恥辱の樽


珍しい顔を見た。
暫く見ず、戦地に行っているとばかり思っていた人間が目の前に居る。其の手に持っていた封筒を龍太郎に渡し、頭を下げた。
龍太郎は中を確認し、矢張りなと小さく頷き乍ら引き出しから印判を取り出した。朱肉を付け書類に押そうとした時声が降り、手を止めた。
「理由は御聞きにならないのですか。」
印判を机に置き、背凭れに凭れた。其の目は薄く笑っている。
「聞いて欲しいのか?」
「…いえ。」
「なら良いじゃないか。」
キッと椅子が鳴り、龍太郎は書類にはっきりと元帥印を押した。乾かす様に振り、指に付かない事を確認すると拓也に渡した。
「確かに。」
云って相手から腕章を受け取った。白地に赤い十字の軍医腕章。龍太郎は顎に手を置き、身を乗り出した。
「此の先、如何する。」
理由は聞かないが末位は聞いてやろう、龍太郎の相手に対する興味の薄さを知る。知っても如何仕様も無いが、時恵には伝えてやろうと、そんな思い。
「京都に。」
「京都か。成程。」
其処なら安全だと口角を上げる。敵国が約束した。
奈良と京都だけは保護し一切触れないと。
其れは和臣の時に書類が作成され、両国に保管してある。
何処を攻撃仕様が構わないが、京都だけは絶対に止めて呉れ。
歴史的建造物は建前で、大切な人間に流れる血の場所を守りたい。其の思いの為に、一切の関与を許さなかった。軍人も置かなければ、戦中と云う臭いも漂わせない、似合うのは、白粉の匂いと艶めく笑い声。
龍太郎はそっと笑い、紫煙を上げた。
「其の言葉も聞けなくなるのか。何だか寂しいな。」
其の言葉に相手は静かに口角を上げた。
「時一君は、如何するんだ?」
「彼は彼で、考えがあります。私が居なくとも充分に歩ける。」
其の為に独逸に連れて行き、医者に育て上げた。立派に成長を遂げ、軍医としても申し分無い。自分の役目はもう終わった。
其れにもう一つ理由がある。
元帥が変わった事。
此れが一番の理由だ。
前元帥には身を捧げれるが、変わった今では其の気さえ毛頭無い。全ては和臣、唯一人の修羅の為。
宗一は袋に入った軍服を床に置き、深く頭を下げ、指を付いた。
「時一の事、何卒宜しく申し上げます。」
「承知した。」
龍太郎は笑い、背を向けた。




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