加納元帥夫人


揺れる漆黒の髪。眼鏡の奥底の目が、薄く笑う。
「嗚呼、今日も良い天気だ。彼女は余程、神に愛されて居る様だ。」
青空を突き破る様に十字架は伸び、浮かぶ太陽。伸びる赤い絨毯、其の上に立つ軍服の白さは良く栄えた。
目の前に並ぶ海軍に、時恵は龍太郎に耳打ちをした。
「ワタクシ、海軍を見るのは初めてですわ。」
鎮座する海軍将校、誰一人として口は聞いて居ない。置かれた石像の様に、揃って前を見て居た。
「葬式みたいな暗さだな。」
「陸軍とは正反対ですわね。」
云って二人は会話を止めた。暇持て余し会話して居た為、馨の母親から睨まれたからだ。修羅の母君は、矢張り同様の威圧感があった。
近付く馬車の音。馨は息を飲んだ。普段は堂々と、恐れも何も見せない馨だが、今日ばかりは子供の様に恐れを抱いて居た。馨が見たら屹度馬鹿にすると自分を奮い立たせ、気丈な顔で門を見た。
止まる馬車。開かれた扉から、先ず拓也が降り立った。黒い軍服を着た陸軍中尉。生憎龍太郎は軍服では無く、礼装を着て居る。海軍の中に陸軍が入る…、今迄黙った侭石化して居た海軍は息を飲んだ。
手を伸ばし、其れに触れる小さな手。ゆっくりと引かれ、大きな車体から花嫁衣裳を身に纏った琥珀が姿を現した。
飛び込んだ姿に目を見開き、息が止まるのを馨は知った。純白の衣装纏い、際立つ靡く髪、眩暈覚える其の姿に、時恵は震えた。
「何て事…何て美しいのかすら…」
未だ始まっても居ないと云うのに涙が流れ、龍太郎の肩に頭を置いた。
拓也の腕を持ち、深紅の絨毯に其の白さを浮き立たせる。長いベールが、馬車に迄続いて居た。一歩、又一歩、其の美しさが近付く。
止まり、そっと離れる手。
琥珀は拓也を見た。不安宿す琥珀の肩に手を乗せ、両頬にキスをした。
「ヴィクトリアに、神の祝福を。」
馨を見る事無くそっと離れ、帽子を目深に被ると龍太郎の横に着席した。
「御疲れ、御父様。」
「本当だぜ、全く全く。」
小さく笑った。
布の擦れ合う音が止み、拓也を見る琥珀に馨は笑った。
「聖母の様です。」
「嬉しい事を。」
注意向けられた琥珀は其処で漸く馨に向いた。互いにくすりと笑い、微笑む神父に向いた。
降り注ぐ太陽の熱、神父の言葉、琥珀は目を瞑り、全身に受けた。其れでも頭には、過去が流れて居た。
娼婦の母、暗い道、森に囲まれた孤児院、優しいシスターの顔、沢山の子供。其の中で見た、黒い、輝く光。潮の香りに、船の匂い。初めて見た美しい日本の景色、初恋の人、聳える軍艦。美しき白は、愛しき船の匂い。
「神に誓いを。」
琥珀は目を開け、馨の顔を見た。そっと笑う其の顔に、又震えが来る。
「父と子と、聖霊の御名に於いて。」
拓也が十字を切ったのを見るのは、龍太郎は此れが二度目だった。初めて見たのはもう十年以上も前の事。其の時は、何と悲しいものだと思ったが、今日は違う。拓也の切った十字は、とても美しかった。在の時と同じ色を着ていると云うのに。
青空を晦ます上がる国旗、海軍軍旗、元帥旗。全てが青空を隠した時、声が轟いた。
「加納元帥万歳っ」
「大日本帝國万歳っ」
旗にさえ異様さを覚えて居た神父は声に驚き、目を見開いた。龍太郎達は居るので然程驚きはしなかったが、神父にしてみれば初めてで、笑いが隠せない。国と云う固定概念が神父には無いのだ。動揺しつつも聖書を閉じ、一身に賛美される馨に微笑んだ。
「神の御加護を。」
云って其の手の甲にキスをし、祭壇から降りた。絡む視線。其れに馨は意味を知り、神父の代わりに立った。
「大英帝国に光を…っ」
「女王陛下万歳っ」
「大日本帝國に光をっ」
「天皇陛下万歳っ」
「勝者は我等、帝國軍だ…っ」
歓喜と共に軍帽が宙を舞った。
初めて見る馨の軍人としての顔に琥珀は息を飲み、膝を屈した。
「貴方様に、光が降り注ぎます様に。」
其の光景に、陸軍さんは野蛮だ云々御高く止まるが何ら変わりは無いでは無いかと龍太郎達は笑い、馨にでは無く、琥珀に敬礼をした。




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