逢引


入口からの薄暗い階段を上がり、雅は次の鍵を取り出し、厚く閉ざされる扉の施錠を外した。其処が部屋なのかと思ったが、廊下が続いていた。
「厳重だな。」
「元帥以外は入れませんからね。扉一つ二つだけでは、不安でしょう。」
壁には幾つも扉がある。ダミーらしい。開ければ壁。其処迄して映画が見たいのかと云いたくなるが海軍の事なので、知った事では無い。未だ奥に扉は幾つも続いているが、雅は足を止め、二つの施錠を外した。
「さあ、此処が観賞室です。何を御飲みになりますか?」
外見とは全く異なる部屋の作り、正面は硝子張りでスクリーンが目一杯広がり、十畳程の部屋に随分と古臭いが大事にされる家具が並ぶ。硝子から下を見ると、疎らに人が居た。
「床で寝てる奴居るぞ。」
「え?はは。本当だ。あの人、一週間前も同じ所で寝てたなぁ。あの床は恋人かな。」
一瞥し、雅は紅茶の入ったポットをテーブルに置き、ソファに座った。
「どうぞ。」
促される侭に腰を下ろした。目の前に見える、大きなスクリーン。懐かしかった。映画等、随分御無沙汰だった。映画は、終わりを迎えている。
「丁度良い時に来たな。」
雅はカップに口付け、其の映画に興味は無いのか、此処から見ても如何仕様も無いというのでか、ソファに凭れ、天井を見ていた。
「あ、蜘蛛の巣。困るなぁ。兄上、掃除してないのかな。」
足元に転がる箒を取り、雅は天上に向けた。
「あ、取れない。まあ良いか。」
そうして同じ位置に箒を置いた。詰まり、兄弟揃って同じ行動をした。馨も同じ事を呟き、したに違いない。結局取れなくて、置いた。安易に想像出来て可笑しかった。
置かれたカップに拓也は口を付け、そっと笑った。
甘い、味がする。
果実の甘い匂いと、砂糖の味。若しかしてと、拓也は紅茶の名前を云った。
「…凄いですね…、其れです。」
言い当てられた雅は感心の息を漏らした。
「英吉利で飲んでたんだよ、此れ。毎日毎日、早く日本に帰りてぇなぁ、木島の馬鹿野郎って愚痴垂れ乍ら。嗚呼、懐かしいな。苺の匂い。うん。」
其の横には、スーツにエプロン姿のマシュマロを作るハロルドが居た。五年も昔の事なのに、紅茶の香りと共に、昨日の事の様に思い出す。自分を英吉利に送った和臣を、あの時は恨んだ。然し、今となっては良い思い出。ハロルドに会え、そして、琥珀に会えた。海を挟んだ紅茶の香りが、拓也の顔を穏やかに綻ばせて行った。
そんな拓也の顔を、雅はじっと見ていた。
かたかたかたと、スクリーンが黒く為り、程なくして白く映像を浮かび上がらせた。
「何の映画かな?」
「御気に召して頂ければ、幸いです。」
「御気に召さなかったら、スクリーンで射撃の練習でもする。」
「何と野蛮な。」
云って二人は深くソファに凭れた。
スクリーンに映される顔、物語。拓也は其れに顔を顰めた。無言で其れを見、矢張りそうだと、一時間程して声を出した。
「俺、此の映画知ってるわ。」
「そうですか?でしたら詰まらないですね。」
「いや、詰まらない所か。」
大好きな映画だ。ソファから背中を離し、食い入る様に身を乗り出した。じっと、あの紅茶の時と同じ顔をして。
十五年程昔に放映されていた映画。姉が好きで、拓也は飽きていたのだが、無理矢理見せられていた。何度も何度も見せられ、場面も、台詞も覚えた。
そして、此処。姉が一番好きだと云った場面。
「そうだ…」
スクリーンの二人は、厚く抱擁を交わす。拓也の指は自然と唇を触り、同じにスクリーンの二人は、深く唇を重ねた。思い出す。何度も何度も見せられ、同じ所で、自分も姉にキスをした事を。
つ、っと拓也の頬に涙が落ちた。此の後ヒロインは死ぬ。恋人だった男は狂い―――後味悪い結末。

――This world is created with love,And ends with love――

何故姉が此の映画を好きだったのか、今やっと判った。
望んだのだ。
此の映画の様な恋を。
愛に依って創造されし世界は、愛に依って終焉する。
知らず内に其の道を辿っていた。
「井上大佐?」
涙に雅は狼狽し、ハンケチをそっと目の下に乗せた。
白いハンケチが宙に待う。其れを雅は眺めた。
強く、強く抱き締められ、息が出来なかった。
「井上、大佐…」
途切れ途切れに云い、一層強く為る腕を感じた。
「雅…」
漏れる切ない声。其の声に、男の自分が、姿を消す。背中に腕を回し、強く抱擁し返した。
「井上、大佐…」
「悪い…もう少し…」
「構いません。」
首筋に掛かる息。其れを雅は、少しだけ顔を動かし見た。合う視線。
誰が仕向けた訳でも、何方かが望んだ訳でも無い、自然と二人の顔は近付いた。
男と女の、自然の摂理に、従った。
其処に熱く目を揺らす女の顔があるから男は顔を寄せる、男の顔が近付くから女は目を閉じる。何の不思議も無い、自然の摂理に二人は従い、唇を重ねた。
一つの愛で終わった一つの世界、だったら今一度、新しい世界を創造し様。此の愛で。




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