性分故


笑い乍ら話す男に、龍太郎は顔を顰めた。何と云われたか頭の中で整理し、契れた言葉は漸く繋がった。
「御前、今の中国が如何為っているか、知らない訳は無いよな?」
「だから行くんだよ。」
「何故、中国何だ。」
別に日本でも良い話なのに、態々敵国の地に行く。
あの日から拓也の頭は一つの事で一杯だった。
「今日本は勝ってる。後ろには英吉利が居る。勝っても負けても俺達は痛くない、英吉利って云う大国が居るから。でも、中国は?誰が居る?」
「だからってなあ…」
龍太郎は溜息と共に紫煙を吐いた。
何方も折れる訳にはいかない。龍太郎が折れると拓也は中国に向かう、拓也が折れると子供の命が消える。
何方の欲が大切か。
此処で龍太郎が我を通せば、和臣と同じ事。
――見ず知らずの命より、此の国の存続の方が大事だ。
あの時云った和臣の気持が少し判った気がし、吐き気がした。自分の場合は、自分の都合だなと鼻で笑う。
此の男が傍に居ずして、果たして戦争等続けられ様か。勝つ事等出来様か。見付かりもしない答えの中を、龍太郎は彷徨った。
「頼むよ。俺は御前の命令が無いと動けないんだよ。」
縋る其の目を見たくないが為、視線を逸らした。
「元帥。」
尚も縋る声に龍太郎は気丈な目を向けた。
其れはとても強い、狼の目。
龍太郎も本気だった。
「御前が、井上拓也という人格で中国に行くなら、俺に止める権利は無い。御前の人生を俺が如何こうする事は出来無い。けれど、御前は大佐として行きたいんだろう?軍が要るんだろう?だったら俺は元帥として、止める迄だ。判り切ってるだろう?」
何故其処迄判っているのに、頷いて呉れないのだろう…拓也は其の言葉に目を瞑り、静かに云った。
「だから、龍太じゃねぇ、本郷元帥に頼んでるんだろう…?」
声は震え、反対に龍太郎の声は厳しい物である。
「元帥としての答えは、否だ。」
何方も、折れる訳にはいかなかった。己の欲を満たす事しか知らない二人は同時に息を吐き、俯いた。
「じゃあ、龍太としての答えは如何なんだよ。」
消えそうな拓也の声。元帥としてでは無い、友人としての気持を、知りたかった。
龍太郎は煙草を消し、強い目に影を落とした。
「行って来い。」
拓也の気持を操る事等、龍太郎には出来ず、してはいけない行為。然し本心で無いのは拓也も判って居た。
「じゃあ、元帥としても云ってよ…頼むから…」
「其れは嫌だ。判るだろう?」
「俺が居なくても、軍は成り立つだろう?」
其の言葉に、龍太郎は息を吸い、強く机を叩いた。わっと湧き出た感情が、醜く恐ろしい。感情に支配される恐ろしさ。龍太郎は其れに恐怖した。
「御前が居なくなって、俺が元帥として立てると思うか?今でも潰されそうな精神状態なのに、今御前が居なくなったら、俺は如何したら良いんだ…ッ」
一方的に喚き、何度も机を叩いた。
「嗚呼、そうだ。確かに軍は成り立つ、小野田が居れば充分だ。だけど俺には、御前が要るんだよ。誰でも無い、御前が、拓也が必要なんだ…」
云うまいと思っていた。云って如何にも為らないのは判っている。其れなのに、感情は勝手に口を動かし、拓也に言葉を浴びせた。云ってはいけないと思っているのに、感情は嗤う。そして、恐れる龍太郎を楽しむ。
「御前が居ないと、俺は成り立たない……」
虚ろな目を隠す姿に、拓也は唇を噛んだ。
「頼むから…傍に居て呉れ…、御前の代わりは、居ないんだ…」
口は震え、普段は薄い唇が赤く厚みを帯びて居た。
龍太郎の弱さを知っているのに、強いと思い込んでいた。そうする事で容易く自分が弱くなれる事を知っているから。
「御免…、御免龍太…」
弱い自分を嗤って呉れ。
「何故日本じゃ駄目なんだ。何故中国なんだ。教えて呉れ…」
弱い龍太郎の声は、弱い拓也を強く抉った。
「…敵国、だからだよ。」
「何故だ…」
俯き、頭を抱える龍太郎が直視出来ない。龍太郎を捨てて迄、こんな姿を見せる迄、自分がする事に、意味はあるのだろうかと考える。けれど、意味は無い。理由がある。
其処に、必死に生き様とする強い命があるから。
未来を見る、強い目があるから。
「此の戦争は、俺達大人が勝手に始めた事だ。其れに巻き込まれた子供を守るのは、やっぱり、俺達大人しか居ないんだよ。其れに敵も味方も関係ねぇ。大人だから子供を守る。当たり前の事だろう。」
「何故其れに、俺達が関係あるんだ。」
戦争を始めたのは勝手な大人達だが、自分達は其れに従った迄。男が守ろうとする命を、自分達の命で守るだけ。味方を助ける前に、何故敵国なのか。龍太郎は其れが判らなかった。
理由無き義理、とでも云うのだろうか。
「俺は、中国で沢山人間を殺した。敵だから。けど、其の殺した奴の中には、子供が居たかも知れねぇだろう。其の子供は、何も判んねぇで戦争が始まって、親が殺されて、一人になって。殺したのは俺かも知んねぇんだぞ。なのに、無視する事なんか、俺には出来ないんだよ。」
「拓也が行く必要は無いだろう…?」
薄く笑う龍太郎に、今度は拓也が吠えた。龍太郎に怒りがある訳では無い。自分達大人のしている事に怒りを覚えている。
此れは八つ当たり。
「何でだ、何で何時も犠牲に為るのは子供なんだ、おかしいだろ?其の理由が弱いからだったら、尚だ。良いか、強さってな、大人同士で顕示する為のもんじゃねぇんだよ。何で大人が強いか判るか?子供を守る為に強ぇんだよ。子供が弱いんじゃない、其れを守んなきゃなんねぇから大人には力があるんだ。そんな大人が、子供を見捨てて良いと思ってんのか…?其れが当然だと思ってんなら、御前も、木島と同じ肌って事だよ。そんな奴、こっちから願い下げだ。ヘンリーに頼むわ。」
意志の強い男。龍太郎は其れを知っている。此処迄固い意思を崩す事は、最早不可能だった。
「判った。」
龍太郎は息を吐いた。
「行って来い、井上大佐。我が軍が、全力以って援助する。」
「有難う御座居ます。」
此の男の意思の為、生き様とする強い命の為、此の戦争、必ず勝利する。


勝つのは、我が帝國軍だ。




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