もう一つの恋愛事件


「嗚呼っ、嘘よっ。琥珀があたしを捨てて、男と結婚する何て嘘よっ。しかもあたしより先ですってっ?」
二次会の席で愛子は発狂した。
「判るぜ、屹度何かの間違いだ。けど安心しろ?直ぐ様離縁だ。」
酒を飲み、宥めの手を伸ばす拓也。神様、そう愛子は目に涙を浮かべ、文字通り伸びる拓也の手を掴んだ。
「伯父様、こうなったら、あたくしと結婚して頂けてっ?あたくし、伯父様大好きですわっ。嗚呼、御願い、初恋何ですのよ。御慕い申し上げて候。」
「男爵令嬢は、丁重に御断りさせて頂くよ…」
妖怪みたく拓也に擦り寄る愛子に琥珀は一旦馨の傍から離れ、廊下に其の妖怪を連れ出した。恥ずかしいから止めてくれと涙乍らに訴えたが、愛子は其れでも愛を止め無かった。
流石は“愛子”と云うべきであろう。
「帰るわ。しっかりやれよ、馬鹿娘。Good luck.」
「嗚呼、素敵っ。伯父様御待ちになってっ」
御待ちになってと手を伸ばされ様が、拓也に妖怪を相手にする趣味は無い。身震い起こし、逃げ帰る拓也に愛子は舌打ち、けれど連れない其処が良い、と盛大に愛を振り送った。
そんな愛子の姿に、馨は勿論、他の海軍将校達は笑って居た。馨は鼻で笑い、他は微笑ましく笑う。琥珀は当然、友人を止めたくて仕様が無かった。
「愛子、笑われてるよ…」
男爵令嬢嘆かわしい限りである。
「笑えっ、笑い為さいっ。海坊主共っ」
海軍将校に向かい、何たる口を利くのか、琥珀は蒼白し、必死に馨に詫びた。馨は引き攣った笑顔で、今日は無礼講です、そう云った。
こんなに御慕い申し上げて居る拓也に冷たくされた虚しさ、其れを琥珀にぶつけた。あたしを捨てて地獄に堕ちれ、そう言い放ち、其れだけでは足らず、事もあろうか一人の軍長に絡み始めた。
此の軍長、一人だけ将校では無く、非常に不自然極まり無く愛子の目を引いたのだ。其の軍長に絡み始めた物だから琥珀は一層慌て、馨に止める様求めた。しかし、馨は不適に笑うだけであった。
「大和。」
「何ね。」
大和、と呼ばれた軍長は愛子から顔を逸らし、ゆっくりと向いた。
「ワタクシに、恥は欠かせぬ様、御願い致しますよ。」
奇麗な顔は怒りに歪み、愛子の足に伸びる手を睨み付けた。
「無礼講、や無いとか、馨。」
「貴方に其の言葉は無意味でしょうよ、御馬鹿さん。」
動く喉元を愛子は見詰め、其のしっかりと張った顎や、其処から伸びる太い首に、男らしさを感じた。知れず腰に回る、しっかりと自分を支える手にも、胸に熱さを覚えた。煙草と酒と、砂の様な汗の匂い。厚い胸板が、頼もしく感じた。
明日も仕事がある為、二次会は二時間程で開いた。将校達はほろ酔い、加納元帥万歳やら、海軍讃歌を其々口遊み、陽気に帰途に付いた。大和は残り、何故か愛子も残って居た。時刻は九時、そろそろ帰さなければ心配される。
「愛子、電話し様か?」
家から迎えを寄越して貰おうと琥珀は腰を上げたが、其の手を馨に掴まれた。大和を見据え、少し顎を上げた。
「大和、貴方が御送りして差し上げ為さい。」
馨の言葉に愛子は一層胸を熱くしたが、大和は太い眉を吊り上げた。
「なし、おいが。」
家の人間が来るなら其れで良いでは無いかと酒を飲み、馨の言葉を流した。
「貴方ねえ、曲がりなりにも海軍でしょう。」
「はあ?如何見たって海軍やんか。陸軍に見えるとか。」
「でしたら尚更、紳士道を貫き為さい。其の野蛮加減は如何見ても陸軍さんです。」
馨の口から出た、自分とは全く正反対の“紳士”と云う言葉に大和は身震いを起こし、野蛮で良い、陸軍で良い、そう逃げ始めた。
「あの、加納様。」
繊細な愛子の声に馨は柔らかく笑みを向けた。
「大和が動けば良い事です。男爵の御手は患わせません。」
父親の手も大和の手も患わす事、愛子は嫌であった。
「一人で帰れますわ。」
「いけません。」
厳しい馨の口調に愛子と、何故か琥珀も縮こまった。
「貴女は美しいのですよ。夜道を歩いて御覧為さい、忽ち大和の様な獣に襲われ、一生を食い物にされますよ。」
「なん云いよるかっ」
鼻で笑った馨に大和は酒杯を床に叩き付け、轟々と撒くし立てた。
「幾らおいとて、強姦はせんばいっ。強姦ばしとうとは陸軍やろうもんっ」
「おやまあ、大和。先程、自分は陸軍だと申したでしょう。」
「確かにおいは獣ばいっ。ばってん強姦はせんし、此れからもせんっ。人ん事強姦魔呼ばわりしくさって、なんねっ」
「ならば送り為さい。女性を襲ったり等しない紳士な海軍なのでしょう?」
まんまと馨の口に乗せられた大和は絶句し、深く項垂れた。愛子は少し笑い、熊みたく厳つい風貌であるのに中々に可愛い性格をして居る大和に又胸を熱くさせた。
「判りましたよ、送れば宜しいのでしょうっ、元帥殿っ」
「其れでこそ海軍。早く帰り為さい。」
にやりと口角を上げた馨に、何故自分に送って行けと云ったか大和は理解した。
愛子の家から迎えを寄越せば、一時間弱掛かる。しかし大和が送ると云えば、即刻琥珀と二人になれる。其れに気付いた大和は徳利から其の侭酒を飲み、馨に威嚇した。
「自分ん方が獣やんか。なんが紳士か。」
「おやまあ…。一体、何の事やら…………ねえ?」
不適に笑う馨に大和は目を細め、琥珀に向いた。
「琥珀ちゃん。」
「はい?」
掠れ、低い其の声は、拓也に似て居た。
ふらふらと下駄箱に寄り掛かり、馨を指す。
「訛り出とらんけん未だ大丈夫とは思うっちゃけど、馨、酒飲むと人変わるけん。」
「え…」
「なあんされっとかいなねえ。其ん紳士に。」
にやにやと笑う大和に馨は舌打ち、早く帰れと、追い払う様に手を動かした。
「訛り出たら要注意ばい。泥酔しとう証拠やけん。」
「ワタクシは、大和以外に訛りは話しません。寧ろ、出ません。」
「ばってん、木島さんがこないだ、馨の訛りば聞いたって吹聴しとったばい。柱に激突して、柱に文句云ったとやろ。」
「嗚呼っ、在の御馬鹿さんっ」
獣に似た悲鳴を馨を漏らし、頭を抱えしゃがみ込んだ。
「在れは違いますっ」
「なんが違うとか。其ん気味悪か能面が二つある訳無かろうもん。」
「早く帰り為さいっ」
「惜しかねえ、後一寸で、訛り出そうやん。アクセント、少しおかしかよぅ」
佐々木大和、恨みは必ず、倍にして即刻返す性分である。




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