Gehirnwsche unterziehend-洗脳
天使の寝顔とは良く云ったもの。時一の寝顔を白衣のポケットに手を突っ込んだ侭、彼此十五分ルートヴィヒは眺めて居る。良く飽きないなと珠子は珈琲を飲み終えた。其れを待って居たかの様に、時一とソファの間にあるタオルケットを引っ張った。一回転し床に落ちた時一は、爆撃が起きた様感じる。喚き乍ら首を振る時一の顔を無言で踏み、床に目覚めのキスをさせた。
「私、一時に来ると、云って居ましたよね。」
今の時刻は一時二十分だ。ルートヴィヒが来るのを判って居乍ら昼寝をし、珠子も十分前やらに起こせば良いのだが、本人が来る迄すっかり忘れて居た。何時起きるかと眺めては居たが、全く起きないと来た。床とルートヴィヒの靴底の感触に時一は小さく数回頷く。
「済みません…、アルツト メンゲレ…」
ルートヴィヒは上司である。然も、陸軍内で一位二位を争う怖い上司。そんなルートヴィヒに対し、約束も忘れ昼寝を噛まして居たのだから、素直に謝るしか無い。直属の時一だからソファから落とされ、顔を踏まれただけで済んだもの、直属で無いのなら有無云わずアリアと自分の悲鳴を子守唄にアルミニウムのベッドに寝る。
「そんなに床が好きですか。何時迄キスをして居るのかな。」
「足、退けて頂けますかね…」
一度強く踏まれ、時一は顎の関節を正し、ルートヴィヒは靴底が汚れて居ないかを確認した。汚れは無かったが、潔癖症のルートヴィヒは数回絨毯に靴を摩った。昨日洗ったばかりなのに、と珠子は小さく息を漏らした。
「其れで、何か。」
「ユートは何処?」
「橘ですか?」
珠子が居る方向に顔を向け、ルートヴィヒも向いた。
「部屋じゃないかしら。宗一さんは居ないわ。」
ルートヴィヒは頷き、二階の手前の部屋と聞いた。御前も付いて来いと時一を立たせたが、侑徒の部屋に行く前に軍服を持って来いと云った。家にはロッテが居る。何時出て来るか判らない為軍服は着れない。其の為、ワイシャツをだらし無く着て居る。
「軍服…?」
「そう。」
何の目的があるのかは判らないが、ルートヴィヒが二階に上がったのと逆に、時一は一階の寝室に向かった。
ヴォルフと遊んで居た侑徒は、ノック音に動きを止め、ドアーを向くヴォルフにドアーを見た。
――此の匂いは…
侑徒の花の様な甘い芳香が充満する此の部屋に、血生臭さや腐敗臭が少しずつ混ざってゆく。少し開いたドアーの隙間から見えた揺れた白衣の先にヴォルフは吠えた。
「アルツト メンゲレ。」
吠え立てるヴォルフの所為で侑徒の声は消されて居る。聞こえなくとも、皺寄る鼻に威嚇を知るルートヴィヒは侑徒に目も呉れず近付いた。二三回頭を強烈に叩き、馬鹿犬、そう云った。
ルートヴィヒに逆らう事の出来無い侑徒は、ヴォルフの様にしゅんとなり、言葉を待った。
「先生は、今何方に?」
其の蛇の目に侑徒は益々萎縮し、判りませんと答えた。宗一が居ないとは都合が良いと、ドアーを向いた侑徒に釣られ向いた。
「持って来ました。」
「有難う。」
「あの…」
侑徒を余所にルートヴィヒは時一から軍服を受け取り、壁に掛かる侑徒の軍服と並べた。
「若干小さいね。アルツト ゲーテ、身長は?」
「一七五センチです。」
「一寸、並んで。」
云われる侭に二人は並び、頭半分程違う身長差にルートヴィヒは頷いた。
「其の上からで良い、着て。」
投げ付けられた時一の軍服を慌てて掴み、此れを?と聞いた。袖を通した軍服は嫌に大きく、身長は十センチ程しか違わないのに何故かとルートヴィヒは首を傾げた。
「一寸、御免ね。」
肩に触れた、ジャケットからでも感じる手の冷たさに侑徒は身震いを起こした。
「嗚呼、肩に筋肉が無いんだね。判った。」
大体の寸法が判り、時一に軍服を返した。
「もう良いよ。」
侑徒と二人だけにしてくれと、ヴォルフを片手で持ち上げ、部屋の外に放り出した。続いて時一が出、足元にヴォルフが居る等考えもしなかった時一は尾を踏んだ。何を踏んだか判らず、首を傾げる時一の後ろに続くヴォルフに、侑徒は涙を堪えた。
ヴォルフは叩く物でも踏む物でも、サッカーボールでも無いと云いた気な、自分を見上げる侑徒の目に眉を上げた。
「君には、私の直属になって貰う。」
今迄は数居る軍医の一人、其の為、侑徒の軍服は黒であった。白の軍服は、ルートヴィヒの直属を意味する。時一を含め、十人も居ない白の軍服だが、ルートヴィヒ本人や大半の部下は皆と同じ黒を着て居た。時一だけが常に白く、其れはルートヴィヒの右腕の意味でもある。最近はルートヴィヒも白を着て居るが、本の少し前迄は余程の事が無い限り、血が付くと云う理由で黒であった。他数名の部下は、時一やルートヴィヒとの混同を避ける為、総統閣下の前以外では着ない。
なので実質、白の軍服は時一一人となる。
其れが消えたとなれば、新しい人間が居る。
「私は、遺伝子細胞学者でね、外科医では無いんだ。」
「そう、ですか。」
「君は、内科医だね。」
「はい。」
「内科医が、欲しかった。」
外科医なら腐る程居る。先生の事は惜しいが、君なら外科も出来そうだと、侑徒の横に座った。
「君には内科医としての知識がずば抜けてある。羨ましい程にね。」
「恐縮です…」
「そして、天才外科医をずっと見て来た。」
私の遺伝子学と先生の手先を君に合わせれば、其れは素晴らしい事になると思わないか。
歪む天使の口元に、侑徒は視線を逸らした。
「私が、君を神にしてあげ様…」
其の、胸に刻まれたハーケンクロイツに誓って、と少し見える傷に触れた。心臓が停止しそうな程の冷たさ。其の侭本当に止める気の様に掌全てを心臓の真上に置き、ベッドに押し付けた。異常な鼓動の速さに呼吸が追い付かず、息を忘れ、死の天使を見上げた。
「出発迄数日、先生の手を頭に焼き付けておき為さい。」
天使の囁きに小さく頷き、ルートヴィヒが離れた後は天井を見続けた。
天使になれないと知って居た。自分は一生人間の侭と知って居た。けれど、天使の誓いは、侑徒の心臓を止めた。自分でも気付かない内に、口角が吊り上がった。
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