Dear Mam


ブラッドは、痩せ細った身体に服を浮かし、破けたズボンの裾を引き摺り、血色の悪い顔の頬に肉は無く、あるのは無精髭。気怠そうに煙草を吸い、時折、伸びた前髪を、薄い手で掻き上げた。サイズの合った服を着れば良いのに、そうハロルドは思うが、ブラッドの其の風貌は確かにアーティストの姿をして居た。
「ヤらせろ、色女。」
「あらん、戻ったのねん?良いわよん。」
施設のマドンナはブラッドと擦れ違い様指を差し合い、朝の挨拶を交わした。ハロルドの居る場所に来る迄、数人の女に同じ言葉を掛ける。其の相手は決まって居た。けれど本当にする訳では無く、ブラッドには此れが挨拶だった。
「御早う、天才ダンサーさん。今日も絶好調にダンシングか?」
「御早う、天才アーティストさん。素晴らしい作品は出来た?」
ブラッドの咥えて居た煙草を取り、一口吸うと消した。
「ブラッドー。」
「御早うアリス、兎は見付かったかい?」
不自然な歩みで寄るルカを抱き上げ、椅子に座らせると書類を見乍ら監視をするキースを見た。
「見るな、馬鹿が移る。」
「じゃあ俺は、頭良く為るかも。」
そうブラッドが云ったので、ハロルドとルカもキースを見た。三人に凝視されたキースは落ち着く筈無く、書類を閉じると姿を消した。入れ代わりにグレンが現れ、変わらない何時もに見えたが、今日のグレンは何時もと違って居た。
「最低よ…」
開口一番が其れで、グレンの云う最低は、聞かずとも判った。ブラッドは煙草を持った手で口元を隠した侭笑いを堪え、ハロルドは「其の姿も中々だね」と云った。
「気味悪いな…、何かもやもやする…」
「そう?俺は好きだよ。」
「有難うヘンリー…、優しいのね…」
何故かグレンは、男の格好をして居た。何時ものグレンは奇麗に着飾り、肩より伸びる髪はセットされ、誰に会うのか判らないが化粧を施して居る。其れが今日は、ブラッシングしたのか聞きたい程髪は乱れ、フェミニスト風潮を嫌う為スカート或いはワンピースしか履かない服も折目の付いたズボンとシャツ、顔に至っては全くの手付かず所か髭さえ剃って居なかった。
「グレン…?如何したの…?奇麗なブラッドみたいだよ…?」
「今日、母が、面会に来るのよ…」
成程其の為、グレンは男に為って居た。グレンは此の母親を、何よりも恐れて居た。長男である為か、其れはもう厳しい躾を受けた。母親イコール鬼教官とインプットされるグレンは、未だ会っても居ないのに疲れ切って居た。ルカはそんなグレンが誰か判らず、ハロルドにしがみ付く。声は確かにグレンなのに違う姿に狼狽した。
ルカを紫煙越しに見て居たブラッドは、余りの怯え様に頭を撫でた。普段全くと云って良い程ルカに興味示さない筈が、少なからずブラッドも、此のグレンの姿に怯えて居た。感情を共有し様とでも云おうか、ルカは少し落ち着いた様子だった。
夕方に来るのがせめてもの救いだと、隣のテーブルに忘れられた持ち主不明のヘアゴムを取った。前髪を後ろに流し、後頭部の高い位置で全てを一つに結った。元来の端麗さがはっきりとし、ハロルドは口笛を吹いた。
「良いね、そそる。」
「有難う、ちっとも嬉しくないわ。」
新しく煙草を付けたブラッドは顰め面でグレンを見た。見た目は完全に男だが、其の口調では意味が無いのではとブラッドは思う。
「其の、ヘリウムガス吸ったみたいな声って、地声なのか?」
「違うわよ?高くしてるの。」
「今から戻しとけば?夕方いざ戻そうとして、あら御元気ママ?じゃ、水の泡だろう。」
ブラッドにしては気の利いた言葉だが、実際は違う。魂胆丸見えのブラッドにグレンは額を叩き、
「此れで満足かよ、ブラッド。」
そう地声を出した。
「へえ…」
ブラッドは、元が高い為高い声を出せるのかと思って居た。考えて居た声とは反対の、自分より低い声に引き攣った。
「其れが、地声…?」
「そうだよ、悪かったな。」
「良いね、ぞくぞくする。」
ハロルド一人、興奮して居た。
こんな姿で誰にも会いたく無いと、グレンは一時間すると部屋に戻り、夕方、面会が終わった時、本来の姿で現れた。今から寝るだけだと云うのに、化粧迄して。ネックレスを指先に絡めて遊び、枯れ草と為って居た。
「御疲れ、グレン。」
「本当、疲れたわ…」
「ママは何て?」
横目で聞いたハロルドにグレンは項垂れ、深い溜息を吐いた。云いたくないのか、云い難い事なのかグレンは口を開かず、ならば其れでも良いかと、煙草を暖炉に投げた。
「グレンの御母さんって、どんな人?」
「平凡な母親よ。ヘンリーの母親とは違うわ。」
「何時も家に居るの?」
「そうよ。家に居て、家事に追われて、化粧気も無いの。束ねた髪は傷んでで、手は荒れてるの。そして太ってるの。」
グレンは、そんな母親を反面教師と見て育った所為か、非常に美意識が高い。二人居る妹は、そんな母親と同じ母親と為った。女であると怠けた結果、美しさと全く掛け離れた女と為った。グレンには其れが許せず、女を嫌った。
「リンダ程美しく無くて良いわ、小奇麗にすれば良いのよ。元は悪く無いんだから…」
「母さんは、特殊だからね…」
母親が家に居る日常、ハロルドには羨ましかった。家に居て呉れるのなら、化粧気無くとも良い、奇麗で無くとも良い。ハロルドの母親が家に居るのは夜中、顔はスクリーンでばかり見た。地方撮影から帰宅し漸く会えると、学校から急いで帰宅しても、居るのは寝室で、父親の腕の中で猫みたく丸まって寝ている背中。其の時決まって父親は、人差し指で口元を塞いだ。
違う母親像を、二人は求めて居た。
「完璧な母親って、居ないと思うんだ。」
「そうね。」
「母親って、子供が求める像を表して、初めて母親と認識されるんじゃ無いのかな。」
グレンの場合は奇麗な母親、ハロルドの場合は家に居る母親。
「ヘンリー、リンダの事、嫌いなの?」
「まさか、大好きだよ。」
「一番母親を大好きなのは、ブラッドでしょうね。」
「ブラッドはとんでも無い、マザーフ**カーだよ。」
「誰がマザコンだって?御前には負けるよ、ママ大好き野郎。」
二人の会話を途中、ブラッドはマザーフ**カー、の一番タイミングの悪い所から聞いた。煙草の空箱を暖炉に入れ、雪のちらつく窓を見た。
「ブラッドの母親って、どんな人?」
寒いと云う割にはジャケットを来て居ない背中にハロルドは聞いた。
「母親?」
ハロルドの煙草を無断で咥え、窓に背中を向け、上を向いた。数回首を鳴らし、さあ、そう言葉を繋いだ。
「さあって…」
「思い出したく無いんだわ。」
余りにも愛して居たから。自分は愛した母親に恨まれて居る、そんな考えがブラッドを苦しめて居た。
「良くさ、父親が居ないとホモに為るって云うよな。」
「嗚呼?まあ、聞くね。俺、父親居るけど。」
「事実無根よ。私も居るわよ。」
意図の掴めないブラッドの言葉にグレンは反論したが、ハロルドは止めた。
「其の定義だったら、俺、ホモな筈何だ。なのに違う。在れは間違いだな。訴えて遣ろうかな。」
「ブラッド、父親居ないのかい?」
「嗚呼、生まれた時から居ない。」
吸い終わった煙草を消し、ハロルド達を決して見様とはしなかった。暖炉を見た侭、「別に話しても構わない」そう云った。
偶々其処にブラッドを良く知る看護婦が一人通り、気付いたブラッドは看護婦を呼び寄せた。
「此奴から聞いて、全部知ってる。」
自分の口から云うには、余りにも愛が深過ぎた。上手く云えない、又鮮明に思い出したく無いブラッドは、看護婦の肩を数回叩くとふらりと姿を消した。何故呼ばれたのか看護婦は判らず暫くは困惑して居たが、会話の流れを聞いた看護婦は頷いた。持って居た袋には編みかけの毛糸が入っており、看護婦は座ると編み出した。
「何で父親居ないの?娼婦だったの?」
「違う、看護婦みたい。」
此の看護婦は、ブラッドと同じくブロンドだった。必然的にブラッドの母親はブロンドと為り、重ねて居るのだなとハロルドは知った。
ブラッドの作品と化した女達は全員ブロンド、ハロルドもブロンド、ブラッドが一番ちょっかいを掛ける在のマドンナもブロンド。ブラッドの潜在意識を伺えた。
「ブラッドに、全ての愛を注いだ人。其の姿は聖母。ブラッドの全て。」
看護婦は毛糸から視線を、暖炉の上にある小さなマリア像に向けた。
ハロルド達はてっきり、ルカみたく虐待を受け育ったと考えて居た。全く正反対で、拍子抜けした程だった。
「其れが、何であんなになっちゃうの?ママ泣くわよ?」
「泣いたわよ、勿論。だからブラッドは、母親を思い出したく無い。愛したママを泣かせたってね。」
「父親が居ないのは何で。俺は其れが聞きたいの。」
「ヘンリー、貴方は知らないでしょうけど、聖母って云うのは、一人でキリストを産んだよ。」
詰まりはそう云う事、と看護婦ははぐらかした。アンチ・クライストでは無いハロルドだが納得行かず、生物学的に不可能と頭を掻いた。
短く為った毛糸を引き出し、看護婦は続ける。
「ブラッドは、母親の愛情を一身に受けて育った。甘やかすだけじゃなくて、躾もきちんと受けた。」
同じベッドで、十歳迄寝て居たと看護婦は笑う。
「けど、ブラッドには不思議だった。自分に父親が居ない事が。」
編み棒の音が微かにする中で聞く話では確かにあった。
「六歳の時、ブラッドは堪らず聞いた。僕の御父さんは何処。そして云った。御父さんが欲しい、僕にだけ居ないのは不公平だと。」
其の時の母親の顔を、ブラッドは今でも記憶し、一生忘れる事は無いと云う。
看護婦は作業の手を止め、膝に乗せると、開いた両手を強く握り締めた。幼いブラッドを抱き締める様に。
「そして母親は云った。嗚呼ハニー、ママは貴方をとっても愛してる。貴方が望む事は全てしてあげるし、してあげたいわ。だけど、其れだけは無理なの。こんなも愛してるのに、一番の望みをしてあげられないママを許して。貴方に父親が居ない理由、貴方がもっと大きく為って、ママより大好きな人を見付けた時、其れを教えてあげるわ。ハニー、其の時迄、ママを好きで居て。其の後は、周りみたくママを嫌いに為っても良いわ。」
手から力を抜いた看護婦は、又作業に戻った。
「母親って、偉大。」
「一寸待って、ブラッドママが偉大なのは判った。父親が居ない理由が判らない。」
母親の愛の深さに涙を知って居たグレンだが、ハロルドの発想力の無さに呆れ、目が瞬時に渇いた。
「ヘンリー、貴方馬鹿ね。」
「馬鹿だよ、だからはっきり云ってよ。」
「ブラッドの母親はレズ。だから父親を作ってあげれ無かった。ブラッドははっきり云わないけど、私でも判る。ヘンリー、御馬鹿ちゃん。」
「愛情が上っ面なのよ。ハロルド・ベイリーって男は。」
「悪かったね…」
小馬鹿にするグレンの笑みから目を逸らし、ハロルドは煙草を咥えた。火は点けず、かと云って誰かが点けて呉れるのを待って居る訳でも無い。残り少ないマッチ箱を指先で回し、乾いた音が響く。
愛情も、躾も、全て完璧に受け育ったブラッド。其れが何故、だらし無く不躾な、汚い言葉を繰り返す犯罪者と為って仕舞ったのか、気に為った。
愛しいママが同性愛者だったから?
其れにしては、余りにも破壊的過ぎた。ホモセクシュアルであるハロルドと連む位であるから、幾ら他を罵るからと云っても其の理由は無いと考える。現にブラッドは、作品に反映させる程今でも母親を愛して居る。
「何がブラッドを其処迄変えたんだ…」
此れが若し、“ノーマル”な母親であり、ブラッド以外の男を心から愛したとしたら、ブラッドの受けた傷は理解出来る。自分だけを見て居た筈の愛情を減らされたのだから怒り狂うに違い無い。結果、在のアーティストを生み出したのなら納得も理解も出来る。
段々と湿り気を帯び始めた煙草に気付き、グレンに咥えさすと、ハロルドは新しく咥えた。
「私、煙草吸わないんだけど…」
「捨てて良いよ…」
今度は湿らない様、唇に付けた侭考えた。
「知らない?」
看護婦に聞いたが、眩いブロンドで顔半分隠した侭見られただけであった。




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