身体に刻む絶対忠誠


総統閣下が帰国した日から、言葉通り時一は総統閣下に守られて居た。自分の家に置き、当然、時一は家に帰って居ない事になる。
そんな状況に侑徒が危険を感じた。
珠子にだ。
戦下で唯でさえ、手伝いは居るが女一人。おまけに足は悪く、最悪は最悪を呼ぶと云うか珠子はクラウスから狙われて居る。時一の愛が総統閣下に向いた今、其の心配は幾分和らいだが不安は残る。若しもの事があってからでは遅い、彼女の傍に居るべきだと侑徒は宗一に云った。
「せやなあ。」
「総統閣下が居る以上、大将閣下は何も為さらないとは思いますが、用心に越した事は無いんじゃ無いでしょうか。」
「ハンスの家に、ずっと居る訳にもなあ。」
そんな二人の会話を、クラウスの事を除き珠子に話すと、部屋だけは無駄にあるから好きにしてと云われた。
「家賃は下さいね。宗一さんだから相場の半値で良いわ。」
「流石は近衛医師の娘…。しっかり締めるとこは締めはるなあ…」
「きちんと御支払いしますよ。」
一緒に住むのは構わないが、一切干渉しないでとも珠子は続けた。其れを決まり事を少々。
ロッテは自分の家政婦だから使わないで、洗濯と掃除は自分達でして、夜は騒がないで、でも協力し合って。
厳格で支配的な父親で育った侑徒には当たり前ではあるが、好き勝手に過ごして来た宗一にはうんざりする様な事ばかりで、適当に流し聞いていた。
「其れと。」
「未だあるんか…」
其処で珠子の言葉は止まった。重苦しい溜息と舌打ちを繰り返し、眉間を掻く。三人の息遣いがやけに大きく聞こえ、其れを消す様に珠子の杖が鳴った。ことんことんと床板に響き、細長い棚の引き出しを開けた。上にはレースを敷いた花瓶があり、ロッテが居るにも関わらず其の花は枯れ、半分以上水を無くしていた。
引き出しから出した写真を潰す様に握り、又舌打ちと溜息が聞こえた。
「条件があるの。」
「条件…?」
侑徒の声は澄んでおり、出会った頃の夫の声に良く似ていた。
宗一達の方に身体を向け、緊張した顔で近付いた。
テーブルに投げ捨てられた其れに侑徒は視線を逸らした。
「知って居る事を全部話して。」
柔らかい口調の珠子の口調とは思え無い程きつく、咎めた。二人、特に宗一を睨み付け、宗一は一切目を逸らしはしなかった。
「此れは如何云う事なのか、話して。」
「其れが入居条件?」
日本語を忘れてしまったのか、単に写真の所為なのか、珠子の言葉は独逸語で侑徒は理解出来無かった。
ルートヴィヒが時一に云った“最悪の事態”が、本人の居ない場所で静かに発生した。
写真の場所は元帥室。国旗の位置と机の置物で把握出来る。其の机にクラウスが腰掛け、肘を立て上半身を起こして居る。嬉しそうに笑って居る顔を半分隠す後頭部。奇麗な黒髪で、背中が映って居る為顔は全く判らないが、見れば誰でも判る人物だ。
「説明して。」
珠子の長い爪が白衣を着た白い背中を突いた。宗一は無言で余裕に笑うが、侑徒は緊張で喉が乾き何度も喉を動かした。
「説明…?見た通りじゃないか。」
宗一の独逸語が写真の真実を物語って居た。
瞬間珠子の唇から血が滲み出、写真を爪で破き、宗一が本人であるかの様に口を動かした。
「絶対忠誠ってこう云う事なのっ」
真赤に染まった硝子玉に宗一は無言で頷き、破けた写真を見た。
「一つ、聞いて良いか?」
「何?何でも聞くと良いわ。笑うが良いわっ」
「落ち着け。気持は判るけど、今此処で俺に喚いたって仕様が無いだろう。」
全く正反対に冷静な宗一に珠子は大きく溜息を吐き、そうね御免為さい、と頷いた。
写真を掴み、端に少し映るカレンダーに目を凝らした。週の半分しか日付は無いが、此の写真が何時の物か特定は出来そうで、テーブルにある卓上カレンダーを宗一は捲った。しかし当然と云うか其処には無く、抑時一の髪が黒髪である。時一が何時ブロンドにしたのか宗一は知らないが、時恵に会いに日本に来た時は既にブロンドだった。詰まり相当昔なのかと、宗一は珠子に「クラウスは何時元帥になったんだ」と聞き、「一年以上も前よ。確か、恵御が十一歳位だったかしら」と返した。
そんな昔の写真を態々今頃出す。そんなに前から御前の夫は御前を裏切って居たと、知らせる為に。
「此れ、何時手に入れた?」
「そうね…、二三日前、だったかしら…。ポストに入ってたの。真白な封筒に、其れだけが一枚。」
「消印覚えてる?封筒ある?」
「いえ、直接よ。封筒は、御免為さい。ロッテが気を利かせて捨ててくれたわ。」
二三日前となると総統閣下が帰国した二日後で、時一が家に居ない事を知り、尚且妻に夫が愛人と楽しんで居る写真を送るそんな悪趣味を持つ人物は、写真に映る本人以外居なかった。
珠子の心中を思うと侑徒は息苦しさを知り、けれど月並みな言葉しか掛ける事が出来無かった。
冷めた珈琲を一口飲んだ珠子は額を押さえ、本当にホモって最低な人種、即刻収容されると良いわ、そう吐いた。宗一は渇いた笑いしか出来ず、理解は出来無いが侑徒も釣られて笑った。
「やだ、御免為さい。目の前に居たわ。貴方は駄目よ。駄目駄目、収容されないで。大好き何だから。」
茶目っ気たっぷりに珠子は腕を振って笑い、侑徒は漸く安堵した。
「先生ぇ、珠子夫人は何と…?」
「ホモは死ねて。一緒死のか、橘。」
「やだ。やだ、違うわ。本当よ?…貴方同性愛者なの?」
聞かれた侑徒は目を開き、口角を上げた。驚いた顔の侭宗一に視線を流したが、見事に逸らされた。
「嘘…やだ…」
驚きで口元を隠した珠子は交互に二人を見た。
「そうなの…………?」
何故か小声で聞き、侑徒は愛想笑った。
「だったら尚更、夜は静かにして。」
しっかりと釘を打たれた。




*prev|1/9|next#
T-ss