翻弄


「ヘンリーが中国に移るだと?軍如何するんだよ。」
拓也が中国に移動すると云った矢先、ハロルド迄もが中国に拠点を構えると通告した。
「別に英国軍はベイリー元帥だけじゃないだろう、元帥は。」
ハロルドは、英吉利、日本、和蘭の総督であり、英国陸軍の指揮は他の元帥である。何、陸軍元帥が一人居なく為ろうが英吉利に迷惑は無い、全権限を持つのは海軍と陛下、陸軍に関係は無い。寧ろ、あの独裁者が英吉利から失せるとは何と有り難い事かと喜びを見せ、中国への移動理由が仏蘭西参戦の不満と、此れも又、何処迄も我が儘、と非難された。
「ヘンリーは、何処迄もヘンリーだな。ま、日本も有り難いけどな。和蘭のあの王子は、一回しか見てねぇけど、ヘンリーに任せっ切りみてぇだったから困るだろうけど。」
「もう既に爆発してるぞ。」
マウリッツから個人的に着た手紙を振り、龍太郎は笑った。内容は勿論、ヘンリーの馬鹿、悪趣味なマントに穴開けて死ね、リュタが代わりに英吉利御出で、等の恨み言。
拓也は、明日に為ったらもう此処に姿を現さない。今夜、中国に向かう。ハロルドの乗る英国軍の船で向かう。
「寂しく為るな。」
其の言葉に、拓也は笑う。
「何云ってんだよ。二週間後には、遠征に来るだろう。」
「御前に会える、保障は無いだろう。」
又会える保障等、何処にあろうか。二人して無言で静かに紫煙を上げた。聞こえるノック音。
「御忙しい所を…加納です。」
ドアー越しに聞こえた声に拓也は口を閉ざし、龍太郎は静かに笑って迎え入れた。
「やあ、雅さん。来ると思っていた。」
「あの、御許しを。」
「加納元帥は。」
「いえ、居りません。私だけです。」
迷惑だろうなと俯く雅の頭を数回叩き、微笑蓄えた侭雅を部屋に入れた。
迷惑、寧ろ歓迎。
そう思わせる程、雅は此処に足を運んだのだなと、其の年月の長さを知る。和臣が死んで、軈て一年が経とうとしていた。主を亡くした剥製の狼は、相変わらず其処に鎮座する。
「会いたくなかったぜ…」
雅の顔を見るなり拓也はそう云い、雅の顔を益々曇らせた。
「済みません…」
白い軍服が、震えている。
「決心鈍るじゃねぇか。」
「済みません…」
「御茶を淹れて来るから、座っていなさい。」
二人を見、龍太郎は笑う。此の後雅が如何出るか、男として出るか、女として出るか、見物だった。
「琥珀に会った?」
「ええ、会いました。さっき。本当、さっき。」
「加納さんと離れたくないって、泣いてたぜ。」
「ええ、泣かれました。」
「だったら離婚なんかしねぇで、此処に居れば良い話なんだよ。」
そう思わないかと、拓也は聞いた。雅は答えず、俯いた。
「判りません。私は、琥珀さんではないので。」
「畜生、式の時に流した俺の涙を返せ。あの馬鹿娘。」
二人の会話を、龍太郎は静かに聞いていた。普段余り喋らない拓也だが、雅と居る時は饒舌に為る。拓也が言葉多く為る時は、二通りある。
憤慨した時と、気持が和らいだ時。
矢張り雅はそうなのだと、確信した。拓也にとって、大切な人間に為ったのだ。
「二人に為るか?」
茶を置き、龍太郎は聞いた。雅は顔を赤くし、拓也は溜息を吐いた。
「今此処で二人にするなよ。」
「でも、為りたいんだろう?」
「俺何するか判んねぇよ。」
更に雅の顔が赤く為る。嗚呼、女だ。此の顔は女だ。軍服で、尚且此の場所に現れたのだから盟友として来たのかも、と龍太郎は考えて居た。然し違った。はっきりとした女で、雅は拓也に別れを告げに来た。
「居て下さい…此処に…」
雅は呟いた。
「だってよ、龍太郎様。」
笑った拓也の顔が、固まった。俯いた雅の目から、涙が落ちたから。
「龍太が泣かせた…」
「え、俺の所為か。」
「二人っ切りにするとか云うから…」
「済まん…」
判っている筈なのに、茶化すのは、自分の決心を強くする為。
「頼むよ…、泣くなよ…」
「済みません…済みません…」
雅は、案外プライドが高い。口を開けば謝罪、無関心に近い言葉選びばかりだが、軍人として存在する時、其れはもう、馨と同等のプライドの高さを見せる。其のプライドの高さは、流石に馨を兄と持つだけあり、加納の人間だとはっきりさせた。
馨は確かに、温室で育てられた血統書付きの猫で、皆其れを知り、プライドが高くて当然と思う節がある。雅とて血筋は同じ、血統書付き。唯少し特殊。温室を好まず野良に為ったに過ぎない。野良にも確かに、プライドは存在する。馨よりずっと、意味のあるプライドが。
ある意味、可哀相。
拓也と出会い、温室(女)に何れ程価値のある事か知った。裏を返せば、拓也にさえ出会わなければ、雅は一生プライドの高い人間で居られた。軍人として、己の存在を確立出来て居た。
だからと雅は、自宅では無く、此処に来た。軍服を着て。今一度プライドを取り戻そうと。
然し、一度崩れたを見せたプライドは、そう簡単に戻りはしなかった。
涙と一緒に、崩れるしか無かった。
「二時間後にベイリー元帥が迎えに来る。其れ迄、二人で居ろ。」
龍太郎は、静かに部屋から出た。
雅の様に、泣いて止める事が出来れば、何れ程良かっただろうか。あの時自分が泣けば、拓也は諦めて呉れただろうか。琥珀は、夫を捨てる事は無かっただろうか。そう考えても、全ては終わり、決まって仕舞った事。今更自分が雅の様に、泣き縋っても、進んだ現状を戻す事は不可能である。
「木島さん…」
天井を見て、呟いた。
「何故あの時、拓也でなく、俺に元帥を預けたのですか…?」
同じ、修羅に為れと、云うのだろうか。




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