此れも仕事


何ともまあ、憂鬱と云う言葉が誠しっくり来る心情で、嫌々手を動かした。私は考古学者を目指す身であって、決してガキの子守りをする為に此の道に進んだ訳では無い。
何が私をこんなにも、夏彦氏みたく陰鬱にさせて居るかと云うと、二日後に行われるらしい某私立小学校の社会科見学、此れが原因であった。
老師だ、此れも全て、子供好きの老師の所為だ。二言返事で承諾した。
歴史に興味を持つのは有難いが、此れと其れとは話が別である。
成人に対して説明するのは問題無いが、子供。
子供かぁ…。
私は子供が苦手である。苦手と云うより、悪意を持って居る。赤ん坊も嫌いであれば幼児も嫌い、高校生…はもう大丈夫なのだが(あの馬鹿さ加減が私と合う)、中学生の「別に僕は興味ないんだけどね」なくそ生意気な態度も、小学生の喧しさも大嫌いで、蹴飛ばしてやりたくなる。然も、二日後に行われるらしい其れの対象は小学校三年生、一番云う事を聞かない、まるで野生児を相手にしなければならない。
今から死んでしまおうか。
帰りにうっかり入水でもしてしまおうか。
ダンプカー、うっかり私に突っ込んでくれんだろうか。
嫌で嫌で堪らないので、当日運良く、高熱か腹痛が起きないか期待して居る。
こんな思いをしているのは何も私だけでは無く、意外に、弥勒氏がうんざりしていた。
そう、弥勒氏も子供が苦手なのである、全く意外だが。
「子供とか、無理。」
内臓抜かれたゾンビみたく弥勒氏は動き、二日後の準備をする。何時もの活発さと明るさが嘘の様で、のろのろと、何かする度ため息を撒き散らしていた。
一方で。
何の不満を漏らさないのが、普段世の中全てに不満を漏らし、又馬鹿にする夏彦氏だった。
まさか、まさかと思うであろうが、夏彦氏は子供が平気なのだ。自分の世界を壊される事を何よりも嫌う夏彦氏が、まさに他人の世界に無断で土足で入り荒らすだけ荒らして去って行くのが仕事の様な子供を平気と云っているのだ、意味が判らない、矢張り彼は変人だった。
「だって俺、教免持ってるもん。」
「え?社会科?」
「いや、小学校の教免。俺一応、大学で考古学教えてるだろう?其れに博士号迄持つ天才であるから、簡単に免許取れた。在学中で必要な科目は満たされてあったし、先ずに大学での講師実績が五年以上あった、後は必要な試験受けたらあっさり取れたよ。」
「へえ、又何で又教育免許なんぞ。」
「教育免許ってのはな、医師免許以上に安定した免許なんだよ。俺の知り合いに化学教師がいるんだが、此奴は医師免許を持ってる。なんでか。医者として生きて行けなくなった時、教師としての道に逃げられるんだ。実際此奴は実家と折り合い合わなくなって、教師になってる。そして、教育免許ってのは、持ってれば絶対仕事には困らない。教育委員会から追放を受けても、塾って云う、素晴らしい再就職先がある。家庭教師もそうだ。一流大学の在籍者より、教育免許を持ってる人間の方が仕事はあるんだ。」
教育免許の素晴らしさを長々と語って貰って於いて恐縮だが、だから何故に御前が免許を持っているのか、意味は教えて貰えなかった。
結局彼の結論が判らずぽかんとして居ると、流石は菩薩、弥勒菩薩様、「で、結局何が云いたいの?」と、機嫌の悪さを見せた。見た目では判らないが、弥勒氏の機嫌は最悪で、普段柔らかい口調は硬い。
「御前、人の話聞いてんのか?」
「聞いてたよ、聞いてたからこそ、なんで夏彦が免許持ってるのか判らないんじゃん。」
「御前、早稲田の癖に頭悪いな。」
「あは、東大の夏彦とは違うんだよ。馬鹿で御免ね。」
「喧嘩売ってんのか?」
「いいや、でもそう思ったんなら、夏彦の心は荒んでるんだね。実家に帰って、説法聞いてきたら?」
びきりと、髪で隠れて見えないが、夏彦氏のこめかみに怒りの血管が浮き上がったのが判った。
「御前が子供嫌いなのは良く知ってる、でもだからって、其の不満を、先生にでは無く俺にぶつけて、大層だよ。何様だ。」
硬い夏彦氏の声に弥勒氏は顔を背け、気分悪いと繰り返し部屋から出て行った。
抑此の社会科見学、歴史を教えると云うより、考古学者がどんな職業であるかを教える様な中身だった。普段何をして居るのかやら、器具の説明、そして実際に器具を使っての簡単な発掘と復元と云う内容だった。
弥勒氏がして居たのは、此の発掘体験で使う、博物館の売店で売って居る様な発掘キットたるものの整理と確認だった。其の数百五十、掛ける三種でお土産、其れを弥勒氏一人で確認して居た。いい加減苛々して居たのだろう。
なのに夏彦氏は、此れは当日説明をする為大掛かりな準備に関わらないのだが、机に座って資料を作成して居るだけであったから、弥勒氏の八つ当たりの標的になった。
夏彦氏も夏彦氏で、だったら御前が其の大嫌いなガキどもに一から判り易く且つ退屈させない様に説明してみろ、と云う所であろう。
「なんも知らん子供に一から教えるのが何れだけ大変なのかも知らん癖に。」
紫煙と共に吐き捨てた。
考古学者と云う職業は、正直大人でも正しく理解出来て居ないだろう。茜が実際そんな感じだ。
考古学者と聞けば真っ先に遺跡発掘、と思われるが、実際そんな事は無い。世界的に有名な発掘であれば、先ず私達の様な者は行けない。其れこそ世界中の考古学者達が此の目で見て、触れたい古代遺跡でも、携われるのは本の一握り。
はっきり云って考古学者、浪漫はあるが、全く未来の無い職業であったりする。日本に居る考古学者の大半は、日本で埋れて終わる、誰にも発掘されない侭。
そんな未来の無い職業だが、何も私達は未来を見て居る訳ではない、未来が見たいのなら、科学者にでもなったら良い。
The science stares at the future――科学は未来を見詰める……茜とデートで行った科学館にそんなロゴがあった(透かさず茜が、You don't stare at me――貴方は私を見詰めない、と返した)。
では普段何をして居るかと云うと、此れが社会科見学の内容になるのだが、今迄見付かった歴史の追求、復元、そして、博物館勤務と其れ等の管理…。
此れが現実なのだ。
博物館で、何や彼や説明する従業員が居たら、いやいや此れも立派な仕事だが、仕事の無い考古学者だと思って貰って良い。展示物の説明も書いて居るし、短期間の催し物等はあれ、陽の目を見ない考古学者達の涙ぐましい努力の結晶なので楽しんで貰いたい。
トレジャーハンターみたいな格好してる従業員は確実に考古学者なので後ろから蹴ったりしない様に。
聞いて居るのか、おい其処の列からはみ出た坊主頭、ベタベタ硝子に触るんじゃない。其の硝子を曇り無く拭き上げるのに、一体何れ程の体力が要るか、貴様一度やってみろ。
「其処の坊や、過去に興味があるのは一向に構わないけど、現実が見えなくなっちゃうよ。」
拡声器から出された夏彦氏の言葉に、列から溢れた少年は、自分のクラスの列から取り残され、違うクラスの列に並んで居た。
そんな集団を、私と弥勒氏は一番後ろで眺めて居た。
私の救いは、一番後ろで生徒を見る教諭が美人な事位だった。
弥勒氏は、此の世の地獄を菩薩の目で見て居た。まあ実際見ちゃ居ないのだが。
こうして改めて、何も考えず博物館を見て回ると溜息が漏れた。
素晴らしい、美し過ぎるぞ、博物館。改めて我が職業を誇りに思った。
…博物館勤務では無く、考古学を学ぶ者として。
「恐竜に一番近い子孫は、鳥類です。」
地上史上最大の最強肉食恐竜、ティラノサウルスの頭蓋骨模型を前に夏彦氏が云った。男子は興奮し、女子は其の大きさに怯えていた。恐竜が嫌いな男子はほぼ居ない、年齢高くなると女子だって其の魅力に取り憑かれる。
「あ、そうなんや。」
ちゃっかり小学生と混ざって教育を受けた。
私はてっきりイグアナ辺りだと思って居た。なんか似てるから。
「近年の学者達の研究で、恐竜達には羽毛、或いは毛皮があったとされて居ます。いやぁ、吃驚だねぇ、俺の大好きなレックスが剛毛だなんて、一体何れ位の毛皮が出来るんだろう。此れを捕獲した場合、動物愛護団体から非難受けるのかな。多分ね、俺の予想、レックスには、此処、頭から額に掛けて、前髪の様に毛があると思うんだ、レックスに毛があれば、の話ね。」
「先生みたいに?」
「嗚呼、多分そう、素敵な前髪。」
「見えないね。」
「見えないな。だからこそ、地上最大の肉食獣だったのかも知れない。」
「ねぇねえ先生。」
「何?」
「ティラノサウルスとレックスって、同じ生き物なの?」
「そうだよ、ティラノサウルスは科名で、其のティラノサウルス科の中で最大級の大きさを誇るティラノサウルスがレックスと云う種だよ。そうだな、判り易く云ったら、ネコ科って云うのは、猫、虎、豹、チーターやら全体を指すだろう?ティラノサウルスは其れ。其の中で、猫、とか確定した種になると、此れがレックスなる。」
「へえ、じゃあ一番おっきいティラノサウルスがレックスなの?」
「そう。全長十三メートル、体重七トン、強靭な下顎で獲物の骨を噛み砕き、其の強靭な前足の爪で獲物の肉を引き千切る。尾を振りバランスと時速を保つ、今日に迄至る地上最大の捕食生物、ラテン語で王の名を持つ、レックス。俺の持論で云うと、恐竜の子孫は鳥類じゃない、ネコ科だと云える。」
「なんで?」
「だって猫って、尻尾振って獲物取るじゃん。後、個人的に猫が大好きだから。そんな猫とレックスが関係あるなんて素敵じゃないか。」
夏彦氏の周りに居る生徒が一斉に笑った。
普段の夏彦氏からは想像も付かない言葉の強弱と身振り手振りに、此れがあの万年陰湿梅雨男と同じ人物なのかと疑った。実は双子か何かで、明るい方を連れて来たか、或いは二重人格か。其れとなく弥勒氏に真偽を聞いたが、恐竜…特にT-レックスの話をする夏彦氏はあんなだと、興味希薄に教えられた。抑に夏彦氏が考古学者を目指したのは此の恐竜らしい。
「ねぇねえ、一番小さい恐竜って何?」
「お、良い質問だね。」
其処で一度、拡声器の警報音を鳴らし、全員の注目を集めた。私の目の前でゲーム話に花咲す生徒も、其れに参加して居た私もびくりと怯えた。
なんだか怒られた気がしたので。
「最大恐竜は、皆さんも御存知。」
「ティラノサウルスー。」
「のレックスー。」
「君達、優秀だな。」
百人以上の生徒が一斉に“ティラノサウルス”と云い、前に居る三十人程が“レックス”と続けた。
其の時、横に居た美人教諭が、卒業式の練習でも中々揃わないのに、練習も無く揃えさせるなんて凄い、と呟いた。
「此れも重要、最小恐竜は、コンプソグナトゥスと云う、肉食恐竜。」
生徒が、え?、と小さく云った。
世界最小の恐竜が、肉食。驚きもするだろう。
「タブレット見て。此れが。」
生徒が一斉に手元のタブレットに視線を落とした。
最近の小学生は羨ましい、教科書がタブレットになって居る。此れなら持ち運びもデータ保存も、宿題提出も簡単。なんて素晴らしい時代だろうか。
矢張り、未来を見なければならないだろうか…。
タブレットに広がる最小恐竜、なんだかティラノサウルスに似て居た。
「最小と云っても、背丈は君達程ある。いやぁ、君達最小恐竜だよ、コンプソグナトゥス。ティラノサウルスの由来は暴れん坊蜥蜴、に対して、此のコンプソグナトゥスは、御上品な顎、と云う意味だよ。因みに、ティラノサウルスの生息地はアメリカ、コンプソグナトゥスの生息地はフランス乃至ドイツ。…まあ判るだろう、アメリカは何時だって野蛮ででかいのさ。恐竜時代から野蛮ででかいなんて救えないね。コンプソグナトゥスが御上品な顎をお持ちなのは、おフランス貴族様様の御先祖様だから、と覚えれば良いよ。」
余りの判り易さに笑いが漏れた。此れで完全に、ティラノサウルスの生息地とコンプ…ナントカと云う恐竜の生息地を覚えてしまった。
最大恐竜はアメリカ生まれのティラノサウルスで、最小恐竜はフランス生まれのコンプナントカ。
試験に出てもバッチリである。コンプナントカと云う恐竜の名を覚えなければならないが。
生徒は、恐竜展示場が一番楽しかったのか、又、夏彦氏の意欲も他は薄いのか、適当に流れ見た。生徒、誰一人として、戦国時代の鎧兜に興味を持たなかった。皿にも興味持たれなかった。巻物等、眼中にさえ入れて貰えなかった。
「嘘や…、此の巻物の素晴らしさが判らんとか…」
「八雲、相手は小学生、求めちゃ駄目だよ。」
此れだから、子供は嫌いだ。
「先生、此の鎧何?」
「戦国時代は興味無い。」
夏彦なんか嫌い、そう、戦国時代大好きな弥勒氏が呟いた。




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