松山さん


今晩は、御嬢さん方、昼の方は今日は、どうも、由岐城組実質ナンバースリーの松山誠昭で御座居ます。声援有難う御座居ます、松山、松山誠昭で御座居ます。其処のええ案配の御夫人、横におる枯れた御主人なんぞ捨てて俺と楽しい時間過ごしませんか、松山で御座居ます。性癖だけでも覚えて於いて下さい、熟女、熟女好きで御座居ます、有難う御座居ます。明るい極道、眼鏡の極道、松山、松山誠昭で御座居ます。熟女からの御声援が何よりも大好きです、有難う御座居ます。
「頭…、何してますの…」
「あっこの二階、布団干しとる熟女を視姦しとるんやないか、阿呆か。」
「はぁあぁぁぁ…」
色気も糞も無い車内、横に居る、整髪料でがちがちに頭を固めた島谷の溜息の所為でわしの倖せが二十個逃げた。
白い車内、乾燥防止の蒸気では無く、わしから吐き出される煙草の煙。寒い為少ししか窓は開けて居ない。煙草の臭いに重なる島谷の安っぽい整髪料の臭いが充満する車内は、萎びたスナックの陰欝な空気に良く似る。ホステスの白浮く程安い化粧品の臭い、其れに似合うほぼ不純物の香水の臭い、中年男の下劣に輝く目の上にある脂ぎった薄い頭からする体臭、何時洗ったのかも判らない洋服からする汗の臭い、煙草と酒、其れ等が水と油の如く陰欝な店内に充満する。
金は渡している筈なのに…。
少なくとも、こんな不愉快な臭いをさす安物の整髪料を使う程困った生活はさせて居ない。貯蓄が好きなのか…?の割には、時計も背広も金掛かって居る。
詰まり島谷は、外見ばかりに重点置く阿呆。
幾らわしより質の良い仏蘭西製の背広を着て居ても、頭で全て台無しにする。整髪料の臭いで、虚栄心を掲示して居るも同じだった。豪邸に泥棒入ったは良いが、がらんどう。そんな感じ。
「目が痛い。」
其れも本当だったが、整髪料の臭いに吐き気を覚え始めたので、島谷側の窓と後部席の対側を全開にして遣った。
「さ、寒い…」
「煩い。」
此れに胃液の臭いを混ぜる訳にはいかない。深呼吸し、視線を上げた。
ルームミラーに映る背後の家、其処にわし好みの肉付いた女が笑顔で布団を干して居る。年齢三十八、子供は三人、旦那は銀行員――全て推定だが、ほぼ間違いない。三十前半にしては上半身に肉が付き過ぎて居る、四十代にしては血色が良過ぎる、腰回りにどっしりと肉付いたあの体型、三人は捻り出して居る。然も立て続けに。
旦那の職業は、家で判る。大きくも無いが、わしが今見張る家程みすぼらしくも小さくも無い。そして立地。都会と田舎の丁度中間の此処であの大きさの家を建てると為ると、経済状況は中。持ち家なのは手入れの仕方で判る、借家を此処迄磨き上げる馬鹿は先ず居ない。自営業だと、大概が一階か横に店舗がある。だから、銀行員。其れ以上の経済状況なら、もっとでかい家を建てる、建てられる。
そんな推測を立て乍ら、真っ白い布団に乗るむっちりとした腕を愛で倒した。目の前にあったら、舐め回し、噛み付いてやる所。
今日はあの熟女で抜くとする。
「頭。」
「ん?」
ルームミラーの端に映る長髪頭。女からピントを其方に向けた。
下っ端も下っ端、チンピラに近い構成員の島谷(弟)。横に座る島谷は兄だ。
何も兄弟で極道なんぞせんでも、思うが、親子二代で由岐城に身を落とすわしに云える事では無い。先に入ったのは兄で、此れは親の不始末で一寸した悶着の末、思いの他兄の頭の回転が早かったので、使えるかも、と今の弟位置にした。わしの直感は狂わず、あっと云う間に上層部に来た。と云うのも、わしの代わりに一寸“在る場所”に行って貰い、帰って来た時側近にした。
最早、兄のわしに対する忠誠心は、わしが会長に持つのと同等だった。
奴等の阿呆親父の悶着時、弟は一桁だった。兄を側近にした時、「雑用どっか居てないかな」と漏らしたわしに、兄はすんなり弟を出した、大金と引き換えに。だからまあ、弟は兄に売られたのだが、こんな阿呆で不細工で短足短小包茎の息の臭い自分に、酒と金と美女を与えて呉れる兄は神様に違いないと、矢張り阿呆に従って居る。
弟は、不細工に加え頭が悪い。兄は、見る者に依ってはど豪い男前に映る。如何にもな九州男の、猿人に近い掘りの深い顔付き。体躯も骨太に筋肉が重なり、低身長と浅黒は兄弟同じだが、丸太の様にがっしりとし、両足を踏ん張れば梃子でも動かない。弟は、猿人と云う依りは深海魚に近い。間隔の狭い窪む目頭からぶっとい眉を生やし、がっしりとした鷲鼻と鉄でもかみ砕きそうなしっかりした顎を持つ兄とは真逆に、目頭は阿呆みたく離れ、眉は薄く、ひらべったい鼻梁から、歯と云うか有るか無いか判らぬ顎全体が出て居る。体躯も其れに似合うひょろ長さ。
要するに兄は、九州男に色気を感じる女からして見れば、此の上無い色気溢れる男前なのだ。わしの御公家さん顔とは違う。
一寸濃過ぎやしないか?と、公家顔を毎日見るわしは思うし、兄も「松山さんみたいな高貴な顔に生まれて居れば何れ程良かったか」と漏らす。
兄は見た目通り、床の方も絶倫。弟は、わし以上に変態的なセックスを好む。一度、弟の相手をした女が手首を切った事もある。
真白い歯の隙間から、異臭とも取れる口臭を出す弟は、わしの吐き気を助長して呉れた。
本の少し前迄、弟の歯は虫歯に黒く、隙間だらけで、一層酷い口臭を撒き散らして居た。歯を全て無くし、入れ歯にしてからは幾分マシには為ったが、其れでも公害レベル、犬の糞の方が香しいと感じる。深海魚に似合う臭い、魚が腐った様な腐敗臭、内臓が腐って居るのかも知れない。
虫歯の異臭に加え内から来る腐敗臭、想像を絶する臭さ、此れに抱かれた女…手首も切りたく為る。短小包茎で、其処も臭いと来る。
弟が虫歯に蝕まれた黒い歯を無くしたのは、わしが全部折ったから。
理由は、兄の整髪料と弟の腐敗臭に挟まれ、吐き気堪え眺める家の男。
頭も悪けりゃ要領も悪い、頭悪いから要領悪いのだが、やらかしたのだ。
「奥さん、今日は。」
角から、辺りを警戒し乍ら姿を出した男の妻に、わしは友好的な声色で挨拶した。
政治家も極道も此の妻も、人間は皆、役者として生きて居る。
「あ…」
わしと、わしの後ろに停まる車と、車内から睨み聞かす兄に、妻は化粧気無い荒れ窶れた蒼白する頬を痙攣させた。
「天気、ええな。買物?」
荒れた細い妻の冷たい指から買物籠を取った。寒いのに羽織る物は、逃げた時と同じに薄い其れで、最早赤く為る足は下駄だった。
「寒いやろ、此れ、付け。」
云ってわしは、自分の首に巻き付くマフラーを妻の項に回し、左右の肩から垂らした。そして其の侭、買物籠を肘に迄滑らせると前で交差させた。
「旦那、何処?」
「あ、あの…」
ゆるゆると喉に迫り来るマフラーの感触に目元と鼻頭を赤くさせ、わしを凝視した。
恐怖に、眼球が其れだけを捉える本能を示した。
獅子に貪られる縞馬は、不思議な事に、牙で自分の皮膚を突き破り内臓食らう獅子を見る。
「奥さん、わしの声、聞こえてる?」
交差させたマフラーの先を一旦後ろに流し、項で交差さすと又前に向けた。
「主人は…」
「何処?」
「未だ…」
長さを無くしたマフラーの先を一つ手で纏め、かさかさに荒れた妻の唇に自身の唇を寄せた。
「奥さんにマフラー貸したから、寒いねん、わし。あったかい茶、どっかに無いかなぁ。」
「判り、ました…」
「大きに、奥さん優しぃなあ。」
此れで、不法侵入では無く為る。
家の外に居たのも、門から中に入れば不法侵入に値する為。妻がわしを家に入れたのだって、妻が勝手に呼んだから。マフラーだって、わしは締めたりして居ない。
寒そうだったからマフラーを巻いてやった、其れでわしが寒く為ったから暖かい飲み物が欲しいと呟いた、結果、妻が家に呼んだ。
マフラーも締めて居ないし、でかい声で罵詈雑言を浴びせた訳でも、脅迫でも、何でも無い。
妻が勝手に怖がり、家に呼んだだけ。
「ほんなら、御厚意に甘えて。」
加えわしは買物籠迄持って遣って居る。寒い中待ち、帰宅した妻に文句一つ云わずマフラーを与え、荷物を持った人間に、帰れと云った場合、果して何方が人情に掛けて居るか。
わしの、由岐城の信念は、拳では無く頭を使え、決して声を荒げるな。
門にすんなり消えた背中、其れに俺は息を飲んだ。
「御前も少しは頭見習えよ、臭ぇ息と支離滅裂な大声撒き散らすだけじゃ無くてさ。」
「頭、凄ぉい。」
弟の額は感心と、目の前で見た頭の姿に感激で赤らみ、汗を吹いた。益々薄い髪がぺっちゃりと張り付く。
借用の取り立てに雑魚を使ったら、舐められたのか単に深海魚が怖かったのか、トンズラされた。逃がした時、弟は臭い歯を辺りに撒き散らし、入れ歯に為った。
抑に取り立ては、下っ端の仕事、仕事も満足に出来ない深海魚なら眼球飛び立たせ、陸に打ち上げられたら良い。
本当に眼球迄出そうだったので慌てて俺が、頭の機嫌を取った。
一般人への取り立ては下っ端がするが、店等の上納金に為ると俺達が動く。此れは、下っ端だと店側から舐められる危険性と、上層部の俺等が行く事に依って、バックに由岐城が付いて居ると店側にはっきりさす為。単独で来た下っ端に「一寸遊んで行かれませんか」とは云えない。そんなチンピラに店内をうろつかれたら、其れこそ店の品格が問われる。
一番良いのは頭。
御公家さんみたいな顔で、頭の相手を本気で喜ぶ美女を侍らせ、興奮したチンピラみたく下品に騒ぐ訳でも無く、静かに高い酒を飲み、ホステスにも相応の待遇をする、「一寸遊んで行かれませんか」の店側の接待なので、上納金を渡し、且つ頭の飲食代だから痛いと云ったら痛いだろうが、何、所詮ぼってるのだから、周りの客に「うちは其れ程の店」と掲示するには安過ぎる位だ。
関西は、関東…東京と違い、軍の息が弱い。故に極道は関西方面に集中して、猛威を振るえる。東京にはある赤戦、其れが関西には無い。
まあ、陸軍自体が国営の極道其の物だが。
だから、関東には、関東発祥の組が余り無い。東京で看板上げ様ものなら国営の極道に潰されるのが落ち。
歓楽街のバックが、極道か陸軍かの違い。
唯、其れだけの話。
「旦那、来ないな。」
「やっぱり俺が不細工だからッ」
深海魚の弟は腐敗臭と共に被害妄想を垂れ流す。
「てめぇの面見たら逃げたくも為るわな。」
しっかりした顎から、煙を吐いた。
「旦那の居所、判ったで。」
窓からした声、髪が少し、乱れて居た。家に入る迄はきっちり釦締まって居た上着が、趣味の良いタイをはっきりと見せる。
「頭。」
「何?」
「タイピン、取れてますよ。」
云うと頭は視線を落とし、ぶらりと垂れ下がるタイに「嘘やん、アレ高いのに」と家に引き返した。
「やっだ…。あの女、おばさんじゃん。」
「黙っとれ。」
頭の趣味は良く判らないが、頭を否定される事だけは、例え実弟でも許せない俺は、弟の言葉を口臭と共に塞いだ。
俺は、若い方が良いけど。
ルームミラー。
布団が並んで居た。




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