男装の麗人


志がそうさせて居るのだろう、彼女、いや彼の背格好は、本物の男依り秀出て居る。其の長身から出る低い声は女を忘れさせた。
立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。本来ならば女に対して使う言葉、男であり続ける彼には不適切だが、彼の姿は全く其の通りで、女は当然、男も魅せられ、そして葛藤した。彼が歩けば、女が黄色い声を出し艶めき立つ。兄の馨と並べば、其処だけ空間が違った。
其の身体から出される美しい歌声。
男装の麗人の異名を持つ帝國海軍軍師、加納雅。
彼のみが唯一許された、白い軍服。其の白は一点の曇りも無く彼の心を忠実に表して居た。
恋も女の幸福も忘れ、海を見詰める。
彼の幸福は、センジョウ。
彼の恋人は、海。
馨と同じである。


*****


海軍独特の鈍い靴音が響く。此の青空の下では不釣り合いだった。普段は違う艦に乗って居る為、そう会う事は無い。元帥の右腕と云っても常に横に居る訳では無く、普段馨の傍に居るのは、彼等の父の右腕だった者。
今日一緒に居るのは、日課の陸軍からかい、では無く、遠征が始まるので、母親に報告に行く為。頬に触る少し伸びた髪を欝陶しそうに雅は触った。
「嗚呼もう、邪魔臭い。」
「邪魔…。ワタクシから見ればほぼ坊主頭なんですがねぇ。」
馨より短い髪。帽子を被れば全く見えない。
「元帥は長いだけでしょう。」
「琥珀の父君に比べたら可愛い物でしょう。」
云われ、思い出し笑った。
鈍い靴と、軽いぽっくりの音。前方から艶やかな着物を纏った、豪く背の高い女がしなしなと歩いて来る。雅は、世の中には背の高い女も居るなと思い、馨は、歩みを止めた。其れに気付く女。
「まあ加納元帥。御機嫌麗しゅう。」
其の声を聞き、雅は固まった。
男だ。
高くしては居るが明らかに男の声であった。
自分は男装、彼は女装。兄も、女と迄はゆかぬが長髪で、一体此の国は如何為っているんだ、此の先此の国は如何為る、女が武器片手に戦場に向かい、男は白粉叩き笑って居るのでは無いか、雅は暗い気持に為った。取り替えばやを推奨する為に守って居るのだろうか、帽子裾から髪を靡かす馨を見た。
そんな雅とは反し、馨の声は矢鱈明るい。
「菅原さん。今日も又麗しいですねぇ。」
馨の言葉に男は口元を隠し、くすんと笑った。引き攣る雅。女装癖のある人間と知り合いなのか、日本男児嘆かわしい。自分の方が余程男らしい。
否待て、性癖を白昼堂々人目も気にせず曝け出す行為は、自分を良く見せ様としか考えない兄依り余程男らしいのでは無いか。女形の人間を釜野郎と思った事あるか?無いだろう。
待て待て待て、仕事と性癖は全く違うだろう。
結局自分が何を考えたいのかも判らなく為り、雅は項垂れた。
一人引き攣る雅に、馨は微笑む。
「彼は菅原時一さんです。」
大きな目に真直ぐ見られ、雅は益々固まった。邪心の無い真直ぐな目、見た事の無い目であった。
「は…初めまして。加納雅と、申します。」
変に声が裏返る。其の声に時一は、目を開いた侭笑った。
「嗚呼、男装の麗人の。俺より男らしいですね。実物の方が美しいですけど。」
何気無い一言、だが其れは、二人を動揺させるには充分な言葉であった。
「実物…?」
一層声を震わす雅に、時一は首を傾げた。
「ええ、写真でしか拝見しておりませんでしたので。」
「写真っ…?」
「写真が何です?」
声を荒げる二人に凄まれ、時一は困惑した。然し、其れ以上に二人は困惑して居る。写真等撮った記憶も無ければ、撮られた記憶も無い。盗撮の流出だろうか、だとしたら其の者は厳重に処罰しなければ為らない。
「まあ、俺も一度しか見た事無いし。」
「一度でも駄目です。誰です、其の写真を所持して居た者は。」
陸軍、其れも軍医が見たと云う写真。如何な事か、帝國海軍。流出に気付かぬとは、陸軍を笑えなく為って居る。
何故此処迄二人が写真一つに狼狽えるかと云うと、金銭が絡んで居るからである。雅の写真には、大層な金額が付けられて居る。其の売上金は一部と云わず全額、海軍資金に為る。陸軍に摂取される予算、此れ以上減らされたら堪ったものでは無い。
凄む馨に時一は後退った。
「いや、判りませんよ…。治療中に宗一と見て、誰が持ち主か迄は…」
「では兵の誰かですね?木島さんに御話が。」
「いえ、軍内部では無いですよ。」
益々混乱する。軍内部で無ければ一体何処だと云うのか。流出先、盗撮者は誰だ。資金云々此の際如何でも良い、盗撮されたと云う事実が許せないのだ。加納雅、一生の不覚。暢気に盗撮されるとは弛んで居る。
「日本男児として、此処は、切腹致します。来世で御会いしましょう、兄上。」
腰に下げて居た軍刀に触れた。
「あわわわわ、止めて下さい。俺が犯人です。」
本当に切腹し兼ねない雅の状態に慌て、触れた時一の手。見た目はこうなのに、意外に大きな手をして居る。しっかりとした馨の様な、もっと云う為れば父親に似た手。
頑張ったが、手は大きく為らなかった。骨を太くすれば良いかと頑張ったが、結局は如何にも為らない。
触れた手は雅に劣等感を植え付け、無言で其の手を振り払った。其の行動に、時一は顔を悲しそうに歪ませた。
「済みません。嫌でしたか…?男嫌いって聞いた事あるんで…」
「嗚呼、嫌だ。気味悪い。第一私は男だ。男を好きな筈が無いだろう。」
其の男好きは俺だと、益々時一はしょ気た。悪い空気に如何したものかと馨は困り、作り笑いを向けた。
「そう云えば、今日は何方へ?」
少しばかり和んだ空気。雅は変わらず触れられた手を睨み続けたが、時一は明るく努めた。
「姉上の処に。次の遠征は、俺も行くので。其の御挨拶も兼ねて。」
「そうですか。御活躍、期待して居ますよ。」
会話を進める二人に、雅は眉間に皺寄せた。馨と知り合いなのだから軍関係者だとは思って居たが、まさか本当だったとは、人は見掛けで判断してはいけない。
「何部隊ですか?」
雅の言葉に、馨は笑った。
「彼は、兵や将校ではありませんよ。」
「では、何ですか?」
「軍医です。」
思い切り頭を殴られた気がした。此れが軍医。頼り無さそうな其の恰好が、軍医。本当に役に立つのだろうか、怪我した兵士にくねくね「あらん嫌だわ、痛い痛いねー」とでも云うのか。そんな事を思い、訝しげに時一を見た。
「嗚呼、信用されてない。」
「そうでしょう。ワタクシも信じられませんから。」
「まあ、海軍さんに信用されて居なくても俺は構わないんですがね。もう行きますね。姉上は今、体調を崩して居るので。」
「其れは其れは。引き止めてしまい、済みません。時恵様に宜しく御伝え下さい。」
「はい、では。」
艶やかな袂を揺らし、時一は擦れ違った。
微かに香る薬品臭。其の艶やかな着物を脱いだ時、白衣を袖に通すのが想像出来た。
「雅、参りますよ。」
数歩先に進んだ馨に急かされ、雅は裾を揺らした。




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