亡命カタルシス
英吉利は不便だ、連れ込み宿が無い。だから何時も、女が使うホテルか俺の部屋で事を済ませる。ホテルを取るには遅過ぎる、馬車に乗るが俺の部屋で良いか聞いたら、家が近いから来たら、とジーンは欠伸をした。
行ったら其の色男ビリーが待ち構え、俺をボコボコにする気では無いのか。不安が過ぎった。ジーンが、ゴリラみたいな男、と云ったから。
顔がゴリラって事じゃない、腕力がゴリラ並って事。そんな男、怖いにも程がある。我が軍は、海軍の大将さんとは違いあんなだから、部下全員腕力に自信は無い。
不安を云うとジーンは笑って「無い無い」「あたししょっちゅう連れ込んでるから」と煙草と一緒に手を振る。
「大丈夫な訳?」
「そっちの部屋でも良いけど。」
「ボコボコにされんのは構わねえんだけど、面倒が嫌何だわ。」
「面倒って?」
「俺、見えねえかも知れねえけど、結構立場ある訳。」
こんな所で男女の面倒に巻き込まれたら、木島喜び、国外追放。二度と龍太の顔は拝めない。
「政府機関………?」
ジーンの顔色が、少し冷めたのが月明かりの下でも判った。
若しや、若しや、ゴリラ腕力色男ビリーは、逃亡者ですか…?
「いや違う、近いけど。軍人、帝國陸軍の中尉。銃撃部隊。」
「嗚呼、吃驚した…」
政府機関で無くて本当に良かったのか、安堵感と疲労を溜息に乗せた。序でに、俺の肩にも手を乗せた。
「政府機関だけは勘弁よ…」
「やっぱ逃亡者か…」
色男ビリーは何をした。金持ちでも殺したか、或いは詐欺でも働いたか。ゴリラ腕力に任せ強姦でもしたか。
「違うけど。ビリー、不法入国なのよ。」
「嗚呼、成程。」
其れは政府機関が怖い。パスポートを所持して居ない訳ですから。犯罪者で無くて何より。
いいえ皆様、少し待って。
「…いや、駄目じゃね?」
立派な不法入国罪、殺人よりも最悪じゃないか。
とんだ色男、俺が驚いた。
「不法入国、ねえ。何で又。」
「さあ、あたしはあるわよ。」
「でもビザねえだろ。」
「あるわよ、多分。」
良い女なのに不法滞在者。色気に磨きが掛かるってもんだ。
「犯罪者オーケー、問題無い。」
「良かった。」
此の“良かった”ってのは、“密告の心配が無い”ってのとは違う。
家の前迄来て“其れは無いでしょ?”って事。こんな良い女なんだから男には困ってなさそうだが、そんなにしたいもんかね。
俺はしたいけど。
是が非でも御願いしたいけど。
ジーンと色男ビリーの“愛の巣”は、今にも崩壊しそうなアパートの三階だった。階段の一部は落ち、電気は無い。本当に気を付けてね、とジーンは云う。こんな場所で落ち、骨折等笑えない。不法滞在者の女の部屋に行く途中階段から落ちましたと云ってみろ、ヘンリーが腹抱えて笑い転げる。
廃墟寸前だからか、人の声は全くしない。けれど三階、ジーンの部屋のある階に付くと、廊下に笑い声が漏れて居た。
「…ビリー?」
「機嫌良いみたいね。」
笑い声もゴリラ並だ。ゴリラの笑い声等聞いた事無いが、多分こんなだろう。
「うっわ…、むっちゃ怖ぇんだけど…」
何だ俺は、「御嬢さんを僕に下さい」と云いに来た童貞ではあるまいに。相手は何、色男ビリーでは無いか。ゴリラ並の腕力の。
其れが怖いのに、何故俺は考える。
「ビリー。」
「あっはっはっ」
名前を呼ばれて「あっはっは」は無い。
「ジーンかっ」
「そうよ、ジーン。只今。」
ジンをボトルの侭飲むビリーは、腕力がゴリラ並だって?体格もゴリラ並じゃないか。独逸軍みたいだ。
テーブルに散らばるゴミ、ジーンは見付ける為り、色男ビリーを殴った。其れが何か、日本で一度、娼婦がして居たのを見た事ある俺は、判った。
コカインだった。
「痛いだろうがっ」
「又したの。」
「暇だったんだよっ」
色男ビリーは酒とゴミの所為で最早呂律は回って居らず、奇妙さを感じる程声は上擦って居た。
殴られ、咎められ様が流石は色男ビリー、気にする事無く鼻を啜った。喘ぎや嗚咽に似た声を出し、又ボトルに口を付ける。
「………誰。」
目は据わって居た。なのに眼光は鋭く、ジーンに良く似て居た。目が似て居ると云うより、顔の作り全体が似て居た。
俺は無言でビリーを眺め、手に持たれるマリファナを視界に入れた。
「聞こえ無かったか?」
Who...aye you...
ボトルを口に付けた侭ジーンを見るビリーの目は、一番最初、ジーンが俺を見た目そっくりだった。
「レイディの、今夜の相手。」
「嘘、マジ?」
ビリーは又笑い、手を叩き出す始末。東洋人は初めてだ、と。
「ほんなら俺出るわ。」
「ふうん、居て構わねえけど?」
「喘ぎ声を子守唄にしろって?」
だったら自分で見付けるわ、とビリーは椅子に掛かる革のジャケットを羽織ると、大股で近付いた。靴に装飾される鎖が其の度音を鳴らし、鎖に繋がれた獣が近付いて居る様感じる。品定めする様に俺を見下ろし、マリファナをドアーの直ぐ横にあるシンクに投げ捨てた。
「酒とジーンは勝手にして呉れて構わねえけど…」
「はいはい、薬は要りませんから。充分馬鹿何でね。此れ以上馬鹿に為ったら責任取ってよ。」
「傑作。」
無邪気な笑顔だった。
コカインとマリファナを同時にしたら如何為るのか、一寸気には為った。
「じゃあなジーン、楽しめよ。」
固いと云われた唇をジーンの固い唇に重ね、けれど二人は一切視線を重ねはしなかった。
「ビリーもね。」
低い声は、聞き取れ無い程低く為る。何の歌か、鼻歌に鎖の音を混ぜ、ビリーは、去り際も色男だった。
「凄ぇ男…」
「でしょう。」
「在れは捨てれねえなぁ。」
「まあね。」
ジーンは諦めを吐き、色男ビリーの飲み掛けのボトルを冷蔵庫に入れ、新しいボトルを散らかった侭のテーブルに置いた。向き合いにグラスを置き、ゴミは触れないので(触ったらゴリラ腕力に誤解されそうだから)用心して座った。
ジンを飲む習慣、俺には無い。洋酒はウィスキーかワインしか飲まない。洋酒にしては余り癖の無い味や匂いではあったが、ボトルから飲む物は無い。
ジーンは底無しか、店で一本空けたと云うのに、余裕でもう一本空け、未だ未だ余裕はありそうであった。
「未だイケる?」
「当然。」
俺も底無し。然も目の前には良い女、セックスも楽しみたいが、こうして酒も楽しみたい。良い女と此処迄飲めるってのは、実際初めてだったから。
二本はジンでは無く、俺に気を使って呉れたのかウィスキー。ジーンの肉厚な唇に吸い寄せられる色の付いた液体は、其れだけどイきそうに為った。
「ジンしか無えのかと思ってた。」
「ビリーが飲むからね。」
「でもさっき。」
「あたしが居ないとジンを飲むの。」
成程、寂しがり屋の色男か。此れは手放せない。
「ねえ。」
「ん?」
「聞かないの?」
「何を。」
「ビリーとあたしの関係。」
「色男から離れられねえ、色女だろうがよ。」
ジーンは、本当に未来でも見えて居るんじゃ無いのか。俺の思った事を口にした。
「似てるな、って思ったでしょう。」
「そら似てるだろ。」
「何で?」
「俺の口から云わせたいの?」
ゴミに気を付け、顔を互いに近付けた。
「でもビリーは、御前の事愛して無いだろう。」
「云ったじゃない、最初に。」
「ほんで以て、御前も愛してねえだろ。」
「あら、心外。愛してるわよ?」
「済し崩しにセックスしてるだけだろが。」
「愛はあるわよ。」
「家族として、だろう?ん?」
俺は顔を離し、きちんと座ると一口飲んだ。ジーンを見詰めた侭。ジーンも俺を見た侭、同じに飲んだ。
「不法入国より大罪だぜ?」
「楽しければ良いじゃない。」
「面白い話、して遣ろうか。」
在る一人の少年が居ました。其の少年は身近な年上の女に淡い恋心を抱きました。何時も遊んで呉れる女性です。とても美人で、優しい人です。少年は大きく為るに連れ、自分でも気付かぬ内に恋心を肥大させました。
日々考えるのは、在の彼女の事。
彼女は少年の事をを“可愛い少年”としか思って居ませんので、少年の恋心には全く気付きませんでした。
少年は何時しか成長し、青年へと変化しました。
すると如何でしょう。
唯見詰めて居れば良かっただけの恋心は、嫉妬と欲望に変化しました。
彼女に近付く男の全てが憎い―――。
彼女を思えば思う程嫉妬に狂い、欲望を大きくさせました。
青年は思いました。
何故彼女は、自分を見て呉れないのだろうと。
さて其の、恋心を欲望に変化させた青年は、一体如何したでしょうか。
「そう………、神に唾を吐き付けたのです…」
神に背き、平穏で居られる筈はありません。青年の欲望を知った彼女は恐怖を知り、離れ様としたのです。ですが、青年に向けられた神の怒りは、其れだけでは許されませんでした。
大罪なのです。
そう此れは、七ツの大罪より、大罪なのです。
七ツの大罪を凝縮した大罪の判決は、彼女が青年を愛する事でした。
二人は倖せでした。確かに永遠と云う物を感じて居たのです。ですが、本当の判決は、此の幸福と、そして此れから来る現実でしたら。
彼女は青年の子供を身篭りました。罪の烙印を、等々神は彼女に捺したのです。
彼女に下された判決は―――死ヲ以テ償ヱ。
青年に下された判決は―――罪ヲ忘レル事勿レ。
青年への烙印は…
「此の目に落とされました。」
俺は自分の目を撫で、ジーンを見た。
「………御終い。」
ウィスキーを飲み乍らジーンは真剣に聞いて居たが、視線は常に動いて居た。
「面白かったろ?」
御はテーブルの上で腕を組み、にっこりと笑った。ジーンは唇突き出し「絶対面白く無い」と、ウィスキー放置し冷蔵庫を開けるとジンをボトルの侭飲んだ。
「自分の、話でしょうが…っ」
「そうよ?俺は物書きじゃねえんだよ、創作何か出来るかよ。」
「ビリーの方が、未だマシな話聞かせて呉れる。」
「何?御前を愛してるって法螺話?傑作だな。」
此の二人が兄妹の線を超えて居様が、俺が云えた事では無い。けれど、俺にだってプライドはある。最初に持ち込んだのは色男ビリーだろうが、なあなあで続けるジーンも如何かと思う。
だって此の二人の間に、男女の闇が見えない。
俺は其れが気に食わなかった。
「愛して遣れよ、ビリーの事。」
「愛して何に為るの。二の舞に為れって?冗談じゃない。」
「愛って、闇が深い程、味あるぜ。ワインみたくな。」
此の二人が“楽しけりゃ良い”で関係してるのが、其れも楽しいのは判る、判るが、ジーンみたく良い女が恋も知らずにセックスだけ知って終わるのは、娼婦より笑えない。娼婦とて、恋位はするのに。
「もっと自分、愛したら?」
「自分…?」
「そ、自分。したらビリーの事も、愛せるかもな。」
「あたしは自分を好きだし、ビリーも愛してる。」
「其れは判るぜ?自分を好きな女は自信があるからな。好きだぜ、御前の自信満々の其の態度。」
「だった良いじゃない。」
「じゃ無くて、愛せ、って云ってんの。御前、LikeとLoveの違い判って無いだろう。」
「貴方には判るの。」
「判るぜ?」
「云って御覧為さいよ。」
「自分で調べたら?」
「何よ其れ…」
詰まらないのかボトルを仕舞い、中のボトルが揺れる程乱暴にジーンは冷蔵庫を閉めた。俺はそんな、少し機嫌損ねたジーンを後ろから抱き締め、様子を窺う。
「キスしてよ。」
「仰せの侭に、レイディ。」
最初とは違い、豪く攻撃的なキスだった。唇を吸い、舌で舐め、唇に染み付いた酒と煙草の味を堪能した。
「御次は?」
「ビリーを忘れさせて。」
キスをした侭抱えた。慣れた物で、膝裏に手を掛けるとすんなり首に腕を回した。けれどジーンは、在の色男ビリーのに慣れて居るのか、少しぎこちなさそうに位置を決める。
「大丈夫、落とさねえから。一応軍人ですから力はあるんだよ。」
「そうでした。」
「寝室何処よ。」
「そんなの無いわよ。」
来た時、豪くソファだけ豪華だなとは思ったが、此れがベッド代わりだった。色男ビリーは何時も床で寝て居るらしい。益々ゴリラじゃないか。
ジーンをソファに下ろし、クッションを大量に頭の下に置いたが、反対に俺が押し倒された。ソファの埃っぽさを知り、けれど嫌いでは無い。真っさらなシーツの上も魅力あるが、ジーンにはこう云う、獣の交尾に近い形が似合いな気がした。
其の方が、ジーンの内の美しさを引き出せる気がした。
色男ビリーは、良ぉく其れを知って居る。
「今度さ。」
「うん。」
「俺の部屋御出でよ。」
「何で?」
「俺のベッド、超でかいよ。色男ビリーと三人で寝ても余裕だぜ。」
「三人でしたいって?」
「あー、いや、そう云う意味じゃない…。萎えるわ、止めて…。折角気持良いのによ…」
「ふふ、今度ね。」
セックスの最中の約束事は、翌日には持ち込まない。身体が離れたら終わり。此れは、遊びの上で大事な規則。ジーンは其れを良く弁えて居る。
ジーン、御前って女は、“女として生まれ、女として生きる”って格言其の侭を行く女だな。
勿体無ぇ、とんでも無く良い女だ。
色男さんよ、あんま高括ってると、痛い目見るぜ………?
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