軍国トリップ
閣下の部屋から出た直後、時一はルートヴィヒに呼び止められた。蛇の様な其の目は笑い、人差し指を動かす。モルモットの事で用事があるのであろうと後ろに付き、軍医長室に入った。
鍵を、そう云われ、背を向け締めた。其の首にルートヴィヒの息が掛かり、時一は肩を揺らした。
「アルツト メンゲレ…」
背中で感じるルートヴィヒの凍て付く目に時一は息を飲み、ドアーに付く手を見た。
「私の嫌いな匂いがするね、ヨーゼフ。」
深く息を吸い、鼻から出た息はとても冷たく、時一は鍵を開け様としたが同じ様な冷たい手が重なった。金属のドアーノブの方が暖かいのでは無いかと思う程、ルートヴィヒの手は冷たかった。
「アルツト メンゲレの、嫌いな匂い…?」
「刑法一七五条の匂いだ…」
凍り付いた。
鼻に付く時一の首筋が一瞬にして真白になり、鳥肌が立っている。
刑法一七五条、同性愛。
ルートヴィヒはサディスティックに笑い、時一の背中をドアーに付けると首に噛み付いた。痛みで小さく喘いだのだが、如何も其れは“其の時”の喘ぎに似ていた。くつくつとルートヴィヒは震え、青い目を灰色に重ねた。
恐怖で揺れる目は快楽に揺れている様にも見えた。
「ユダヤ人とジプシーの収容は閣下の御声。」
アリアの旋律が流れた。
「肉体的障害者は私、精神障害者は君の声で収容される。」
望み、モルモットにする為収容する。
「同性愛者の収容の声は、誰だったかな?ヨーゼフ。」
色を無くした唇を撫でる冷たい指。時一は薄く開き、目元に睫毛の影を落とした。ルートヴィヒのアリアは奇麗に透き通り、聴き入ったのは確かだった。
「閣下の御気に入りとは、そう云う意味だったのか。成程。」
閣下の御相手とは、と口元を歪め笑うルートヴィヒに時一は小さく首を振った。
「Nein...」
「...Nein?」
「勘違いするな。俺は確かに刑法一七五条に触れる人間だ。だが閣下への侮辱は止めろ。密告するぞ。」
強くは云ったもの、顔は上げれ無かった。
「ならハンスか?」
「違う。」
「他のSS隊員?」
「違う。」
Nein、Neinと時一は繰り返し、虚ろな目を向けた。
「収容の声を掛けた、ヒラー元帥…」
時一の言葉にルートヴィヒはさして驚きもせず、寧ろ、矢張りな、と云う顔を見せた。身体を離したルートヴィヒは背を向け、用は済んだ、と手を振る。
時一が刑法一七五条に当たろうが異邦人であろが、ルートヴィヒは如何こうする積もりは無い。暇を持て余しからかったに過ぎ無かったのだが、思わぬ収穫をした。
「皆、同類嫌悪で収容するんだな。」
独り言の様に吐かれた言葉に時一は同じ言葉を繰り返し聞いた。
閣下のユダヤ人収容は、自分の頭の良さに似ている為の恐怖。現にルートヴィヒもクラウスも「ユダヤ人もアーリア人も頭は良い。けれど私は、アーリア人の支配を望む」と云っている。
時一の精神障害者の収容も、クラウスの同性愛者の収容も、同じだからこそ気に食わないに過ぎない。尤もクラウスの方は、自分の息子の性癖が露見しない為の防衛策の見方が強い。
しかし気になるのはルートヴィヒだ。肉体的障害者を同類嫌悪で収容するにしては、五体満足である。
時一の疑問に気付いたのか、ルートヴィヒは向き直ると鼻で笑い、
「私は八十dBからしか聞こえない」
そう云った。
「え…?」
「聞こえ無かったか?私は、生まれた時から大砲等の爆音しか、音として聴き取れない。人の声等、生まれて此の方聞いた事が無い。」
詰まり、こうして会話する声は一切聞こえて居ない事になる。相手の口の動きで言葉を知り、そしてアリアを唄う。ルートヴィヒの射る様な目は此の理由だ。
「一つ忠告して於こう、アルツト ゲーテ。」
細い人差し指は真直ぐ伸び、時一の口に触れる。
「妻を泣かせる様な事はするな。ヒラー元帥との関係は誰にも云わぬし、脅す積もりも無い。だがな、妻にだけは、死ぬ迄隠し通せ。元同性愛者を受け入れる寛大なFrau.タマコでも、ショック死する。」
真剣なルートヴィヒの目に時一は頷き、冷たい体温を唇が完全に覚えた時指は離れた。
「君達夫婦は、異邦人だ。其れでも収容対象。君は同性愛者で、妻は障害者。其の環境の中に居る彼女を忘れるな、アルツト ゲーテ。」
愛する人間を守れ無い人間は、国も守れない。
伸びたルートヴィヒの手はドアーノブを捻り、容易くドアーを開けた。鍵等、初めから形でしか存在していなかった。
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