Treue-忠誠


クラウスの表情に、擦れ違ったルートヴィヒは敬礼した侭数歩下がり、其の腕を伸ばし進行を妨げた。気付か無かったクラウスは伸びた白い腕に突っ掛かり、視線を流した。
「クラウス。」
元帥、では無く名前で呼ばれたクラウスは身体をルートヴィヒに向け、幼少時代して居た様に背中を壁に付けた。
「如何した。」
白衣のポケットに手を入れ、顔を覗く。傷付いた顔で床を見詰め、ルートヴィヒと目を合わせ様としない。
「小父さん、俺…」
弱い其の口の動きにルートヴィヒは優しく笑い、頭を数回叩くと向き合った侭手を引いた。
「いらっしゃい、御前の好きなケーキがあるよ。ショコラーデのね。」
「其れ、小父さんが好き何じゃない…」
けれど悪い気はせず、引かれ誘われる侭部屋に入った。ルートヴィヒの落ち着きからして、在の時一の悲鳴は知らない様子でクラウスは少し安心した。
汚れた机の上には不釣り合いなケーキが三つとカルテが並び、生クリームを掬うとクラウスの口に付けた。そうして食べて居るのか、生クリームのケーキは所々指の跡が残って居る。カルテを片手に、矢張りカルテを見た侭生クリームを掬って食べた。ショコラーデのケーキは無惨にフォークが突き刺さっている。カルテを見た侭フォークを動かし、ふっと目を上げた。
「食べないの?」
「御皿は…?」
フォークだけ渡され、クラウスは戸惑った。ケーキと云う物はホールに直接フォークを突き刺して食べる物では無いと認識している。
「無いね。そんな面倒臭い。」
柔らかく笑い、カルテを机に置くとクラウスを手招いた。
「大きくなったね、クラウス。」
こんなに小さかったのにと笑い、其処に“死の天使”は見れ無かった。目の前に居るのは“優しいルートヴィヒ小父さん”。子供が大好きで、父親よりも沢山遊んでくれた。
ショコラーデのケーキにフォークを突き刺し、一口食べた。中のスポンジはしっとりと甘く、間にはラズベリーソースが挟まっている。ショコラーデの苦さとラズベリーの甘酸っぱさ。
昔から知っている味だ。
「美味しいや…」
「云ったでしょう、クラウスの好きなケーキだってね。」
「うん。」
じんわりと視界が霞み、無理矢理喉を動かした。
「小父さん…」
フォークをテーブルに置き、視線を落とした。
「何で結婚しないの?」
「…唐突だね。」
同じ様にフォークを置き、困った表情で額を掻いた。同性愛者でも無いのだから結婚は普通に出来る筈だが、ルートヴィヒは結婚をした事も無ければ子供も居ない。あんなに子供が好きな筈なのに何故なのか周りは不思議に思って居る。
ルートヴィヒは“しない”のでは無く“出来無い”のである。
決して女が言い寄って来ない等では無く、付き合いはするもの長続きはせず結局破綻してしまう。性格に問題があると云うよりは、性癖に問題がある。極端に潔癖で、極端に神経質、詰まり身体の関係を持てないのである。最初女は其れでも良いと思うが何ヶ月何年も付き合い切れず、終いには、男が好き何だわ、と勝手に解釈され破綻する。故にルートヴィヒは謂われの無い言葉で同性愛者を至極嫌う。
「女性は連れて歩くもので、決して会話をするものでは無いね。」
意味深な言葉は父親と良く似て居た。
「私は、利口な生き物、子供にしか興味は無いから。」
女は馬鹿だ、だから黙って男に従えば良いと口癖の様に繰り返す父親の言葉が頭に繰り返えされた。
ルートヴィヒやクラウスの父親が子供を好きになるのは此れが理由である。女は自我が確立され融通が利かず柔軟性が皆無、一方子供は液体で、利口な人間にも殺人鬼にも作れる。利口な人間が利口な人間を製造し、支配し、世界に広げる。知的で利口な人間が世界を支配するのは当然の摂理、故に自分達人種で無ければならない。
其の信念とルートヴィヒの結婚、子息を残す行為に意味は無いと思うが、充分意味がある。
「小父さんも、子供作れば良いのに。」
ルートヴィヒは気管が詰まった様な笑い声を出し、フォークで大量の生クリームを掬った。
「其の侭クラウスに返すよ。」
「俺は無理だよ。何故か女が寄り付かない。」
本当に誤嚥して居るのでは無いかと疑いたくなる空気の抜ける音。ルートヴィヒが心底笑うとこんな音がし心配にはなるが、珍しい事である。
「そら、あんなに露骨に嫌な顔すれば、幾ら馬鹿な女でも寄り付かなくなるよ。多少の学習能力はあるからね。」
「そんなに露骨かな…」
「キスされて、険しい顔で即座に袖口で拭うんだからね。」
「在の時の事?在れは違うんだよ、本当に頬が痒かったの。」
苦笑い弁解を図るクラウスに、漸く笑ったとルートヴィヒは云った。
「生気の無い目で、真直ぐ前を向いて居る顔より、御前は笑って居る方が良い。」
フォークを持った侭珈琲を飲み、真白いクリームを口に入れる。口から離したフォークをクラウスに向かって回し、片眉上げケーキを指した。要らないと首を振るクラウスにルートヴィヒは近付き、じっと顔を見た。
死の天使の顔にクラウスは視線を逸らし、目の前で揺れるフォークを見た。
くすんだ銀色にクリームの跡がうっすらと残る。
「忘れられない?ヨーゼフ君が。」
ルートヴィヒの指すヨーゼフは、昔に死んだ恋人の方である。蛇の目に視線だけ流し、無言を肯定とした。歪に弓形になるルートヴィヒの目は気味悪く、フォークが床に落ちる音が静かな部屋では大きく聞こえた。ルートヴィヒの目がそう聞こえさせたと云っても良い。
「私が云って居るのは思い出とかじゃなくてね。」
クラウスを過ぎ、後ろにある机からナイフを取り出した。アンティークのナイフだと自慢の其れは刃が細く、見事な切れ味を想像させる。
流れるアリアの旋律。机にナイフを突き刺し、ゆっくりと袖を捲る。向いたクラウスはアリアを流す蓄音機の背中を唯眺め、机から抜けたナイフが描く銀色の線を追った。
ぞっとする死の天使の顔にクラウスは又目を逸らした。
「忘れられ無いでしょう、彼が。」
「あのね小父さん。確かに忘れられないけど、其処迄しつこくは無いよ。」
俺、と顔を上げたクラウスはぎょっとした。眉間すれすれに刃先が向き、其の奥にルートヴィヒの不気味な笑顔があった。
「忘れられ無いでしょう、彼の味が。」
クラウスの言葉はもう見えて居ないのか、完全に“死の天使”として存在するルートヴィヒにクラウスは後退した。追い掛けはせず、手首を回し乍らナイフを寄せる。
「在の秀才なヨーゼフ君、一番美味しかったのは、血でしょう…」
擦れ色褪せた床板に向かって血が一滴落ち、床に小さな丸模様を施した。水玉模様に様変わりした床、重力に従う血に反してクラウスは全身を逆立てた。
脂肪が見える程ざっくりと切れた傷口からどろどろと血が流れ、ルートヴィヒの足元に血溜まりを作る。黒光りするブーツの下に流れ、動くと水音がした。
淡々と残される赤い靴跡。滴り落ちる血、生々しい其の臭いに喉が鳴った。
「私に遠慮する事は無いよ。」
放たれた言葉に頭の中が空になり、ルートヴィヒの腕にむしゃぶり付いた。
傷口に歯を立て傷を抉り、下品な音を鳴らし吸った。唾液と血液に口元を濡らし、血溜まりの中に膝を立てた。ずるずると自分の血を飲むクラウスの姿にルートヴィヒはサディスティックに笑い、持って居たナイフを勢い良く床に突き刺した。
「其れで良い。」
優秀な人間を喰らい、一層優秀になる事に、神は罰等与え無い。
死の天使が、微笑んで居た。




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