亡命カタルシス U


入口に垂れ下がる二つのランプ、一つが消えている様な店だった。看板は出ているが、チョークで書かれる其れは風と雨で文字が消えている。Welcome、とあるが、何comeだって?読めない。
ランプは片方切れてる、文字は解読不能、店主の遣る気は全く見られない。店の前も汚い、家(英吉利)の水兵ですら相手にしない様な店。全く亜米利加って国は、一本道を外れると都会でもこんなだった。英吉利では考えられない風紀だ。
英吉利は治安悪い場所は場所で決まってる。一本道を間違えたからと云って、行き成り治安は悪く為ったりしない。亜米利加は構い無しに悪く為る。
俺はそう、一寸道を間違えた様だ。
引き返そうと思ったが、大通りから道の始めに、もうパンク共が居た。ちょいと金を渡せば通して呉れそうな雰囲気ではあるが、パンク共に渡す位なら、此の汚い店で飲んだ方がマシに見えた。
だから偶然。
店内は真っ黒だった。電気は点いているがうっすらで、足元が見えない。カウンターに椅子が八つ、其れだけの狭い店。椅子が赤って事は判った。カウンター後ろの壁には脂で変色した星条旗が張り付けてある。見慣れた国旗とは違う星浮かぶ国旗に、自分が亜米利加に居る事を認識させられた。
「Good evening.」
バーテン一人の店、店主にしては若い。店主は店主で他に居るのだろうと思わせる男だった。
バーテンは大体二十八歳位で、三十では無いだろう。俺より年が下なのははっきりした。
挨拶した俺だが、バーテン―――男は吃驚した顔で煙草を口から離した。
「いらっ…しゃい…」
嫌に掠れた声をして居た。此の掠れが無ければ、良い声をしてる。勿体無い、生まれ付きの掠れで無いのは具合で判った。
「何でそんなに驚いてるんだ。」
「今晩は、とか、云われないから。ハイかヘイだろう?良くてハロー。」
「俺の恋人は、出会った頃、“Jesus...!”って挨拶呉れた。」
「Hey!Judas!じゃねぇだけマシじゃん。何でジーザス。」
「“最悪だ”って事。」
「OMDか。」
「そう云う事。」
男は笑い、煙草をシンクでじゅっと音させると、カウンターを雑巾みたいな布巾で拭いた。いいや、此の際何も云うまい。雑巾だろうが布巾だろうが…。
其のカウンターに硝子の灰皿を置き、「さて」と両手をシンクに乗せた。
「何が良い?ミスター ジーザス。」
「何がある?ジューダス。」
久し振りに笑った気がした。男の声は筋肉の流動を教えるみたく力強く、普段から大声に慣れる俺でも驚いた。体格に似た、又似合う、良い笑い声だった。
適当で良いと云うと、本当適当にコロナを寄越した。
「ライムは?要る?」
「要らない。」
俺達は瓶を寄せ(此れは男が俺が入って来る前に飲んで居た)、眉と一緒に上げた。男の瓶にはライムが入っていた。其の気泡は、暗い店内でも判った。
「コロナって。」
「嫌い?嫌いなら他の出すけど。」
「何かに似てるって思ったら、恋人の髪に似てた。…ジーザス。」
落胆した。何故か落胆した。男は又笑い、一寸と貸して、と瓶を下げた。
「俺、御前見てちょいとカクテル思い出した。」
カクテル作る何て一年にあるか無いか、男は細長いグラスを棚から出し、金色のマドラーを振った。何で振るかは判らんが。
「あんた、西班牙系英吉利人だろう。」
グラスに注がれる、赤と、黄色。
「嗚呼。」
「レッド・アイ。」
グラスから抜かれたマドラー。其の黄金から薄く赤い液体が伝い、一滴落ちた。
何で知ってる。
「俺、レッド・アイが一番好き何だ。」
「本当?情熱的ぃ。」
「トマト食べる奴に情熱的じゃ無い奴何か居ない。」
「赤と黄色ぉ、西班牙の国旗ぃ。」
「嗚呼、だからか。」
俺自身、何故レッド・アイが好きなのか判って居なかった。味も、休みの日だったら朝食代わりに飲みたい程だが、味に惹かれた様な感じでは無かった。舌に馴染むと云うよりは、身体にすんなり馴染んだ。当たり前みたく、すんなりと。
「細胞迄も西班牙か、俺は。プライドの国英吉利なのに。」
「情熱には勝てない、ってな。」
「俺の身体、四分の三はラテンだからな。嫌でも情熱的だ。」
「伊太利亜?愛の国伊太利亜。」
「いいや、仏蘭西。」
「わぁお。西班牙の情熱と仏蘭西の官能と英吉利の傲慢で出来てんのか。ジーザス。」
「本当にジーザスだ。」
どんなプライドも、情熱宿した官能の前では鼻先であしらわれる。あっという間に崩れ落ちる。俺は其れを良く知ってる。
レッド・アイと云うカクテルは、まさにそんな味をしてる。
男の作って呉れたカクテルは俺を怠惰的にさすには充分だった。其処で俺は、随分と前、其れこそブロンドのデーモンが「ジーザス」と喚いて居た頃、七ツの大罪に就いて語った事を思い出した。
ヨーロッパの国、当て嵌めるなら何れか、と云うのである。
傲慢―――此れは満場一致で我が大英帝国。プライドの高さは世界一だ。
憤怒―――此れはゲルマンで結構迷ったが、独逸に為った。だって彼奴等、何時も怒ってる。何に怒って居るかは知らないが。如何せ俺達だろう。知らないが。
強欲―――鋼鉄のカーテンを持つ露西亜。
大食―――伊太利亜。食べてるか寝てるか、女引っ掛けてるか、酒飲んでるか。そんなイメージだが、料理が美味いから此れ。伊太利亜人は、何時仕事してるんだろうか。他国乍ら気に為る。
怠惰―――希臘。此れも満場一致だった。寝てるイメージしか無いから。伊太利亜と迷ったが、明らかに此奴等の方が寝てる。
嫉妬―――和蘭。何時も英吉利と張り合うから。ヨーロッパの嫌われ者は、まあ、英吉利何だが…。
色欲―――此れが最後迄決まら無かった。結局今でも答えは出て居ない。西班牙か仏蘭西か、で分裂した。
ヘンリーは「西班牙」と言い張り、ブラッドは「仏蘭西」と譲らない。グレンも“仏蘭西”、俺も“仏蘭西”に票を入れた。そしたらヘンリーは怒り狂い、御想像通り、懺悔室にぶち込まれた。司祭にも「色欲は西班牙」と喚く始末。
何故そんなにも“色欲―西班牙”に拘りを見せたかと云うと。
「俺、良く、“ヤらせろ、色男”って云われてた。」
「あんたの女、“フ**ク”以外の言葉知らねぇの?」
「“ジーザス”を知ってる。」
「いや、同じ意味で使ってんじゃん。」
男は、鼻を鳴らし乍ら笑った。呆れてるのか笑いが抑えられないのか、何方かは判らないが。
「俺の女より口悪ぃわ。フ**クしかしねぇけど。」
「女じゃないけどな。」
ヘンリーが西班牙に拘った理由は至極簡単。ヤらせろ色男、が西班牙系だから。
男は二本目の瓶の口に、肉厚な唇をくしゃりと曲げ付けた侭、俺を見て居た。
「あ、本当。」
へぇ、と男は笑った侭酒を飲む。視線は矢鱈に動いて居るが、受けて来た非難とは違う色合いを其の青い目に重ねて居た。
「え、其れマジ?」
「嗚呼。」
俺にしては豪く遅いペースでグラスを空けた。其れも其の筈、コロナと同量の分量のトマトトジュース、二十オンス近くあった。馬鹿なのか、此奴。
「レッド・アイはもう結構。違うの呉れ。」
「キャッツ・アイは如何よ。あんた何か、猫っぽいから。」
「嗚呼、良いな。響きが良い。」
「ウィスキーあるからハイボール作れる。ハイボールって、英吉利発祥だろう、確か。」
「ゴルフしてた紳士が、トニックを間違えてウィスキーの入ったグラスに入れたって奴な。」
「そうそう、其れ。」
「ウィスキー、あるなら其の侭呉れないか…?」
分量考えず大量のカクテルを作った阿保だ、ハイボールも大量に来る事懸念した俺は、ボトルごとカウンターに置いて於けと命令した。
「強いのな。」
「在れだけで酔う訳無いだろう。」
「俺も飲んで良い?」
「如何ぞ?」
先に作ったグラスを渡し、煙草を持つ手で受け取った。男はだから気付いたのか、入って三十分近くに為るが、置いた灰皿が奇麗な事に。
「煙草無いなら遣るけど。」
「吸わない主義何だ。」
「へぇ。」
唇に知った氷の冷たさ。麻痺する前に舌で熱を渡した。男は何だか、其れを見て紫煙を上げた様だった。
「其のベイビィはさ。」
「ベイビィ?」
「あんたの色男だよ。」
「嗚呼。ハニーって呼ぶから、気付か無かった。悪いな。亜米利加英語は良く判らん。」
「あんた、最初から思ってたけど、かなり育ち良いだろう。」
序でに、世間知らずだろう、とも云われた。
「まあな。貴族出だからな。」
「貴族かよっ。道理で聞かねぇ言葉喋るわ。」
「ロンドン訛りも出るがな。」
「嗚呼、俺、そっちの方が良いわ…」
英吉利って国は不思議な国で、階級で全てが分断される。住む家も場所も、買い物する所さえ“階級”が全てを決める。だから、英吉利は亜米利加みたく、一本道間違えたら治安云々が無い。全て、階級に依って分断される国。
凄く判り易く云えば、下流と上流の人間は言葉が違い過ぎて会話が出来無い。
言葉一つでも英吉利って国は別れてる。
ヘンリーの汚い言葉に絶句したのは、此れが原因何だ。
「どんなだったかな。ハニーが強い訛り持ちだ。ええとな。」
ロンドン訛り何て、十二歳の頃迄しか話してない。
そうだ、父親。普段の父親の話し方。在れは完全に訛ってる。
「で?其の俺のベイビィが如何したって云うんだい?まさか“ヤらせろ”とは云わないよね?……いや待て、やっぱり止め様。」
「あっはっは、全然似合わねぇっ」
「ほらバーテン、客のグラスが空だぞ。笑う暇あるなら酒を入れろ。」
「自分で入れるんじゃねぇの…」
男は意表突かれた様に煙草から灰落とし、又シンクに捨てた。此処のシンク、一体如何為ってるんだ。
此の男、良く見ると体格がかなり良い。最初入った時も体格の良さは目に止まったが、暗さに慣れた目で見ると良く判った。
マドラーを持つ指も太い、捲られたシャツから伸びる腕には体毛が流れ、サイズは陛下の二の腕程あるのでは無いか、兎に角太い。シャツからも判る二の腕の筋肉の動き、下半身は此方から見えないがしっかりして居るに違いない。
何と云うか、体格と体毛の多さでゴリラみたいだ。ブロンドのゴリラ等、見た事無いが。
「そんな監視しなくても、飲まねぇから。」
「有難うな。…ジューダス。」
又、又だ。
そんなに俺の口元はおかしいだろうか。俺がグラスに口を付ける度、男の青い目は窄まる。其れに紫煙が、ヴェールの様に重なる。
「………ビリー。」
「は?」
行き成り“ビリー”とだけ云われた俺は判らず、口端に舌先覗かせた侭グラスを離した。
「俺、ビリーって云うんだ。あんたは?」
「……………ラルフ。ラルフ・ウィルソン。」
此の男――ビリーに本名を教えるは躊躇われた。なので偽名を用いった。然しビリーは煙草を持った侭、火を点けるのを待った。
「…本名?」
「何でそう思う。誰かに似てるか?」
「いや…?」
納得いかない顔でビリーは火を付け、其の臭いに俺は手を伸ばした。
「付いて無いの、一本寄越せ。」
「ショットガン、する…?」
「…嗚呼。」
云われる侭顔を寄せ、薄く開いたビリーの口から出た濃厚な煙を、塊ごと自分の口に移した。
そして、互いの煙を、キスで閉じ込めた。
「やっぱり…」
「何だ。」
「想像した通り。あんたの唇って、柔らかい。」
「だから見てたのか。」
「じゃなきゃ見ないっしょ。」
マリファナは貰う積もりだったがキスは要らない、口直しにウィスキーを飲んだ。ビリーはそんな事せず、グラスに付く俺の唇を見て居た。
「なあ。」
「ん?」
「あんた、フ**クする方?」
「いいや?ハニーには、される方。」
「には?」
一瞥向けただけで、答えはしなかった。
ビリーはジンを飲み、序で、とキャッツ・アイを作った。
暗がりで見る其れは、本当に魅力的だった。青でも無い緑でも無い、不思議な色合い。俺とヘンリーの目を混ぜたら、こんな色合いをするに違いない。堪らずヘンリーが恋しく為った。星が散らかる旗で無い場所に、戻りたく為った。
俺の目に映って良いのは連合旗で、決してこんな、脂で汚れた旗では無い。
カクテルを下から覗いた。其の方が、良く緑が見えたから。まるでヘンリーの機嫌を窺うみたく、下から覗いた。
視界に入った時計、楽しさからか気付かぬ内に軽く二時間経って居た。一杯飲んだら一時間程で帰る俺には珍しい事だった。
ビリーは豪快に欠伸晒すと看板を仕舞い、帰る気配見せない俺の横に座った。
「俺さ。」
持って居たマリファナを俺に渡し、カウンターの下に手を伸ばすと底を手探った。シークレットスペースと云おうか、カウンターの下から戻って来た手には乾燥した茸がしっかり握られて居た。
世間知らずの坊ちゃん、ビリーは何も皮肉を云った訳では無かった。
マスターの居ない店、バーにしては狭く暗過ぎる店内、飾りの看板。バーは建前、本質はテーブルに並ぶ其れが教えて呉れた。
「女居るって云ったろ?」
「嗚呼。」
「妹何だ。」
ビリーは茸を何の考えも無しに口に含む。しっかりとした顎で咀嚼し、俺は渡されたマリファナを吸い乍ら、興味あるのか無いのかも判らない感情で聞いて居た。
思ったのは、ヘンリーも、こうして何の考えも無しに薬を摂取して居たのか、と云う関係無い事だった。
「俺、馬鹿だからさ。」
「コカインして、マリファナ吸って、茸食べてるから、馬鹿何じゃ無いのか?」
「馬鹿だからコカインすんだよ、馬鹿だな。賢い奴がするかよ。」
証拠にあんたはして無い、ビリーは云う。
魔法の茸は、マリファナより強い酩酊感がある。ビリーは虚ろな目元に幻想を見、ジンを一口飲んだ。
「最初に持ち込んだのは、俺だけどな…」
「妹の反応は?」
「普通。本当に普通だった。其の時はコカインしてたんだ。楽しくてさ…。気付いたらジーンにキスしてた。」
「薬より、気持良い事は、沢山あるぞ。」
俺は草、ビリーは茸、尚且酒で、正直舌が回って居るのかは判らなかった。
「茸食べる?」
「不味いから要らない。」
「不味いよな、此れ。」
無意識に内から沸き上がる、と云った感じにビリーは笑い、不味いと云い乍らも又食べた。
此の茸、ヘンリー曰くコカインの様に即効性は無い。十分乃至二十分で効果が来る。ビリーの呂律がおかしいのは、マリファナの所為。此れ以上呂律がおかしく為るのか、とビリーを見た。
「で、馬鹿だから何?」
「気持良い事が大好きな訳。」
アルコール、ドラッグ、セックス、何でするかって?気持良いからに決まってる。
酒飲んで、マリファナ吸って、セックスして、こんなエクスタシー他には無い。
「気持良い事嫌いな奴ってのには、御会いした事無いな。」
「あんたが一番気持良いと思う事って何?」
聞かれたので、云った。ビリーは数回頷き、「此れでセックスしたらパーフェクト」とグラスにウィスキーを注いだ。
「誘ってる?」
有難う、と俺はグラスに口付けた侭目配せした。
「女としかした事ねぇから。」
笑って拒んでは居るが、そろそろ茸の作用が来たらしい。あやふやに俺を捉えた。
「何?気持良いの?」
「其れは、何?フ**クする方が?される方が?」
「する方で。」
「御前、女とAFした事あるか?」
「嗚呼、ある。締まりが違うから、結構好き。」
「なら変わらんと思うぞ。」
「…される方は?」
「してみるか…?」
「いやぁ…結構…」
一度は寄せた顔、唇に噛み付く真似をすると、ビリーは笑って顔を離した。女とした事無い俺だが、構造は同じだから同じだと思う。
違うのは一つ。
女は其処が気持良いのか、と云う事。まあ、女のアナル何ぞには全く興味も用も無いが。陛下に誘われたって願い下げだ。
段々と茸に身体を“犯”され始めたビリーは時折小さく喘ぐ。カウンターに乗せた腕に頭を乗せ、笑う。俺は何を思ったのか、特にセックスしたい訳でも無いのに手の甲でビリーの頬を撫でた。
「帰るよ。」
「嘘、マジで?」
「帰ってジーンの相手でもして遣れ。」
「如何かな…」
時刻は午後十一時、ビリー曰く、十時過ぎて家に自分が居ないと男を引っ掛けに行く。
ジーザス、とんだ兄妹だ。
ジーンが男を引っ掛けに行ったのは、詰まりは俺の所為。だって俺は二時間以上居る。俺が来なければ、ビリーは店を閉めていた。
此れも全て、道に居たパンク共の所為だ。
「なら、朝迄付き合って遣ろうか。」
「マジ?つーか聞いて?」
帰ると聞かされ悄気て居た表情は、だらし無い乍らも明るく、俺を引き留めるには充分。もう一度頬を撫でて遣った。
ビリーが聞いて欲しい話、他為らぬハニー ジーンの事だった。




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