Herrschaft-支配


実験台、として目の前に置かれた“モルモット”に侑徒は恐怖で乾いた笑いを出した。腕の皮膚は爛れ、目は虚ろ、腹だけ異様に出っ張ったモルモットは、直視出来無かった。
「栄養失調の場合、こう云う風に…」
モルモットの両脇に腕を滑らせ、寝ている体勢から腹が良く見える様に座らせた。
「腹が突き出る。」
「はい…」
「此の現象は、大事な内臓を守る為に脂肪が付く。」
手足が冷えるのも、血液が内臓に向かう為と宗一は続けた。
腹が突き出ている理由は判ったが、皮膚が爛れている理由が判らない。
「腕は…」
「ルートヴィヒが熱湯に付けたんや。どれ程の細胞壊死で人が死ぬかの実験。」
「嗚呼。」
納得したのか侑徒は息を漏らし、侑徒は今から此の爛れた皮膚の観察をする。観察、とは正に名前の通り、細胞壊死の過程を纏める事だった。
熱湯に付けたのは今朝、観察には丁度良かった。
しかし、侑徒は理由を聞いただけで此のモルモットを直視出来る様になった。時一が医学を始めた頃は暫く血さえ駄目で、結果精神科医になった。詰まり、侑徒は根からの外科医向きになる。侑徒の父親、橘先生、は内科医である為、侑徒も日本では内科医になっているのだが、息子と父親は矢張り違う。自分と父親がそうである様に。
侑徒は、外科医になる人間だと確信した。
「ほんでこっち。」
違う診察台に座るモルモットの方に宗一は足を向け、侑徒を手招く。
「こっちは麻酔無しで切開な。」
「麻酔無し?」
「痛いやろなぁ…」
目を細め、宗一は顔を顰めたが、侑徒は相槌をし、今から始めても、と聞いた。
「は…?」
「あれ、違うんですか?」
もう少し躊躇しろ、と宗一は思ったが、此れが性格なのだろうと手術着を渡した。
緑の生地に黒いハーケンクロイツが浮かぶ手術着。サイズが合っていないのか、やたら浮いていた。
「処で、何処を切るんです?」
「さあ…」
麻酔無しで切れ、と伝えられただけで、何処を如何しろとは云われていない。適切に切り、適切に縫合しろ、と適切に宗一は云った。
「Ja.」
「お。やりよんなぁ。」
「覚えました。」
「其の調子で独逸語も覚えたらええよ。」
「はい。あ、いえ、Ja.」
宗一は小さく笑い、在の腕の爛れたモルモットの座る診察台に腰を掛けた。ちらりと目が合い、思い切り紫煙を顔に掛けてやった。
「何で手術着が緑か知ってるか?」
モルモットの髪を掴み、目を覗き込んだ。当然此のモルモットに聞いている訳では無く、侑徒はメスを整える手を止めた。
「知りません。」
考えた事も無い。日本で手術や解剖をしていた時は白衣の侭していた。手術着等、今初めて知った位である。
「白衣に血が付いたら、如何思う。」
「余り、嬉しくは無いですね。」
「うん。」
其れが答えなのかと聞き直したくなる程、返事はあっさりしていた。実際は、長時間鮮やかな赤色を見続ける場合、白だと其れがよりはっきりと頭に焼き付き、集中力が途切れる。故に其れを調和する為、薄い水色や緑色になったとされている。
其れは云わず、宗一は手を振り、早く始める様促した。其処にルートヴィヒが意気揚々と現れ、宗一はげんなりと目を上に上げた。モルモットを乱暴に診察台に投げ捨て、紫煙と溜息を吐く。
「ストーカーか、御前は…」
「私は先生に恋をして居るに違い無い。」
「さよか…。おめでとう、刑法違反。」
迷惑以外無いとうんざりし、診察台から下りた。揺れた白衣をモルモットが掴み、気付かず肩から落ちる。黒の軍服にモルモットは鼻で笑い、悪魔、そう吐いた。侑徒は其の言葉が聞こえたが何と云ったか判らず、ルートヴィヒには届いてさえいなかった。宗一にだけ判り、宗一は深く息を吐き振り向いた。ルートヴィヒに判らない様顔を近付け、診察をしている様な素振りで囁いた。
「神の御加護が貴方にあります様に。」
前髪を撫で、変色した額にキスをした。
「白衣はやる。天使の羽だぞ。」
モルモットの黒い目は動き、唾を顔に掛けた。宗一は無言で顔を離し、白衣で拭うと無言で部屋を出た。
「先生ぇ…?」
終始無言の宗一に不安を覚えた侑徒は後を追い掛けたが、姿は何処にも無かった。羽が無いのに、飛んで消えた様に何処にも無かった。
不安で俯き、天使には体温が存在しない事を侑徒は知った。
後ろからルートヴィヒに抱き竦められ、痛い程肩を掴まれた。
「君は、本当に女の子みたいだね。細くて、色白で、そして愛らしい。此の侭肩を外してあげ様か。」
頭に叩き付けられた気味の悪い声に侑徒は作り笑いで振り向き、冷たい其の目を見上げた。
「日本人は嫌いだ。私達と同じに、自分達が一番優れた民族だと思っているから。」
侑徒に言葉は判ら無かったが、侮辱されている事だけは理解した。けれど侑徒はほんのり笑うだけで言葉其の物を否定した。




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