恥辱の樽


息子達と遊ぶ宗一の姿を、家の中から二人は見ていた。和臣に遊んで貰う事の出来無かった子供達は懐いていた。其の光景を虚ろな目で見ている雪子を、時一は見ていた。
死人同然の其の顔。窶れている。
「困ったなぁ。」
かちゃりとカップを鳴らし、時一はカップを睨んだ。
「お変わり?」
「いいえ。」
くすんと笑い、窓の外を見た。
宗一と出会い此の十年余り、一度も離れた事は無い。初めて一人に為る。其れは時一にとって、途轍も無く不安な事だった。
次何時会えるか、若しかしたらもう二度と会えないかも知れない其の顔を、目に焼き付けた。
そうして時一は思った。
雪子は此の先如何やって生きてゆくのだろうか、と云う事である。
手に職がある訳でも、一海夫人が何時迄も生きている訳でも無い。生活費には当分困らないだろうが、何れ金は底を尽く。国から恩恵は貰えるだろうが、金より雪子が心配だった。
子供達の面倒は、夫人が見ている。今の雪子には、とてもで無いが出来ない。再婚するにも、誰かが動かなければ為らないだろうが夫人には望めそうに無い。では自分が探してやるしかない。
時一は深く息を吐き、紅茶を飲んだ。
子供達も懐いている事だから、逸そ宗一と結婚し、京都で平穏に暮らして呉れれば此れ以上良い事は無いのだが、蕁麻疹は可哀相だと考えを消した。
子供好きで、女を相手に出来尚且金のある人間。
そうして一人の人間が浮かんだ。
井上拓也。
いや、駄目だ。此れは雪子が余りにも可哀相だと又考えを消した。拓也は子供の為ならと平気だろうが。
誰か他に居ないものかと時一は頭を捻った。軍医なのだから、男は沢山知る。然し金のある将校は、井上を除き全員既婚者。其れ以下は金が無い。
では軍医。軍医なら将校並に金はある。其れなら中々に良いぞと、時一は独り者を思い出した。
が、居なかった。
居ない訳では無いが、あれは軽く半世紀は生きている。其れでは余りに雪子が可哀相では無いか。二十七の雪子に爺相手は可哀相過ぎる。
時一は何だか阿呆らしく思い、考えるのを止めた。雪子を心配した所で、自分には関係無いのだ。けれど、あの無邪気な子供達の笑顔は、大切だった。
唯一の木島の血。
時恵にも宗一にも望めない、かと云って時一自身予定も計画も無い。雪子の再婚相手より自分の結婚相手を探そうと、紅茶を飲んだ。
余談だが、最近夫人には年下の恋人が出来た。未だ閉経は無く、産めるなら産むと意気込んでいる。…望めそうに無いが。因みに現在、五十三歳である。
時一は立ち上がり、窓を開け宗一に云った。
「京都に行く前に御願いがあるんだけど。」
「何やあ?」
くるくると回り、子供達と遊んでいる。
「俺の結婚相手探して。」
「男か?」
「子供が欲しいから女。」
宗一は回るのを止め、平然と近付いた。自律神経がおかしいのか目が回っていない。子供達は当然ふらふらと崩れた。
「そんな、明後日行くのん。今日明日で見付かるかいな。煙草買って来てぇな頼み云わんと。」
「其処を何とか。」
「無理やて。なあ。」
雪子に目を遣る。雪子の視線がゆっくりと時一を捉えた。
「結婚したいの?」
「と云うよりは子供が欲しい。」
「嗚呼。」
無気力な雪子の声が、視線と共に宙を漂った。
「ちょお自分達で遊んでてくれるか?」
宗一の言葉に子供達は頷き、隠れん坊を始めた。昔、良くしていた。此の広い敷地には持ってこいの遊びだ。逃げ過ぎて見付けて貰えない事もしばしばあった。
宗一は懐かしさに顔を綻ばせ、「嗚呼、どっこいしょ」と唸り座った。其の声に時一は悲しく為り、目を擦った。
「歎かわしい限りです…兄上…」
「………今自分でも、悲しなったわ…」
雪子はくすくす笑い、宗一に紅茶を差し出した。其れを一口飲み、一息入れて時一を見た。自律神経も乱れ、老体。流石に一桁の子供相手はきつい。
「ほんで?何、結婚?」
すれば良いではないかと簡単に宗一は云う。
「もっとこう…真剣に考えて呉くれないか?俺の行く末。仮にも恋人だったろ?」
「そないな事知らぁん。うちは自分の事で一杯一杯よぉ、もう子供やないんやぁ、自分の事は自分でしはってぇ。」
大概興味無いのは口調で判る。時一は項垂れ、雪子は矢張り笑っている。
はたと宗一は考えた。時一を見、雪子に視線を流した。
雪子と時一が結婚すれば話は早いのでは無いか。
宗一も又、子供達の安否を考え雪子の再婚を考えていた。二人は全く同じ事を思っていた。そして今目の前に全てが一致した人間が居る。
子供好きで、結婚をしていない金を持った、若い男。
「…………御前だ…」
宗一の指が震える。
「は?」
顔を歪ませ、時一は固まった。
「何?俺が何だって?」
「結婚、しはったら?」
「いや、だからね。相手さ。」
宗一の視線の先に気付いた時一は言葉無く首を振り、固くなに拒否をした。雪子は又ぼんやりと窓の外を見、自分の世界に入っている。然し小声で云う。
「冗談じゃない…ッ」
「そや云うても、案配宜しよ。」
「俺と彼女の仲、知ってるだろう?」
「六年も昔の話何ぞ時効よ、時効。」
今は一緒に茶何ぞ飲み、再婚相手等考えてやっては居るが、初めて会った日、其れは凄かった。木島家崩壊の要因は、雪子の懐妊だ。
其の雪子と結婚し子を生す。
「無理に決まってるだろう?」
「本人も気にしたらへんて。時恵とも仲えんやろ?」
「俺は彼女に一度も謝ってない。」
其の言葉に宗一は無言で頭突きを食らわした。
「何で謝ってないのん。」
「宗一は…?」
「…仲良ぅさして貰てますぅ。せやから一幸達と遊んでるんやろう…?」
其れもそうだと知る。若しかしたら自分が一番酷く雪子に接したかも知れないと、六年前の自分を恨んだ。若気の至り、そんな素敵な言葉では片付けられない。時一は項垂れ、馬鹿さ加減に呆れた。
そう昔の非礼を詫びたいが、其れと此れとは話が別だ。詫びは良い。然し何故結婚しなければ為らないのか。パトロンに為り、子供達を見た方がマシな気がする。
「兎にも角にも、其の意見には反対だ。」
テーブルを叩き、陶器音を響かせた。其の大きな音にさえ、雪子は反応を示さなかった。唯ぼうと窓の外を見ていた。




*prev|2/2|next#
T-ss