surr*alisme


船の中で着替え、女の姿をした時一に珠子は昔の気持を思い出し、照れ笑う。付添人の男は複雑な顔で、帰国は一週間の同時刻ですと船の中に引き下った。
其れから直ぐ、迎えの車が二人の前に止まった。自分で運転して来たのか、運転席から下りた侑徒に時一は強く目を瞑った。
「ヨーゼフ…ゲーテ医師で…?」
困惑孕む侑徒の声。宗一からの話では、男だと聞いて居たが、居るのは女二人。しかし、聞いた珠子の特徴は全く同じで、矢張り横に居る、豪く身長の高い女がそうなのだろう。こつんこつんと下駄が鳴り、灰色の目が侑徒を見下ろした。
何だか威圧感が凄い。
侑徒は視線を逸らすと、済みませんと訳も判らず謝罪をした。
「典型的な日本人だな。」
「え?」
聞こえた独逸語。侑徒は理解出来ず上げた顔を歪ませ、珠子は笑った。
「苛めたら可哀相よ。」
又、独逸語。生憎侑徒は、医学用語の独逸語しか理解出来ない。二人が何を云い、何故笑って居るのか、不快感を静かに覚えた。
時一は珠子の方に向くと耳打ちをし、視線を侑徒に流した。珠子とも目が合う。其れも小馬鹿にした様な。二人は侑徒を余所に小さく笑っている。
「宗一さん、頑張るわね。」
「稚児遊びは健在だ。」
ニヤリと二人は同時に笑い、我慢ならなくなった侑徒は時一に叫んだ。
「何ですか、貴女方。」
「え?無害な仲睦まじい独逸人夫婦ですが。」
「そうよ、友好的だわ。侵害よ。」
無害、友好的。良くもまあ人を不快にさせておいてそんな言葉を連ねられる。宗一に似た垂れた目は、顔面を歪ませている為糸の様に細い。
はたと侑徒は瞬きをした。
「…あれ?」
普通に日本語で返された。
「あれ?」
意気消沈した様に侑徒の顔から怒りが消える。其の姿が愛らしく、時一は笑い乍ら侑徒の肩に触れた。
「御免御免。少し意地悪してみたくなって。」
此れは昔の恋人からの嫌がらせ。洗礼とも云って良いだろう。性格の悪い時一は、侑徒の姿に昔の自分を重ね、つい意地悪をしたくなった。別に、宗一と侑徒はそんな関係では無いのだが、学生時代の頃から傍に置いているという事実で、侑徒に対する宗一の思いは強いのだろう。侑徒には悪いが、宗一は侑徒と時一を重ねて見ている。
そう思われても仕方は無い。憂いを帯びる笑みは、時一と良く似ている。如何やら宗一は、心に影のある人間を気に入る癖がある様だ。
侑徒は肩に触れる時一の手を見詰め、唇を突き出し、拗ねる。珠子は其れに笑い、時一の背中を叩いた。
「改めまして、ヨーゼフ・ゲーテです。彼女は妻の珠子です。」
小さく首を傾げ、珠子は挨拶をした。
「橘侑徒です。」
差し出された時一の手を握り、困惑した顔を見せた。時一の全てが判る様に、重くどっしりとする手。自分とは全く正反対だ。
時一の手は、何だか宗一と似ていた。
小さな侑徒の手。まるで女みたいである。
「珠子さんより小さいかも。」
「Wirklich?」
爪も小さく、綺麗に手入れをされている。成人で、しかも男で此処迄小さいのは珍しい。父親の遺伝で、手が極端に大きい時一と宗一。其れは時恵もそうで、小柄であるのに成人の男と変わらない。兄弟で一番大きいのは和臣である。独逸でも時一の手の大きさは驚かれる位で、珠子も小さいと云えば小さいが、気にはならない平均的な大きさだ。
そんな手しか知らない時一が、侑徒の手に見入ったのは無理も無い話である。
「へし折りたい手だね。」
「止めて下さいっ」
慌て手を引っ込め、侑徒は胸元に手を置き、結んでしまった。益々小ささが判り、此れ以上苛めるのは止そうと、笑顔を向けた。
「では橘医師、我が娘の所に送って頂けるかな?」
「橘で構いませんよ。」
「時一さん、言葉が戻っていないわ。」
袂を引き、自分の姿を良く思い出せと時一に云う。
「あらん、嫌だわ。」
瞬間、くにゃりと姿勢を崩す時一。着物での女装等、独逸では全くしていなかった為、自分が今女の格好をしている事等完全に忘れていた。
「送って頂けて?侑徒さん。」
「…………はぁ。」
侑徒の目は、珍獣を発見した様な目をしていた。
侑徒は未だ、時一が宗一の昔の恋人だとは、知らない。




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