性分故
「姉さん、如何思います?拓也の徘徊癖が出ましたよ。」
墓石に龍太郎は呟き、冷たい石の感触を楽しんだ。そう滅多な事が無い限り此処には来ない。来る時は大概、拓也の事である。
困った時の姉さん頼み、拓也はそう笑う。
井上琥珀と掘られた文字を触り、喉が熱く為るのを知る。
「御前、何で何時も居る訳?」
後ろから声が聞こえた。振り返るともう一つ影があった。
全く同じ状況に、眩暈が起きる。笑う拓也の横には、矢張り笑う琥珀が居た。嗚呼、とても良く似ている。拓也にも、そして此の墓の下に眠る女にも。
「離婚、したそうだな。」
聞く龍太郎に拓也は息を吐いた。其れはもう大きく。
あの日あの後、荷造りをして居るとひょっこり琥珀が顔を出した。手伝いに来たのかと思ったのだが、詰めるのは何故か自分の物だけ。何をして居るか判らず、でも邪魔に為らないので放って於いた、したら何だ、夜に為っても帰らず、当たり前に自分のベッドで寝、朝当たり前に朝食をかっ喰らった。其の後又其々荷造りや掃除に掛かり、昼過ぎだろうか、海軍の人間が一人現れ、琥珀に封筒を渡した。
――手際良いのね。えっと、判子判子…。ダディ、名前書いて。住所、本籍、生年月日ね。判子も押して。
――何だよ…
判子を探しに行って居る間に渡された書類に拓也は愕然とした。届けに来た使いに聞いても石の如く黙り、全く反応は示さない。
確かに、確かにはっきりと馨の欄には母親の名前が書いてある。悪い冗談で無い事が確定した。
――琥珀、此れ何だ?え?
――離婚届け。早く書いてよ。
――一寸待て、待て。誰と誰が離婚するんだ?俺は何も聞いてねぇぞ。
――あたしと馨さん。だって云ってないもん。
――一寸待て、頭を整理させて呉れ。おい御前。
――はい。
――加納さん、呼んで呉れないか?
――呼べるのでしたら、御本人が来ますよ、早く書いて下さい。
訳が判らず、一人取り残された拓也は、理解もして居ないのに、横でがんがん喚く琥珀に急かされ書いた。
――確かに。では。
きちんと封筒に入れ直し、敬礼済ますと使いはあっさり帰った。其の後幾ら問い詰めても琥珀は何も云わず、「もう云わないでよ」と一喝、黙々と廊下を拭いて居た。
此れは駄目だと雅を呼び出した所、嗚呼らしいですね、と素っ気無く吐き捨て、仕事に戻った。
何奴も此奴も海軍側は使えない、だったらこっちを動かす迄だと龍太郎に事実確認取らせた所、馨からの返事はあっさり「ええ」だった。
ええ、とは何事だ。知らせに行った其の日に離婚するとは何事だ。
結局夜、馨、母親、琥珀、拓也できちんと面向かい話し合った結果、母親自体抑此の結婚に反対だったので多数可決、離婚に為った。其れを云うなら拓也とて結婚は猛反対した、絶対に無理だと散々云った挙げ句結婚し、見事離婚した。
母親は「二度と家には関わらないで、もう二度と」「馨さんの戸籍と経歴を汚した事、絶対に許しませんわよ」と琥珀に恨み言連ね、拓也を睨み付けた。
中年の女は、一度怒りを覚えると鬱陶しい。一人でぶつぶつ文句を、主に琥珀に、云って居た。余りに煩いので拓也が文句を云うと、中年女の鬱陶しさが爆発した。
――此れだから片親は。
此の母親は何かある事に、片親だから、貰い子だからと、琥珀を軽蔑して来た。故に拓也は此の母親が大嫌いであったが、親同士が喧嘩したら、琥珀の立場が悪く為ると我慢して居た。けれどもう他人だ、二度と関わるなと迄云われたのだから我慢の必要は無かった。
――は?いや其れは御宅もだろ?
――失礼な方ね、流石は陸軍。夫を御存じないのかしら。
――未亡人の癖にうるせぇんだよ。両親きちんと揃ってるって云いてぇなら実体持って来いよ、加納の響さんをよ。
――ワタクシは、きちんと、戸籍上、結婚してますわ。馨さんに父親は存在しますのよ。
――一人残ってるぜ、雅ちゃんがよ。彼奴が嫁行く時なんて云うんだ?え?片親じゃねぇか。大事な馨ちゃまの再婚相手見付ける前に父親の代わりでも探せば?嗚呼其れとも、相手にして呉れる男が居ねぇの。無理もねぇわな、そんな性格じゃ。俺だって御免だよ。あそこ干涸び過ぎて頭迄干涸らびてんじゃねぇの、顔面は漏れなく干涸らびてるぜ、あんた。そういや、あんたん所の旦那、女遊び激しかったな。陸軍でも有名だぜ、良かったな。
――馨さん、帰りますよッ、なんなの、此の下品な方ッ
人質の居ない拓也は強かった、最後の最後に、琥珀が受けた嫌がらせの仕返し位は出来ただろうと満足を見せた。
龍太郎から前以て、あの母親を打ち負かすのなら旦那を悪く云え、と教えられて居た。良い具合に打ち負かせた。全く見ず知らずの人間を悪く云うのは躊躇われたが、此れ位なら良いだろ、事実なのだからと翌日には罪悪感も忘れた。
「一年も持たないでやんの。」
此処二三日で一気に老けた気がする。体力の無い拓也とは正反対に琥珀は笑い、艶やかな向日葵を墓前に置くとそっとキスをした。
「だって、仕様が無いでしょう。」
如何、仕様が無いのかは判らないが、琥珀は笑う。
「ねぇ、マミー。そうでしょう?」
さわさわと生命感溢れる葉が揺らぎ、まるで「ええそうね」と云っている様にも聞こえた。
「日本語の次は、中国語か。」
馬鹿な娘は笑った。
「琥珀なら、問題は無い。俺が保障してやろう。」
狼は薄く笑う。
「出たよ。龍太郎様の、俺が保障してやろう。どっから其の自信が来るのかねぇ。」
「御前の、娘だからな。」
龍太郎の言葉に拓也は照れ笑い、琥珀は「そうですとも」と拓也の背中に負ぶさった。
「あたしはずーっと、ダディの娘よ。死ぬ迄ね。」
「おやまあ。嫌だぜ。早々にくたばる事にしよう。」
「あたしが戻って来て呉れて嬉しい癖に。」
「素直じゃない奴だ。」
全く全く。三人は声を揃えて同じ事を云い、声を出して笑った。
「其れじゃあ姉さん。」
漆黒の髪が、烏の翼みたく広がった。
「又来るね。」
絶対な約束を、投げた。
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