ヰロヲトコ
陸軍基地迄急げと折は運転手に放ち、窓の外を睨んだ。大金を積んだ鞄を握り締め、皺寄った眉間に気付いた折は慌てて其れを無くした。
雄一を拘留するのも大概にして欲しい。前に、好きに使え、新には内緒だと雄一から大金を貰っていた。折に物欲は無く、ずっと鞄に入れた侭になっていた。まさか使う日が、其れも渡した本人の為に来る等考えてもみなかった。
余程考えていたからか、思った依り早く車は基地に着いた。ドアーが開くなり折は飛び下り、門番に詰め寄った。片眉だけを上げ、全く折を見ない門番に折は肩を掴み、自分に向かせた。しかし何と云えば良いか判らない折は表情の無い顔で門番を見続けた。
来たは良いもの、此の門番が雄一の拘留を知っているとは思えない。では誰に頼めば良いのか、何と云えば良いのか、考え付かない折は門番の身体越しに基地を見た。
「…何か用か、女。」
此処で性別を云っても無駄で、抑、女物を着て来た。女と捉えて貰った方が都合が良いからだ。
折は何も云わず、門番の肩に手を置いた侭基地を見続けている。
「…誰かに、用か?」
微かに門番の口調が緩み、其れを感じ取った折は小さく頷いた。
用であるのは確かなのだが、誰の名前を云えば良いのだろう。此の基地に居る知っている名前と云ったら、雄一と。
「…ま…」
「ん?」
小さ過ぎる折の声に門番は身を屈め、折は息を吹き掛ける様に声を漏らした。
折の全身から良い匂いが漂い、おまけに耳に息が掛かる。聞こえるか細い声は愛らしく、肩に乗る小さな桃白の手は震えていた。小動物の様な折の姿に、門番は息を辛そうに飲み込んだ。
「木島、大尉か…」
会えない事は無いが、本人が会わない率の方が高い。折角此処迄、そんなにめかし込んで来たのに其れは可哀相だと、そう門番は思っていた。通すだけ通してみるかと、門番は肩から手を離させ、折を基地に入れ、其れからの手順を教えた。理解した折は頷き、会釈し背を向けた。不自然な程大きな鞄を持った折は、何度も門番に視線を向けられていた。まさか、駆け落ちでもする気では無かろうか、何とも羨ましい、そんな目でだ。
門番に教えて貰った通り、事務官に名前を告げ、応接室に居る様云われ、廊下に出た。其の時だ。黒の軍服を着た男が後ろから姿を現し、折を横切った。
「叔父様!?」
其の声に足が止まり、ゆっくりと顔を向けた。此の人間を忘れていた。叔父の、本郷龍太郎。話の判る、そして、味方。
龍太郎は吊り上がる目に驚きを宿し、ぽかんと口を開けていた。
「誰だ…」
現在の折の事等、全く知らない龍太郎は気味悪そうに声をくぐもらせ、眉間の皺を濃くさせた。短い歩幅で龍太郎に近付いた折は一礼し、名前を云った。
「セツ…?」
聞いた事のある名前だが、一体其れが誰か思い出せず居る龍太郎は一層顔を顰めた。
「新の双子の、兄の方です。」
「兄…?」
御前は女だろうと、疑い深い声が流れる。
「木島和臣の息子、木島折です。」
「あっ…木島さんの…」
思い出した龍太郎は声を荒げ、口を手で塞ぐと驚きの余り辺りを見渡した。
「何をしているのだ…」
其の言葉に折は龍太郎にしがみ付き、雄一の釈放を求めた。
神楽坂。
其の名前に龍太郎は、医務室に向かう途中だったの思い出す。こんな場所で折と話をしている場合では無い。
「悪い。今忙しいのだ。」
「待って。」
掴まれた腕に少し痛みが走り、龍太郎は折を睨み付けた。しかし俯いていた為、折には知られなかった。
「公爵を…公爵を釈放して下さい…」
「そうか。神楽坂の釈放を求めに来たのか。」
「叔父様なら…釈放出来ますよね。」
金ならあると腕を掴む折の手は震え、龍太郎はしゃがむと手を解き、下から笑顔を向けた。
「安心し為さい。神楽坂は今医務室に居る。目が覚めれば釈放だ。」
ふっと龍太郎は笑い、後ろに目を向け、立ち上がった。
「………時恵様に、告げ口しますよ、本郷元帥。本郷元帥は基地に女を連れ込んでいると。」
「いやいや違う。」
後ろから、身体を痺らす声が響き、折は其の声に聞き覚えがあった。
「野中…様…」
振り向いた折の顔に敬作は足を一時止め、直ぐに足早に近付いた。
「浮雲?浮雲だよな、何してるんだ?雄一の迎えか?」
「浮雲…?彼は折君だろう?」
首を傾げる龍太郎に、敬作も又首を傾げた。浮雲としか名前を知らない敬作、今の今迄折の存在を忘れていた龍太郎。疑問付が浮かぶ二人の顔に、折は交互に視線を向けた。
長い廊下の向こうから、軽い靴音が近付く。其の姿を敬作は睨み、龍太郎は振り返ると、嗚呼、と短く息を零した。龍太郎の身体から顔を出し、確認した姿に折の身体は火が点いた様に熱くなった。足の裏から一気に怒りが湧き出、背中が湿る程体温が上がる。龍太郎の横をふらりと過ぎると、弾けた様に折は駆け、衿を掴み上げると壁に叩き突けた。一瞬何が起きたか判らず、苦しそうに一幸は噎せた。龍太郎達は驚き、顔を見合わせた。
「何…だ…貴様は…」
「俺を忘れたか…」
呻く声。怒りで身体を火照らす折とは真逆に一幸の身体は冷え、血の気を引かせた。
「せ…つ…」
一幸の声に折は喉の奥で笑い、互いの似た目を合わせた。
「俺だよ…兄さん…覚えてたのかい、そうかい。」
「木島大尉!」
「離せ!女!」
其処に居合わせた一幸の部下が折の身体を引き離し、首から離れた折の手は、一幸の頬に飛んだ。其れに敬作が慌てて駆け寄り、部下達から折を引いた。
「止めろ!止めるんだ浮雲!」
怒りで暴れる折の腕を押さえ、敬作は一幸に、もう用は無いと告げた。やたらに腕を振り乱し、居なくなろうとした一幸の服を掴んだが、其の手は龍太郎に離された。
「止め為さい。木島も早く。」
「失礼を。」
「待てっ!待て兄さんっ!」
殴れないのなら口で云ってやろうと、折は一幸を力一杯罵った。
「公爵は悪くない!悪いのは兄さんだ!公爵が御前に…何をした…」
「浮雲、止めろ。」
折の気持は痛い程判るが、此れ以上は許せない。此の侭一幸を罵れば、折の身が危険になる。
「一般人が軍に盾突く事は、国民の義務に反する…」
つまり、折も雄一同様、反国者と見做され拘留される事になる。
そんな法律、誰が作ったんだ、嗚呼、自分の父親だと、折は力を無くした。
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