翻弄


涙を滑らせる頬を触り、拓也は唇を重ねた。
「泣くなよ、マジで。行けなくなるだろう。」
泣いて、其れで貴方が此処に居て呉れるのなら、幾らでも泣くと、雅は心の中で思い、又涙を流した。同じ陸軍なら、迷わず付いてゆく。妻なら、琥珀の様に付いてゆく。けれど自分は何でも無い女だと痛感し、付いて行く事も止める事も出来ない、弱い力を知る。
何故、海軍に等為って仕舞ったのだろう。何故父は、海軍元帥だったのだろう。
何故、自分は男に為ったのだろう。
父か海軍元帥で無かったら、父が娘を欲しがって居たら、兄が贔屓されて居なかったら……そんな事ばかり考え、結局は人の所為にしか出来ない自分は、矢張り弱い価値の無い人間なのだなと、雅は感じた。
人形も、楽じゃない。
心等、早く無く為って仕舞えば良いのに。消えた子宮と共に、何故消えて呉れなかったのだろう。拓也の顔を見詰め、そんな事を考える。
違う。
矢張り、悪いのは、自分なのだ。
あの時迷子になら為ければ、父が貶す陸軍に恋をしなければ、自分は何の不自由も無く男の侭で居れた。
「兄上が、琥珀さんと結婚等、しなければ良かった…」
雅は呟いた。
そうすれば、自分は拓也に会う事は無かった。結局は、又誰かの所為にした。
誰かの所為にしたいのだ。
「俺も、そう思うよ。違う形で、御前には会いたかった。」
拓也は笑い、被っていた軍帽を雅に被せた。
「似合うな。黒が似合うのは美人な証拠だ。」
「何を…」
だったら破壊的に黒が似合わない馨は如何思えば良い。
軍帽には、其々に個性が見える。支給品では無く私物なので、大金掛ける将校迄居る。拓也は普通、和臣みたく裏地を真っ赤にする訳でも無く、龍太郎みたく青地に龍を浮かせた裏地でも無い、黒の無地の有り触れた物だが、返って其れが拓也の物だと主張された。
黒。
其れは拓也を象徴する。
赤を見たら和臣を彷彿する様に、青なら龍太郎、白なら馨、ラベンダー色ならハロルド、オレンジ色ならマウリッツ、と云う具合に、漆黒こそ拓也を象徴、彷彿さす色。
「絶対無くすなよ。」
「無くすもんか。」
「次会ったら返してね、絶対よ、雅様、私物化しないでね?」
勿論。
雅は薄く笑い、漆黒に向かう空を見た。




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