崩壊するしか道が無い
あの家に入られないという事が弁護士に依り判明したので、息子を連れて敬作の家に行った。
「…大変だな。」
門を開け、敬作は顔を顰める。大人二人の困惑顔に息子は不安顔。気付いた敬作はしゃがみ、笑顔を向けた。
「大きくなったな、清人。」
照れる息子の頭を撫で、私を見る。
「何年振りだ?」
「さあ。清人、挨拶は。」
促すが、息子は困惑顔で無言だった。子供だが、自分の置かれた状況が判っている。何と挨拶をして良いか判らないのだ。其れを悟った私は敬作に頭を下げ、眉を上げて云った。
「ただ今。」
「…御帰り。雄一兄ちゃん。」
悪戯に笑う敬作の顔。終戦後、両親を亡くした敬作と暫く一緒に住んでいた。私の事を兄と呼び、そして私も勤めた。敬作を軍学校に入れたのは、私、そして神楽坂家の資産だ。私が使った神楽坂家の資産といえば、そんなものだ。可愛い物だろう。
息子を見ると、同じ様に頭を下げ、ただ今戻りました、そう云った。
「…良く出来た息子だ事。」
「私の子だからな。」
立ち上がった敬作は思わぬ事を云った。
「本郷元帥がいらっしゃってる。」
其の言葉に私は足を止めた。
「何故…」
「さあ。井上大臣の事でも話し合うんじゃないか。」
「元軍人の?」
「嗚呼。今は陸軍大臣だ。…新聞読めよ。物書きさん。」
何て事だ。人が幽閉されている間に、大戦の亡霊が一人動いていた。批判家として、失態をした。海軍元帥が総理大臣、そして、大戦の亡霊が陸軍大臣。其れも、因果関係のある。
此れは、書かなければいけないだろう。批判ではなく、面白おかしく。最近木島の事も飽きてきていた。偶には違う事も書いて良いだろう。が、海軍元帥に見付かれば、今度こそ命は無い。…諦め様。海軍さんは、陸軍さん程御優しくは無いのだ。
「二階は、全部使って良い。御前の家でもあるから、遠慮は要らない。」
そう敬作は云うが、遠慮等初めからする気は無い。そう云うと、遠慮無く蹴られた。
「あー、其れとだ。」
未だ何かあるのだろうか。
「此の家に手伝いは居ない。俺は他人が家に居るのが嫌いなんだ。」
つまり。
「全部自分でしろ、と…?」
「嗚呼。」
ニッと口角を上げ、鼻で笑う。
「頑張れよー?雄一坊ちゃま?」
肩に手を置かれ、本当に楽しそうに笑う。
「出来る訳、無いだろう…」
生まれて此の方、自分で家事等した事が無い。私に出来る事といえば、ペンを走らす事だけ。後、神楽坂家の株を動かすだけ。昔と立場が逆転したと、敬作は楽しそうに笑うが此方は笑い事ではない。
「手伝いを一人付ける。」
手伝いを一人雇う事位、印税で如何にでもなる。
「止めろよ。じゃあ何だ?俺が帰って来たら、其の手伝いが俺に頭を下げるのか?」
勘弁してくれ、と息子を二階に上がらせ、応接室のドアーを開けた。
ソファーに座る其の威圧感。汗が滲んだ。
「…無一文になった気分は如何だ?公爵。」
からかってくれる。
「金はあります。此れでも物書きです。」
「如何だ。今度は俺でも批判してみないか。見てみたい。」
「宜しいんですか?」
「嗚呼。題は、そうだな…“何が神様仏様本郷様だ”だ。此れは良いぞ。」
紫煙を上げて笑う本郷元帥。
「本当に殺されます。」
「俺が許可してるから良いだろう。」
「本郷元帥、御言葉ですが。雄一が本郷元帥を批判した場合、私は二度と彼を助けません。寧ろ私が殺します。」
「や…嘘だろう…?」
敬作は本郷元帥の忠実な犬だ。敬作に加え、多分、五十嵐大佐と小野田中佐も加勢する。此の国に居る大戦の生き残り全てを私は敵に回す事になるのだ。本郷元帥は、神様仏様本郷様だから。誰よりも、国民の安否を気遣った。終戦後、此の本郷元帥指揮の元、陸軍が動かなければ此の国は復興しなかった。そう云っても過言ではない。
そんな人間を批判出来る程、私は、偉くない。
「海軍元帥一人だけなら敵に回せますが、国民全員は回せません。」
第一。
「本郷元帥を批判する場所がありません。」
此の狼を批判する事は、私には出来ない。そう思うと、自然と膝を屈した。
「御慕いしておりますよ、本郷元帥。」
「私もです。元帥。」
二人揃って、膝を屈した。其の私達に本郷元帥は鼻を啜り、懐かしい、そう云った。
「時恵が良く、そう云ってくれた。」
笑う其の目には、涙が滲んでいた。
「もう二度と、聞けないだろうが。」
涙を堪え笑う本郷元帥に、私は妻の顔を思い出した。
私も、狼であれば良かった。狼は、一緒になった相手と一生共にする。私達低脳な人間には、とても難しい事をする。
狐には、其れは無理みたいだけれど。
〔
*prev|2/6|
next#〕
T-ss