松山さん
「なあ、儲かってる…?」
妻から聞き出した旦那の居場所。返すモンも返さんと逃げた旦那。
「ええ、御身分やなぁ。遊ぶんやったらなぁ、おい、する事して、遊んだらどない?」
賽子を愉快な声と共に振って居た男は、さっと声を落とすと、周りの当たった声と外れた声も、又、自分が当てた事にも気付いて居ない風で、呆然と空間を眺めて居た。
「ま…松…」
「なあ、当たってるよ。」
入れ代わる金、男の手元に来た金を掴んだ。
「今日は此れで終い。わしに、一寸付き合うて。な?」
「松山、さん…あの…」
「いけずせんと、な?頼むわ。」
掴んだ金は、利子の足し位には為るだろう、きっちりポケットに仕舞った。
連れ出した外、通路には酔いに任せ女にベタベタする男やら、同伴と思しき男女、出勤途中のホステス、客を物色する娼婦に、そんな娼婦の性の象徴を凝視する男…歓楽街の姿があった。そんな煌びやかな、大阪の娯楽を象徴する通りから、連なる店と店の、薄暗い、光があれば影がある、歓楽街の裏を象徴した小便の臭いと乾いた吐瀉物がへばりこびりつく裏路地に男を連れた。
光から、影。
一気に突き落とされた男は、未だ何もして居ないのに、朝方に吐かれたであろう下呂の上に手を付いた。
「うわ、汚ッ」
堪らずわしは漏らし、良いか待て、そんな手を握るわしの身にも為れ。立たせると、弟が持って居たバケツの水で、手と、全身を洗ってやった。
水が蒸発し、男の身体に白さを見せる。がちがちと歯を鳴らし、今度は寒さに力を無くし蹲ろうとした為、肩を壁に押さえ付け阻止した。
咥えた煙草に兄が火を付け、何方の白さか判らない白い気体を唇から吐き出した。
「奥さんに、悪いと思わんのか?あ?」
「松山さん、あの…」
「可哀相や無いか、なあ。御前の所為で、防寒具も買えんと、素足に下駄に、薄モンの羽織り一枚で、寒い中買物行って、其れで御前は何じゃ、あったかい賭博場で、御前は何をしとんねん、酒飲んで。なあ。奥さんに悪いと思わんのか。何で奥さんが謝んねん、御前が悪いんちゃうんか、御前の問題ちゃうんか、御前がわし等から金借りたんちゃうんか。」
「はい、はいそうです…」
「何で御前が謝らんと奥さんが謝んねん。御前みたいな男の為に、何で奥さんが頭下げんねん、なあ。御前が頭下げるんが本来ちゃうんかッ、せやろ島谷ッ」
「仰る通り。」
薄暗い路地に、声が反響する。青い髭跡残す男の鼻下には、鼻水が凝固して居る。
「奥さん、ええ女や無いか、磨けは別嬪や無いか、そんな女に苦労強いて、化粧品も与えんとわし等に頭迄下げさして、御前何がしたいねん。」
ぶるぶると、短い睫毛を覗かす閉じた厚い瞼が俄開いた。
「嘘、やろ…」
「御前が払わんのやったら、御前の為に頭迄下げて呉れるええ女なんよ、御前の為に、金、返して呉れるわな…?大体御前、返すモン返さんで、ヤる事はヤるんやな。御前、どんだけでかいねん。吃驚したわ。女のあっこてな、使い慣れた大きさに形状留めんねん。ヤり捲っとるから緩い訳ちゃうんぞ、島谷。」
「へえ。」
男は黙った侭、聞いて居た。
一体何が蓄積するのか、女の涙か男の涙か、快楽に失墜した獣達の悲鳴を何度も吸ったであろう地面、新たに、煙草を加えて遣った。ざり、と靴裏が擦れる音、煙草が消えた。
「嗚呼後。」
男の目は何も見えて居なかった。只管に漆黒の絶望の中をさ迷い、黄ばんだ白目が乾いて居た。
「可愛え、坊ちゃん、やなぁ。」
高を括ったか。息子だからと安心したか。
「世の中な、わしみたく奥さん派もおれば、坊ちゃん派も、おんねん。せやろ?島谷。」
「はい確かに。」
歯の震えは止まり、代わりに足元が揺れて居た。
「奥さん、ほんまええ女。自分は肋骨浮く程痩せてんのに、坊ちゃんの頬、薔薇色遣った。でっかいキラキラした目ぇで、お母ちゃんお帰りぃ、云うてな。坊ちゃんに、自分のコート、ぐるぐるに巻いてたわ。そら薄モン一枚で買物行くわな。わしかて人間や、そんな人間目の当たりにして、賭博に暮れる人間ちゃう、逃げる人間ちゃう、わしのマフラー、奥さんに遣ったわ。せやからな?」
御前の借金、又増えたで。
恐怖で支配する。其れもあり。でも一番に支配出来るのは、優しさ。
特に此処迄追い詰められた人間は、優しさに弱い。
「一週間。」
「はい…」
「一週間で、マフラー代と坊ちゃんに遣った飴代加えて耳揃えて返せ。一日でも過ぎたら、御前等家族の次の日は保障せん。ええな…?」
男は頷かなかった。一週間しなくとも、もう既に保障は無い。皆使い物に為らなく為る迄、金を量産し続ける。息子の方は、一度しか金を生まないが。後は知らん、使い物に為らなく為る迄、変態の相手だろう。
逃げ、逃げた先で懲りずに賭博に暮れる男に、三分の一でも集められまい。
「え、え、な、?」
肩から手を離すと、漸く頷いた。
奥さんは、冗談抜きに美人。良くもまあこんな海馬みたいな碌でなしが結婚出来た。一寸磨いて一寸相手したら、普通に奇麗に為った。売るには一寸、惜しかった。
だってほんまに、奇麗やったから。後、あの坊主に対する愛情も桁外れやったから。普通やったら、子供に迄気ぃ回らんで。
自分勝手な親は、平気に子供を捨てて逃げるから。そんな母親な容赦無くらえげつないクラブにでも飛ばして、えげつない変態の相手をさす。
「なあ、誠昭はん。」
「んー?」
荒れ果てて居た肌は、すっかり見違える程、あの坊主の様に薔薇色を蓄え、しっとりと掌に吸い付く。
最初とは豪い違い。
最初はほんま、鑢でも抱いてんのかと思た。
「あたしの事、もう、売ってええよ。」
肩に乗る艶々と黒光る髪、青白い旋毛、毛先が屈折した布団の上で流れる。
「ほんま感謝してんの、此の半年。信じられん程ええ思いしたの。せやからね、もう、何処に行っても、あたし、此の思い出で乗り切れるよ。売って。なぁ、売ってええよ。」
日本人とは思えぬ程高い鼻梁の両脇で、長い睫毛が何度も動く。
「阿呆か。」
髪に絡む香水の匂いを、鼻の奥で絡ませた。
「売るか。もうわしの女。絶対売らん。売って下さいて頼まれても絶対売らん。」
細さは相変わらず、其の細い肩を布団ごと抱き締め、蟀谷に強く唇を押し付けた。
「あの子、元気かなぁ。ううん、元気よな。」
嗚呼、ほんまええ女。
極道に一生飼われる未来なのに、其れでも坊主を気に掛ける。
ど変態に売って遣ると男には脅迫掛けたが、此処は素直に子宝に恵まれない善良な弁護士夫婦に渡した。わしも端からど変態に売る積もりは無かった。
大概子供が残ったら孤児院に渡す。
そら、他の極道は知らん。ど変態に大金で売るかも知らんし、そんなクラブを持ってるかも知らん。せやけど、此処は新制極道の由岐城ですよ、旧制の極道みたいな事はせん。親の不始末を、子供にはさせん。
馬鹿には容赦無く、金を量産させる。
極道の好きなもの、其れは馬鹿。
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