一神…」
キースは少し笑った気がした。考えて居た答え通りだったからか、ヘンリーの心中を知れたからか、唯、俺の気持はずたずたに為った。
俺の好きな奴は違う奴が好き、其の好きな奴が好きな奴は、今目の前に居て、セックスの最中。
唯一神、と迄云うヘンリーを平気で裏切るキースが大嫌い、でも、俺も同罪。
薔薇に惚れた、報いだ。
「ヘンリーの好きなタイプは…」
何故か俺は云った。
「色素が濃くて長身、情熱的で、自分が全てな人。」
俺達は無言で見合った。
睨み合ったと云っても良い。
薔薇を手にする資格は互いに充分過ぎる程ある、然し薔薇は一輪しか無い。
顔に触れて居た手は痛い程掴まれ、ぱき、と少し骨が為った。
「御前がヘンリーに惚れてるのは自由だ、俺が其れを如何こう云う資格は無い。勝手に惚れてろ。」
「へぇ、意外。」
惚れる事は疎か、視界に入れる事さえ許さない人間の癖に。
「だがな、俺から奪う事は許さん。」
「奪うって、人聞き悪く無い?決めるのはヘンリーじゃん。」
そう、俺が情熱を掛けて迫って、結果ヘンリーが俺に向いても、其れはヘンリーの意思、奪う何て言葉は適切では無い。嫌がるヘンリーを無理矢理自分の物にしたら、奪う行為に為る。
「吠え面掻かない様に頑張って、アドミラル…」
丸い宝石が楕円形と為り、白目が赤らむ様子を、俺は相変わらずの顔で眺めた。
そうそう、此の顔、此の顔が堪らない、興奮する。
全てを手にした、でも其れって裏を返せば、もう手に入れる物が無いって事。失う物しか残されて居ない。
其の恐怖と怒りを其の顔は教える。
俺には二つ、手に入れたい物がある、先がある、突き進める。でもキース、あんたには、其れが無い。雁字搦めに縛り付けるしか、他が無い。
俺の笑みの意図が判ったのか、キースは見開くと髪を掴んで来た。
「そっくり其の侭返す、尾を巻いて逃げるなよ。」
痛みは快楽、そして此の剥き出しの独占欲。
掴まれた髪に抵抗も見せず、俺はキースを見た。濡れた目で。
少し上がったキースの眉。
「嗚呼…」
引かれる力は強く為り、快楽が細胞を呼び起こす。ゆっくりと顔は近付き、顎の下を捕まれた。
「変だ変だと思ったら、そう云う事か。」
左右の耳下を押され、息が詰まった。ぐらぐらと頭は快楽に蝕まれる。
「御前、そっちの人間が。」
「人間…?」
息をするのがやっとだった。
「違うよ、…ペットだ。」
「なら話は早い。」
首から手は離れ、ベッドに押さえ付けられ、今度は枕で窒息した。
「御機嫌取るのは寝室で…。遣って頂こうか。」
「何なりと、…マスター。」
互いの歯がぬめりと光った。




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