Meine Schokolade


息子の亡骸を見たと云うのに、総統閣下の目は冷淡であった。数居る名前も知らない兵士、或いは捕虜の其れを見る時と同じ目で見下ろして居た。片付けろとたった一言残し、数秒の弔いは済んだ。
数歩歩き、其処で完全にクラウスの事は頭から消えた。部屋の前に立ち待つ二人を見る事無く招き、鍵を閉める様指示を出した。
帽子を脱ぎ、撫で付けた頭を触り、息を吐いた。そして、笑った。
「御前達のどっちかが、助けると思ってた。」
総統閣下は楽しそうに笑う。
「まさか。」
机に座ったハンスも、口元を隠し笑う。ルートヴィヒは相変わらずショコラーデの為に口を動かして居た。
「助ける理由が無いね。」
トリュフの柔らかさにとろける。
「ルートヴィヒが一番彼奴を可愛いがってた。」
「昔はね。」
云って、せめてもの慰みだと、息子を亡くした父親の口に、ショコラーデを一つ投げ入れた。
「御前の息子だから、頭は良いと思ってたね。けど違った。」
「死ぬ事しか出来ん、価値の無い奴さ。ユダヤ人には当然だ。」
甘い味に総統閣下は恍惚と顔を緩ませ、息子の死も其の悲しさも微塵も感じ無かった。
「此れ、旨いな…」
「でしょう?仏蘭西のだよ。」
「成程。トレビアン。」
「俺に其のトレビアンな代物は?」
ハンスに聞かれ、ルートヴィヒは持って居た箱をひっくり返し、数回振った。
「ハンスに素晴らしい味は似合わないかもね。」
「此奴は下手したら、石でも食うぞ。」
実際、珠子の失敗作の石化クッキーを難無く食べたハンスは何も云えず、口内がトレビアン状態の二人を見た。もう無い、と無言で教えたルートヴィヒだったが白衣から又新しく箱を取り出し、掛かるリボンを指に結んだ。
「私はクラウスを、許さないよ…」
独り言の様に呟き、指からリボンを落とした。ボルドーの細いシルクはロッテの髪の毛を連想させ、床で曲折を描く。こうして無惨に、切り落とされた自慢は床に落ちたのだろう。
「私のショコラーデが、溶けてしまう…」
ロッテの目は一級ショコラーデ、其れが溶ける。溶け出た透明なショコラーデは、クラウスに何を見せ、どんな味を教えたのか。罪悪感も何も味合わなかったに違いない。
「私迄も、裏切るとはね…」
あんなに可愛がってやって居たのに、容易く裏切る。其れが此の国だと、皆知って居る。然し、実際されるとかなり堪えた。クラウスも父親に裏切られた、総統閣下も息子に裏切られた。裏切りに裏切りを重ね、一体何が真実か、信じられる物は、最早此の国にも此の国に生きる人間にも無かった。自分されも信じられない、ハーケンクロイツは人の心を雁字搦めにする。そして其れを、忠誠心と偽り、信じる他無い。そうしなければ此の国は、亡霊の国と化する。
皆、知って居た。だから、裏切る。忠誠心の下に。
「人は…」
何時に無く辛そうな顔を見せるルートヴィヒ。其の視線は横を向き、神経質さを教える手は口元を隠した。
「国が無くとも生きて行ける。けれど国は、人が居なければ、国には成り得ないだろう?だったら今の此の国は…」
国なのか………?
ルートヴィヒの疑問にハンスは息を無意識に止め、瞬きを繰り返した。そうだと断言する筈の総統閣下さえも無言で、額を掻いた。
「教えて欲しいね、アロイス。」
手に乗るショコラーデが、ゴミに見え、全てを床に落とした。
「私の祖国は、国なのか…?」
「当たり、前だろう…?」
「ルートヴィヒ、少し、落ち付け。御前は少し、混乱してる。」
ルートヴィヒの精神状態が乱れて居る事に気付いたハンスは、落ちたショコラーデを拾い、机に並べた。其れでもルートヴィヒの口は止まら無かった。クラウスのロッテへの仕打ち、自分への裏切り、其れ全てが、今目の前に居る総統閣下が仕組んだ事の様に思えた。友人さえも信じられない、其れ程ロッテの事はルートヴィヒに衝撃を与えた。
「ユダヤ人は国が無いよね?でも生きてる。私には祖国がある。でも、私は此処に居るのに、墺太利何て国は何処にも無い。私は、生き居るのか…?」
たった一人の、何の影響力も持たない青年の繰り返した小さな裏切りは、確実に此の国を崩し始めた。ルートヴィヒの豹変した精神状態、隠して居た本心に、ハンスは愕然とした。
人の心を壊すのが、戦争。
其の言葉を目の当たりにし、知れず恐怖した。
「生きてるさ。」
机端に並ぶショコラーデを積み重ね、総統閣下は云う。
「俺が生きて居ると云えば、生きて居る。墺太利は、無いかも知れないが…独逸にはある。」
「丸で、ユダヤ人だ…。国が無い何て…。寧ろ、和蘭…?」
「ほら、鼻水を拭け。」
「出てないよ…」
「御前が辛気臭い顔をして如何なる。辛気臭い顔したら、ロッテが笑うのか?違うだろう?」
元に戻らない事を歎くな前に進め、と椅子に凭れ、頭の後ろで腕を組んだ。
「派遣迄日が無いだろう?其の日迄休暇をやるから、其のマイネン ショコラーデとやらと、……へへっ………楽しめ。」
にやにやと笑う総統閣下にルートヴィヒは目を見開き、口元を隠した。耳迄赤くし、ハンスを見るが、ハンスも同じ様に笑って居る。
「ショコラーデに宜しく。」
「一寸待って、そんな関係じゃ無い。」
必死に弁解するが、二人は首を振り笑って居る。
「アロイス、ルートヴィヒ敬愛最上級“マイネン ショコラーデ”だ。マイ ハニーだ。此れは本物だよな?真実だよな?」
「まさか、其れさえも偽りとでも云うのか?ルートヴィヒ…?」
此れは確かに本物、と偽りの無い思いに素直に頷いた。此れの裏切り方、あれば是非とも、教えて貰いたい。




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