Dear Mam


ブラッドが大人しいと気持悪いと、グレンは云う。尤も彼は、失礼彼女は、そんなブラッドをもう何年も見て居ると云う。
一年に一度だけ、ブラッドは癲癇発作を起こした様に、唯一点を見詰め、作り上げた石像みたく制止する。外から見れば全く動いて居ないのだが、頭の中は、其れは大変らしい。在る一点の物事が頭を埋め尽くし、パニックを起こし、其の為制止して居る。震える指先を口元で強く握り締め、無精髭の生える痩けた顎からは汗が落ちる。其の姿は日が落ちても続き、キース曰く、日付が変わった丁度瞬間、倒れ寝息をする。
毎年同じ日、グレンは云う。
理由は、と聞いたが、残念な事に彼女は、自分以外に興味が無い。もっと云う為れば、ブラッド自体に興味が無い。俺が来る迄、話した事も無かったと云う。覚えて居たのは、施設一気味の悪い男が一層気味悪く為って居たから。其れとルカが覚えて居たから。
「在の人今日、在の日じゃない?」と。
ルカは何故か、ブラッドに興味を持って居たらしかった。
なのでルカの云う侭其の気味悪い男ブラッドを探し、すると案の定、石像に為って居る。ルカはそんなブラッドの横に座り、同じ様に一点を見て居た。こんな場所で気味悪い男と一緒に居るのは御免だとグレンが「ルカに何かしたら承知しないわよ」と白い息と共に喚いても、反応は無く、汗を一つ落とすだけだった。
雪の中でブラッドは汗を掻いて居た。
今日は、其の日だった。
食堂でのブラッドは無言で、食器が置かれたのも気付いて居なかった。
「此処での楽しみ?食事かポーカーだな」
と豪語する男が。俺が声を掛けても全くの無視で、そんな事実を知らない俺は、無視をされたと少し腹が立ち、皿の中味をスプーンで投げて遣った。赤ん坊の下呂みたいな朝食は、汚いブラッドの頬に命中したが反応は無かった。
「無視するなよ、アーティストさんよ。」
もう一度、一層汚くして遣ろうかと皿毎持ったが、キースに手を掴まれ、其の侭強制退場と為った。其の後の処理はルカがしたらしく、其の時、「有難うママ…」そう云ったらしい。
在の不気味な男の口から出た「ママ」と云う単語に、俺は笑い転げた。
「ママ、ママだって。幾つだよブラッド。とんだマザーフ**カーだ。」
「ママー。」
「はいはいルカ、ママは此処よ。」
そう、ルカが云うなら違和感は無い。ブラッドが云ったので、激しい違和感があるのだ。からかって遣ろうと再度、ブラッド・シュナウザー作“有難うママ”の石像に近付こうとしたが、フ***ンマザーフ**カーに邪魔をされた。散々汚い言葉を喚き散らしたら、教会と云う監獄に入れられた。此処では汚い言葉を日に三つ云えばレッドカードだ。神父の何ともアリガタァイ、全く役に立たない糞な御言葉をたっぷり三時間聞いた所で解放された。ランチタイムは終わって居た。
「今日のランチは何だった?」
「ローストチキンのクラブサンド。」
「ブラッドと俺の大好物じゃないか。」
二人して大好物にありつけず、けれどブラッドは相変わらず石像だった。
「ブラッド、就寝時間だ。」
全く反応を示さないブラッドにヘンリーは以降興味を見せず、此の就寝時間迄女達と居た。グレンは読書に耽り、ルカは俺と遊んで居た。自分の子供は自分で面倒見ろよパパ、とグレンに皮肉を云ったが、パパは子供の相手をしないのよ、と食堂でのヘンリー宜しく無視された。
「嗚呼、有難う、ママ…。愛してるよ…」
ブラッドは此の、俺達が“儀式”と云って居る日は“有難うママ”“愛してるよママ”以外の言葉は口にしない。
庭の階段に座るブラッドを大量の毛布で包み、医師班の状態確認が終わると抱えた。
「異常ありません。」
「御苦労。」
ベッドに座らせても膝を抱えた侭、毛布に包まった状態のブラッドを看護婦二人が診て居た。
「チェックして来る。」
日付の変わる三十分前、一日最後のチェックタイム。此の棟は最後にする。一旦部屋に戻り、其々の棟の状態をチェックし終わると、「御休み為さいませ、大尉殿」と他四棟をチェックした二人の陸空軍大尉に敬礼をした。
戻った俺はペンを回し乍ら一つ一つ部屋を見て回り、一番端の部屋で、相変わらず喧嘩をした。
「早く寝ろ。」
「ブラッドが相手をして呉れないっ」
ドアーにへばり付き、確認窓から不満を目でヘンリーは伝えた。
「明日に為ったら、遊んで呉れる。寝ろ。」
「俺は今遊びたいのっ」
「喧しい、皆寝てるんだ。」
「じゃあ起こして遣るよ…っ」
云ってヘンリーはドアーを打楽器化させ、其の音に向かいの死体が「ウルセェっ、今何時だと思ってやがんだ」とドアーを蹴り返した。俺の疲労は一気に溢れ、舌打ちをした。目も、言葉通り回る。
「今黙らせる…」
「嗚呼、殺しとけブラザー。」
「との事だヘンリー、死ぬか?」
「其の前に俺が殺す。」
「物騒だな。」
ヘンリーの出した音を聞いた看護婦の一人はドアーを開け、無言でヘンリーを後ろから羽交い締めにすると其の侭物騒な代物を取り出した。針先を見たくない為俺は顔をファイルで隠した。
「レイディ…っ、もっと淑やかに行……」
「シー、シー……」
古いガス管からガスが抜ける様な息遣いの後、ヘンリーが床に倒れる音が聞こえた。
「御苦労…」
看護婦は、俺が女嫌いと判って居るのか、視線も合わせず敬礼すると其の侭ブラッドの部屋に戻った。
今日はノーマルでは済まなかった。H・ベイリーと書かれた其の下に状況を書き、時計を見た。
日付変更迄、一分。
ブラッドの部屋からは先程は無言だった看護婦の声が聞こえ、覗くと、ブラッドに膝枕をし、頭を撫でて居た。
「愛してるわ、ブラッド…。貴方が居れば、ママは何も要らないわ…」
もう一人の看護婦は手を握り、撫でて居た。
「ブラッド…、ブラッド…、私の天使…」
そしてそっと甲にキスをした。
「愛してるよ、ママ…」
ブラッドがそう吐き終わった時、時計の針は真直ぐ、微塵のズレも無く真上を差し、重なった。看護婦の手からだらりとブラッドの手は伸び、股に乗せて居た頭を大きく離すと其の侭真後ろに倒れた。「痛…」と一度唸り、片手を胸に乗せ、片膝折った。
B・シュナウザー、ノーマル。
チェックリストに記し、一日の仕事が終わった。




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