男≡女


会いたくないのに、何かが同じなのか、時一に良く出会う。はっきり云って雅は、時一が苦手だ。其れなのに良く会うのは、神の悪戯であろう。
何時もの様に袴を揺らし歩いて居ると、決まって前方からしなりしなりと艶やかな袂や帯を揺らして歩いて来る。声を掛けない訳にもいかず、ばつ悪く顔を逸らす雅に、此れ又決まって時一の方から声を掛けて来るのである。雅の方は関わりたくない為、そっちの方が楽ではある。
「今日は。今日も良き日ですね。」
「そうですね。貴方様も御元気そうで何よりです。」
二言三言交わし、普段なら其れで終わるのだが、今日は何故か時一の進む気配が無い。何か用だろうかと顔を上げる雅に、時一は薄く笑った。
変わった。雅の雰囲気が豪く変わっている。相変わらず化粧気の無い端麗な顔だが、妙に艶があった。雅に元から無い訳では無い。今迄感じて来た艶は、男の艶であって、今感ずる女の艶では無かった。
時一は何も云わず、気味の悪い笑みを浮かべた侭雅を見た。其れが、居た堪れない。何か云えと思うが、気味悪さの方が勝り何も云えない。
「あのう、雅さん。」
最初に言葉を交わした時とは違う男の声に雅は身体を強請らせた。然し「雅さん」とは偉いものだ。友達でも同僚でも無い、自分より下の軍医に、何故名前で呼ばれなければ為らないのか。此れでも軍師、甘く見られたものだと、雅は鼻で笑い、強い目を向けた。
「菅原さん、私は貴方より上ですが。雅さん、は一寸馴れ馴れし過ぎやありませんか?」
其の言葉に時一は慌て、俯き謝罪した。
「済みません。加納さんって呼ぼうか迷ったんですけど、加納元帥と混同しそうで…、済みません、悪気は無かったんです…」
今迄何度同じ事を云われたか。何とも思わないと云えば嘘になるが、気にした所で、皆の意識が変わる訳では無い。
「加納、軍師。そう呼べ。」
「雅さんって、参謀だったんですか?」
「そうだよ、何だと思ってたんだよ。唯の男装が趣味な変態だと思ってたのか?」
「加納元帥の雑用かなって。」
空はすっかり奇麗なのに、雅の溜息はどんよりと重い。
「加納元帥、か。」
鼻で馨を嗤った。
御前達は、あの男の汚さを知らないんだ。
何が元帥様だ、何が加納さんだ―――。
雅は冷たく笑い、道端を眺めた。
「私は。」
時一は言葉を待つ様に優しく微笑んだ。
「加納元帥より、木島元帥、そして本郷元帥の方が、好きです。」
其の言葉に時一は顔を曇らせた。
何て寂しい目だろう。
時一も又、馨が余り好きでは無かった。人間味が無いと云うか、無意識に他人を馬鹿に見下している其の態度が自分と重なり、余り好きでは無い。尤も雅は、もっと深い所から嫌悪を抱いている様見受けられる。兄であり加納家の唯一の男子であり元帥であり、雅にとって絶対者の馨。馨がどんなに周りから素晴らしい人間と崇め持て囃され様が、深く根付いた嫌悪は、拭い去れ無かった。
「兄が、本郷さんの様に、少しでも暖かさがあれば、良いのに。」
俯く雅に時一は肩を触った。
「何か、ありました…?」
兄妹仲の悪さは大概有名、然し誰も理由を知らない。顔が似過ぎて嫌いなんだろうよ、や、雅の方が持てるから馨が気に入らない、や、馨の女を寝取った等、信憑性の全く無い話しか無い。本人達も面白可笑しく「ええ其の通り」と便乗する。
雅が馨を嫌う本当の理由、知れたら馨の人望は地に落ち、“加納”と云う名前が欠落し兼ねない。海軍で、世間で、雅が男として生きるには、絶対に必要な物を、雅自身も失う訳にはいかなかった。
其の優しい言葉に雅は首を振った。
「何も。済みません。」
「話位なら聞きますよ。」
然し雅に話す気は無かった。話した所で、兄の絶対が無くなる事は無い。折檻、支配、嫌悪が、消せる訳は無いのだから。
雅は顔を上げ、彫刻の様な顔を崩した。
「そう云えば、何処かに行かれるのですか?」
艶やかな着物でめかし込み、逢瀬でもするのだろうか。
「俺ですか?いやぁ特に予定は。」
「私はてっきり誰かと楽しむのかと。」
くすんと時一は笑った。
「そんな方がねぇ、いらっしゃれば良いのですがねぇ。一座に思い寄せる方は居るのですが、残念乍ら、鬘しか頂けません。そう云う貴方は?」
其れは、今日の予定か、思い人か。何方とも取れる言葉は、雅の口を噤ませた。
拓也の事を誰かに相談したい。けれど雅にそんな話を出来る知り合いは居ない。時一に話す気は、無かった。
「あの。」
「はい?」
前々から感じて居たが、雅は表情が暗い。友達と云う友達も居ない雅は、息抜きをする術を知らない。軍事以外の話題も無い。時一は、確かにそんなに友達が多いとは云えない。然し、柔軟性がある。其の場其の場で、話題を持ち出す。
雅に、笑顔を与えたい。時一はそう思った。
「予定が無いなら、あたくしとデートしません事?」
唐突に云われ、雅は困惑した。
大して仲良い訳でも、寧ろ敬遠している相手と、何故逢瀬しなけば為らないのか。
男装と女装の、其れこそ見世物に近い二人が、態々見世物に為る等雅は嫌だ。出来れば今直ぐにでも逃げたいのだが…。
「ええ。良いですよ。」
冒険をしてみたく為った。




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