修羅の断頭 仏の登壇


娘が死んだ。家は半壊し、とても住める状況では無いのに、町は嘘みたく残って居た。又其れが時恵の心を抉った。時恵の家周辺だけが消えた、時恵の心と共に。
死んだ其の日に灰にし、燃える娘の身体を見て居た。明け方で、白々しく周り明ける。段々と明るく為る空に煙は上り、雲と一体化した。
数時間前に見た敵国の威力、温もりの残る手で、白蓮の身体に板を乗せた。琥珀達は疲れの所為か泥の様に眠り、目覚めた時、現実を知った。
時恵の髪が、一晩にして空に浮かぶ雲と同じ色に為った。厚く張りのある自慢の唇は萎縮し、灰に為る迄噛み締めて居たのか血が滲んで居る。大きな其の目も澱み、焦点合わぬ目で娘の遺骨を唯ゝ見詰め、薄く笑って居た。たった数時間で十八○度変わった世界。変わり果てた時恵の姿に琥珀は嗚咽を漏らし、雪子は何も云えなかった。
倒壊した家に住む事は不可能な為、琥珀は自分の家、或いは実家で一緒に過ごそうと云った。けれど雪子が、実家なら時恵にもあると、木島邸を示した。生家に居れば少しは安らぐだろうと、今は使われて居ない本邸を開けた。
木島が死に、以降誰も寄り付かなくなった其処は埃臭く、何せ本邸、掃除が大変だった。掃除が済む迄時恵は三邸で琥珀と居た。
「凄いね、此の家。馨さんの実家より凄いよ。」
愛人の住家であった其処だが、良く顔を出して居た時恵には実家と何ら変わりは無い。置かれた侭誰も触れる事の無い三味線、音は知るが実物を初めて見た琥珀は「此れ誰の?」と聞いたが時恵は答えなかった。
懐かしい自室に時恵は横たわり、此の二ヶ月篭りっ切りだ。
実家に帰省して居た手伝いの節子は、白蓮の連絡を受ける為り直ぐ様駆け付け、痛みを分かち合った。父親には止められたが、東京が危なかろうが壊滅し様が関係無かった。
第二夫人は健在で、節子を中心に代わる代わる時恵の世話をした。時恵の好きな物を作っても、大半は残った。
雪子と節子は夫人に聞いた。
「時恵さん、大丈夫でしょうか。」
「龍太郎様が御帰還為さる迄には…」
白蓮が死んだだけなら未だしも、愛妻のこんな姿、見せるのは躊躇われた。
紫煙を上げる夫人は、虚ろな目を漂わせた。
「さあ…如何かね。夫の遠征中に娘が死んだんだ。」
笑顔を絶やす事の無かった時恵から笑顔が消えた。一気に白髪に成り代わり、日々痩せてゆく身体。龍太郎が帰還する前に、駄目に為るのでは無いか。口には出さないが、皆思って居た。
頭を抱えた夫人は時恵の部屋に向かった。ノックしても反応は無く、覗くと寝息を立てて居る。起こさない様ベッドに腰掛け、髪を撫でた。
手の暖かさに白蓮かと時恵は反応し、怯える様に見開いた目を夫人に向けた。其の目。まるで同じだった。宗一の母親と。
嗚呼、人間と云うものはこんなにも簡単に壊れて仕舞うものなんだなと、夫人は思う。
今迄生きて来て、何人の狂人を見たか。何時か自分も、狂って仕舞うのだろうか。そんな柔な精神は持ち合わせて居ない積もりだが、所詮は積もり。
現に気丈夫の時恵がこう為った。
時恵の姿に自分の末路を嫌でも重ねた。
早く、早く帰って来て呉れ。
其れは龍太郎にでは無く、息子の和臣に対して。
御前の大事な物が、益々無くなっちまう。
此の際誰でも良い。時恵を取り戻して呉れたら。
何も云わない夫人に、時恵は息を吐き、又眠りに就いた。
時恵に、眠り、と云う言葉は正直正しくない様思う。時恵の此れは、意識が勝手に薄く為るだけであり、決して休まる物では無い。
夫人は手を握り、何度も背を摩った。
「時子さん…此れで良い…?あたしは如何したら良い。」
窶れ具合が時恵の母親である時子に似て居た為、顔を見る度、無意識の内に時子と重ねた。気付かぬ内に、夫人も狂って居た。
こんな戦下で、如何して真面で居られ様か。




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