意外な事実


矢鱈に陸軍の姿が多い。大量に止まったジープの周りに人が集まっている。其の中で目立つ子供の泣き声。其れに雅は目を瞑り、蟀谷を押さえた。
子供の泣き声は雅の頭を強く締め付け、頭痛を引き起こした。子供が嫌いな訳では無い、泣き声に依って思い出される記憶が嫌いなのだ。
雅は昔、良く泣いていた。其れは大方兄に折檻を受けている時で、其れを思い出す。記憶が鮮明に為る程雅の頭は痛く為る一方で、薄く開いた目で子供を見た。
「御嬢ちゃん、如何した。」
そうして写った影。又昔の記憶が蘇る。
迷子の子供、陸軍将校、蝉の声。全てが、同じだった。
「母ちゃんが居ないの。」
「マジかよ。」
影はしゃがみ、子供の鼻を拭った。
「泣くな泣くな、一緒に探してやっから。」
「本当?」
「嗚呼。陸軍が全力以て探して遣る。」
子供は笑い、涙を止めた。雅は、其れを見ていた。そうして、影が又一つ増えた。眉間に皺寄せた狼。
「迷子か。」
「嗚呼。」
「最近多いな。」
「今丁度配給時間だからな。母親はそっちに気ぃ取られてんだろう。」
二人の陸軍将校に守られた子供は、不安な顔をし、母親を探していた。
「飴やろうか。」
「本当?」
「嗚呼。」
風が吹き、烏の羽の様に漆黒の髪が広がった。
「しっかし、細ぇ腕だな、御嬢ちゃん。」
子供の腕を細いと云う割には、口に飴を入れる指は負けず、骨が浮いている。
見ていると、狼が、鋭く吊り上がった目で雅を見付けた。慌てて雅は視線を逸らした。
「雅さんだ。」
「は?」
海軍がこんな場所に居る訳無いと、拓也は顔を向けた。
此処は陸軍管轄地区であり、海軍は余程滅多な事が無い限り足を踏み入れない。然し海軍管轄地区に陸軍はずかずかと入る。陸軍と云うよりは、憲兵が勝手に横暴な態度を取っているだけの話。御上品な海軍さんは、野蛮な陸軍さんとは違い、そんな事はしないのだけれども。
如何なものか。
黒い軍服の中で一際目立つ、白い軍服。まるで、黒い烏の中に白い鳩が紛れ込んでいる様な、そんな異様さ。
陸軍と海軍は全てが相反する。其れを拓也は再度認識した。
「何してるのかな、海軍さん。」
子供を抱いた拓也は不気味に笑う。
「貴方こそ…白昼堂々、少女相手に淫行ですか?」
就いて出た言葉は、遠い昔に聞いた台詞。
「……あのなあ…」
「御愁傷様だ、拓也。」
「全く全く…」
溜息吐く拓也。雅は聞いた。
「探さなくて良いんですか?」
「今探してんだよ。」
子供の大きな目が雅をじいっと見詰めた。とても澄んだ、飲み込まれそうな目に眩暈を覚える。
「何?」
「海軍さんが良い。」
其の台詞に拓也は涙を堪え、子供を地面に下ろした。
女は年関係無く皆、陸軍より海軍が好きなのだ。特に此の、二つしかない白い軍服には。
雅は笑い、腕を伸ばした。
「御出で、可愛い御嬢さん。」
地面から一気に子供を抱き上げ、雅は笑った。子供は其の強さに喜び、泣いていた事等無かった様に声を出し笑う。
「嗚呼、本当に軽い。」
高く持ち上げ、少し力を緩め、重力に従った小さな身体を抱き締めた。暖かく、柔らかい、生命感溢れる身体。其の子供の全てが堪らなく愛おしかった。
「…食べてしまいたい。」
「早く母親を見付け様ぜ。」
「探して来る…」
食われん様見張って於け、と拓也を其の場に残し、ジープの上に乗った。人に紛れて探すより効率が良いと思ったが、何事かと群集の視線が集まった。元帥が高々を姿を現した理由が、母親探し等、誰が思うか。辺りを見渡す龍太郎に群衆も一緒に首を動かす、右を見れば右、左を見れば左を向く、完璧な迄の統率だった。見付けた、如何見ても子供を探している女の姿。
「拓也、あっちだ、二時の方角、青の着物を着てる。」
そうして皆一斉に指の向く方に振り向いた。
「母ちゃん…ッ」
龍太郎が指す方に走り出す子供を拓也は慌てて追い掛けた。其れを龍太郎は見、舌打ちをした。
離れ始めた。
「御夫人止まれッ」
龍太郎は云うが、雑然とした中では届かない。もう一度声に出した。
すると前に居た男が後ろに向かい「御夫人止まれ」と云った。
「…御夫人止まれ。」
云われた女が又後ろに対して云った。すると面白い様に龍太郎の一言が後ろに流れ、伝言を始めた。
「御夫人止まれ。」
「御夫人、止まりゃんせ。」
「水色の御夫人待って頂きたい。」
「水色夫人、止まれってさ。」
「水野夫人、止まれ。」
「貴方水野夫人?止まれってさ。」
「いいえ…?」
時間にして三分、果たして龍太郎の一言は母親に届いた。水色の服を着た夫人、が水野夫人か如何かは知らないが、行き成り人違いされた母親は兎に角足を止めた。
「母ちゃん。」
「嗚呼、其処に居たの。」
小さな手が母親の手を掴んだ、其の光景に龍太郎は安堵し、ジープの上に座った。
「有難うな、皆。助かったよ。然し、団結力が凄いな、俺達も見習うか。な、拓也。」
「嗚呼、先ずは御前の阿呆から治すか。」
「元帥、阿呆なのか?」
「阿呆阿呆、俺が居なきゃ何も出来ねぇよ。」
「食事の介護ならしますよ、元帥。父で慣れてますから。」
「食事は未だ大丈夫だ。」
「嘘吐けよ、昨日、手が離せないから食べさせろって云ったし。」
「云ったか?食べた記憶はあるが…」
「あはは、やだよ元帥。痴呆来たね。」
「其の内下もですね、本郷元帥。」
「俺は未だ大丈夫だ、変な事云うなよ、拓也。三分後には皆に知れ渡るだろうが。」
「本郷元帥は痴呆。ほい、後ろ。」
「こら、云うんじゃない。」
笑顔に囲まれる龍太郎を、雅は呆然と見て居た。皆が元帥元帥と慕い、何んな小さな一言でも皆に届ける、右を向けば右、左を向けば左、皆当たり前に素直に従った。
海軍には、絶対に無い事。
海軍は、馨が無理矢理に自分と同じ方向を向かせ、先ず第一に、馨の口から「有難う」等感謝の言葉等出ない。況してや、此処に居る人間には絶対に云わない。会話さえせず、見下すだけ。
高い場所に居る、だけど龍太郎は何時だって彼等と同じ目線で物事を眺める。低ければ低い程、龍太郎は目線を合わせた。
伝達からの一連の流れを、雅は複雑な思いで見た。海軍で育った故に馬鹿馬鹿しいと思う反面、だからこそ、途轍も無く羨ましいと感じた。
「此れが、陸軍…、此れが…」
本郷龍太郎と云う男だと、群衆を眺めた。
「ちょいと海軍さん、大変。本郷元帥、痴呆らしいよ。何でも下垂れ流すとか。」
「あ、そうですか。態々有難う。」
「大丈夫かね、此の国。襁褓して戦地行くのかね。」
侮り難し、民衆の力。しっかりと雅に迄伝達された。




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